旧車と名車が甦るメディア

旧車のイベント

北イタリアのヒルクライムイベント、Silver flag 観戦レポート
旧車のイベント 2023.08.22

北イタリアのヒルクライムイベント、Silver flag 観戦レポート

毎年、6月に北イタリアで開催されるアンティークカーのためのレース「Silver flag」観戦してきました。 現地から新鮮な現場の様子をお届けできたら幸いです。 レース参加者にもインタビューすることに成功しましたので、最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。 ■Silver flagとはどんなイベント? 私はこのイベントの開催地の近くに住んでいます。 1年間心待ちにしていたのでしょう、イベントが近づくにつれ、街では地元のおじさんたちが「Silver flag」について会話をしているのが頻繁に耳に入ってくるようになりました。 地元民からも溺愛されるイベント「Silver flag」ですが、実際にイベントに行ってみると、北欧やイギリス等の欧州内のさまざまな国から参加者が募っていました。 イベントについて少し紹介をします。 1953年から、同地でピアチェンツァ自動車クラブの主催によって、平原のストレートからアスファルトの勾配が生み出す難易度の高いヘアピンカーブでのルートで競い合うヒルクライムが開催されていました。 しかし1974年には、20年もの間の続いたイベントに終止符を打つことに。 そこから長い歳月を経て1996年、当時のヒルクライムを再誕させようと始まったのが「Silver flag」なのです。 当イベントはタイムアタックを競うイベントではなく、レーシングカーの保存状態と修復度を競う方式がとられています。 北イタリアの街「Castell’Arquato (カステッラルクアート)」を出発し、「Vernasca (ヴェルナスカ)」に到着するという約9kmのコースで、このコースをアンティークカーたちが例の大きなエンジン音とともに颯爽と駆け抜けていきます。 カステッラルクアートもヴェルナスカも都市ではなく、非常に小さい街で、ここに欧州各国からレースカーを引き連れてきたのかと考えると、参加者のイベントへの情熱、クルマに対する熱意がひしひしと感じられます。 イベントは毎年3日間続き、会期中はパーティーなども開催されるため、国を超えた参加者の友好は深まって、同志の友情はきっと一生ものになるのでしょう。 ■1日目と2日目は展示車輌を間近で見るチャンス! さて、イベントの1日目、2日目はカステッラルクアートでクルマの展示が行われます。 入場料等一切なく、誰でも気軽に参加でき、言葉が通じればクルマのオーナーとも気軽に話すことができます。 上述したように、イベントには多国籍の参加者が集うため、英語でのやり取りをしている様子がうかがえました。 余談ですが、カステッラルクアートは中世の町並みがそのまま残された非常に美しい魅力あふれる街ですので、観光も楽しめること間違いなしです。 今は亡きデ・トマソや、フェラーリレインボー、アバルトなど、珍しいクルマがあちらこちらに展示されており、興奮が止まりません。 これらのクルマすべてが、3日目にはレースに参加します。 また、日本ではもしかしたら知名度が低いであろう、ランチアのレースカーも多く参加していました。 ランチアは今となってはあまり盛り上がっているブランドではないですが(イタリアではたまに見かけます)、かつてはカーレース界で多くの功績残した最高のレースカーを製造していたのです。 昨今、ブランドのリニューアルを目指し動き出したようで、イタリアでは再び注目を浴びているブランドです。 イベントには非常に有名なストラトスや、実際にレースで賞を受賞した以下の車輌が参加していました。 当時のキズを修復せずにあえてそのままの状態なのは、輝かしいレースの思い出を消さないようにあえて残しているようにも感じました。 誰もが憧れるマセラティも数多く出場していました。 ▲私は、こちらのマセラティが総合優勝を勝ち取るのではないかと、予想していました! ■いよいよ本番3日目!実際に走るクルマの姿と音を堪能! イベント3日目になると、展示されていた車はまるで長い冬眠から目を覚ましたかのよう。 この瞬間を待ってたよ!と言わんばかりに大きなエンジン音を鳴り響かせ、スタート地点に向かいます。 スタート地点では多くの観客が集まり、イベントはかなりの盛り上がりを見せています。 こちらのクルマは皆さん見たことありますでしょうか。 スタート地点で待機するのは今は亡き、チシタリアのクルマです。 少しイタリアらしいエピソードを・・・。 出発直後、この個体がエンストしてしまうやいなや、即座に観客席から数人立ち上がり、助けにいく姿が見られました。 見て見ぬふりができない、いい意味でおせっかいなイタリア人らしい光景だな、と思いました。 その後、私たちもゴール地点のヴェルナスカへ向かいました。 ヴェルナスカではすでに到着したクルマが陳列されており、レア車が広場に敷き詰められた景色は圧巻としか言いようがありません。 午後の表彰式が行われるまでの間、参加者はお昼ご飯を食べたり、友好を深めたりと、イベントは常に盛り上がりと活気で満ちあふれています。 ▲イベント参加者たちが集まってテントの下で昼食を食べている様子です ここでも余談ですが、ヴェルナスカは丘で囲まれ、緑が豊かな風情で、典型的なイタリアの小さな田舎町といった感じです。 さてさて、表彰式が始まりました。 表彰はブランド別に分かれているようで、なんと、以前お伺いした「Alfa Blue Team」から参加したクルマが、アルファ ロメオ部門で賞を受賞していました。 ・「Alfa Blue Team」についてはこちら●公式クラブ「Alfa Blue Team」訪問記公式クラブ「Alfa Blue Team」訪問記https://www.qsha-oh.com/historia/article/alfa-blue-team/ 何十年も参加してきたけど、受賞は初めてだよ!と感極まった様子でした。 そして総合優勝されたのがこちらのフェラーリ。 確かに古さを一切感じさせない、素晴らしい修復度です。 こうして今年も3日間にわたるイベントに幕を閉じました。 ■レース参加者さんにインタビュー! さて、レースに参加したヴァレリオさんに、レースに対する想いなどお話を聞くことができました。 イタリア人はどんな想いでこのイベントに参加しているのか気になりますね。 ●Silver flagには何度出場したことがありますか? 12回目ですかね、コロナの影響で一度キャンセルされたから11回目か?そのくらいです。 ●このイベントに対する情熱は何?そしてそれはどこから来るのですか? それは恋のように、なぜ好きで、どこらかやってくるかわからないものなんですよ。 ●なぜこちらのジュリアGTAに乗っているのですか? クルマを買おうとしていたとき、他にもアンティークカーアルファ ロメオの選択肢が多くありましたが、このクルマの容姿がとにかく気に入ったんです。特にこのクルマは実際にレースに使われるために開発され、このクルマが持つスポーツヘリテージが非常に魅力的でした。 ●一番好きなアルファロメオの車種は何ですか? ジュリアスーパーですね! ●どのようにアルファロメオに興味を持ち始めたのですか? 僕の記憶があるときから父がアルファ ロメオを乗っていて、アルファ ロメオは当時一番有名で、イケていて、彼女に恋をしたのです。そして今アルファ ロメオを運転していると、父がいつも隣にいてくれている気がするんですよね。私には二人の子供がいるのだけど、二人ともアルファ ロメオに乗っています。息子においては、はじめミニクーパーに興味があったので、彼をアルファ ロメオ色に染め上げるのは大変でした。 ●日本車についてはどう思いますか? 日本は便利な機能を搭載したクルマのみではなく、レースで優勝してしまうクルマまで生み出して素晴らしいと思います。特にトヨタGR Gazoo Racingには感心しますね。もし今からクルマのコレクションを始められるとしたら、オレンジ色のホンダ360が欲しいです。 ●日本に住むAlfisti(アルフィスティ=アルファロメオファン)にメッセージはありますか? Alfistiだからと言って特定の車種を所有する必要はないし、高級なクルマも要らない、それよりも大切なことは好きという気持ちなんです。イタリアと日本は物理的距離があるけれど、そんなことは関係なく、例えば小さなキーホルダーを持つことだっていいし、安い中古車を買うことだっていい。もしその人がアルファ ロメオに対して情熱があればもう立派なAlfistiなんです。 ▲ジュリアGTAでSilver flagに参戦したヴァレリオさん 地元民からも、国境を越え欧州中からも愛されるイベントSilver flagは、この先も同じ情熱を持つ者同士の熱い戦いの場として盛り上がることでしょう。 いつか私も自分のアンティークカーを連れて参加してみたい、そう思いました。 [ライター・画像 / PINO]

イタリア本場のクラシックカーレース1000 MIGLIA(ミッレミリア)の秘密〜歴史解説編〜
旧車のイベント 2023.08.18

イタリア本場のクラシックカーレース1000 MIGLIA(ミッレミリア)の秘密〜歴史解説編〜

日本でクラシックカー好きの方なら、一度は耳にしたことがあるであろう「La Festa Mille Miglia(ラ・フェスタ・ミッレミリア)」。 クラシックカー愛好家のためのカーレースイベントです。 この大会、実は起源はイタリアにあるってご存知でしたか? 今回の記事では、そんな本場のミッレミリアの歴史や背景、そして2023年の大会のレポート、ウィキペディアではわからない深堀情報や、現地の愛好家から聞いた話などをお届けします。 ■クラシックカーの通過を待っている間に古参のミッレミリアファンと仲良くなる 北イタリアでは毎年恒例のこのイベント。 2023年の開催は6月13日〜17日でした。 私が住むモデナ地区には、15日に参加者と参加車が通るということで、各街の通過予定時間をインターネットでチェックし、さっそく見に行くことに。 毎年恒例のイベントで、とりわけクラシックカーが大好きというわけではない一般人も、地元のお祭りのような感覚で見物に行くほどの知名度です。 家の近くの大通りでクルマの群れの通過を待っていたのですが…なかなか来ない…。 時刻は18:00を過ぎていましたが、夏の日照時間の長いイタリアではまだまだ日中のような強い日差しが照りつけており、気温は27度。 直射日光の下、私と同じようにクルマを持っている地元のみなさんと「暑いですね〜」「今年は結構遅れていますね〜」と立ち話をしているうちに、隣で待っていた方と仲良くなりました。 お名前はジャンカルロさん。 聞けば、彼は何十年も毎年ミッレミリアを楽しんでいる古参ファンだそうです。 今年もちょっと良いカメラを片手にクラシックカーの通過を待っており、良いショットを撮るのを楽しみにしているとのこと。 私が「日本語でミッレミリアの記事を書きたいんです」と言うと、「ミッレミリアのことなら俺に何でも聞きな〜。もう長年見てきているからね」と言ってくださいました。 ということで、遠慮なく色々聞くことに。 ▲ジャンカルロさんによると、ここ数年なぜか開催日に毎年雨が降るというジンクスがあり、「オープンカーに乗っている人たちはずぶ濡れになってかわいそうだった。今年はせめて晴れて良かった」とのことでした ■現地の古参ファンによるミッレミリア歴史解説 「もともとのミッレミリアは、スピードを競う本気のカーレースだったんだよ。」と語るジャンカルロさん。 元祖のミッレミリアは1927年から1957年までおこなわれていたのだそうですが、1957年レース中に9人の死者が数名出る惨事が起きてしまいました。 事故原因となったクルマはメンテナンスに問題があり、走行中に突然タイヤがバーストしてしまったのですが、当時は道路と歩道の境界が曖昧で、観客とクルマの距離が非常に近かったため、このような惨事につながってしまったそうです。 この事故以来、民衆の意見を尊重する形で大会は無期限停止に。 しかし20年の時を経て、1977年に「またあのころのミッレミリアを復活させよう」という動きがあり、大会が復活。 ただしそこからは、カーレースという形だけを残し、実際は愛好家たちの楽しみのためのカーラーリーイベントの趣向を強くして、再スタートしたのでした。 最近では、特にイタリアの観光業ともタイアップしたイベントとして進化を遂げています。 2023年の大会では前年までよりコースも日程も長くなっていますが、これも「もっと色々な街と景色を楽しめるように」という観点からの工夫です。 当然ミッレミリアのコース上に該当する街では、大会中ホテルやレストランの景気も良くなるため、クラシックカーの力で観光業界を盛り上げるという意味も入っています。 ■ウィキペディアではわからなかった小話 1957年、大会凍結の原因となる事故を起こしたのはフェラーリ。 以前クラシックカーのバイヤーをしていたジャンカルロさんによると、その年以降数年は、事故を起こしたフェラーリのモデル・335Sが一気にイメージダウンし、イタリア国内で値段が大幅に下落したそうです。 事故当時、フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリは、その責任を問われて訴訟されるほどだったとのこと。 ただしかなり時間を置いてからは、イギリスなど他の国である種のプレミア価値がついたのだとか。 さて、ここまでのミッレミリアの歴史話を興味深く伺っているうちに、モデナの街は夕焼け色に染まってきました。 そして待機開始から1時間以上経ったころ、ようやくミッレミリアの出場者が通り始めました! よく見ると…とある時点からフェラーリの群れが! モデルや色にバリエーションはあるものの、全部フェラーリです。 これはクラシックカーなのか…?という感じの比較的新しいモデルのフェラーリも数多く通りました。 大会の趣旨としては、参加するクルマは大会が求める基準をクリアしている必要があり、ヴィンテージカーや歴史的に価値のある車輌が重視されているはずなのですが…実際はどうなのでしょう。 フェラーリの創業時の、元々のメインカラーであった黄色のフェラーリも通りましたよ! フェラーリの原産地、モデナの住人はだいたいフェラーリに誇りを持っているので、私も次々にやってくるフェラーリには自然と親近感が湧き、見ていて嬉しくなりました。 ここからどんどん他のタイプのクラシックカーもやってくるわけですが、お話の続きは次回の記事にて! [撮影 / Fabio・ライター / Maya.Y]

太陽の名を冠したホンダスポーツが大集結!第24回デルソルミーティング
旧車のイベント 2023.08.15

太陽の名を冠したホンダスポーツが大集結!第24回デルソルミーティング

■それは聖地に集いし太陽のスポーツ  読者諸氏は、CR-Xデルソルというクルマをご存じだろうか? 7月15日、雨混じりの初夏に、ツインリンクもてぎのホンダコレクションホール前の駐車場にて「デルソルもてぎミーティング」が開催された。 今年で24回目となる同イベントは、同車輌の有志たちにより運営される単一車種のイベントだ。 CR-Xデルソルは名前の通り、ホンダバラードスポーツCR-Xの末裔のモデルだ。 とはいいながらも、ハイデッキのハッチバッククーペであった歴代モデルとは一線を画し、それまでとは全く違ったスタイリングのオープンカーとして1992年3月にデビューをする。 登場したクルマは、トランストップというタルガトップのような屋根がピラーを飛び越えてトランクに収納される、前代未聞の電動オープンモデルであった。 あまりにもエキセントリックであったがゆえに賛否両論の物議を醸したが、北米を中心にファンが今でも少なくない。  そんなデルソルの、他にはない唯一無二の魅力に惹かれたオーナーたちが集まり、交流を深めていくイベントだ。 また、毎回デルソルに携わった設計者やデザイナー等を招待。 今だから語れる誕生時の知られざる話や、さまざまなこぼれ話を披露する。 この日も、繁氏と川田氏がクルマのデザインそのものに関する、ある意味ぶっちゃけたお話をコレクションホールのHONDA職員の顔色を伺いつつ語られていた。  ▲登壇する川田氏(左)とデザインについて語る繁氏(右)。きわどすぎる話に参加者も思わず笑いがこみ上げる ■二桁ナンバーのデルソル  会場には20台を超える車輌が参加していたが、モデファイドしたクルマやチューンドした車両がいるなか、特出したクルマがいた。 2桁ナンバー(現行のような3桁の数字やアルファベットでなく、品川56とかで始まるナンバーのこと)を持つこれらのクルマは、そのデビュー当時より1人のオーナーが30年近くも付き合い続けた愛車である。 デルソルはそうしたオーナーも少なくないが、長い月日の間にはさまざまなドラマがある。 シルバーの個体のオーナーは、デビューした年に即購入のハンコを付いて手に入れたという。 その当時は、まだEF8ことサイバーCR-Xも新車で買えたということだが、あえて新型であるデルソルにしたという。 それから30年25万kmを超える距離を走り、2度にわたる大規模整備を経験し、途中でナンバーを切ることさえあったが、今も乗り続けることができているという。 素晴らしいのはここに至るまで一度もエンジンを開けることがなかった(ノンオーバーホール)車輌という。  もう1台は、当時のイメージカラーでもあるグリーンメタリックを纏ったボディのSiR。 これこそまったくのどノーマルではあるが、理由を尋ねるとそれも納得。 このクルマ元々はHONDAの広報車輌としてのモデルだった。 オーナーもそれを知っているがゆえに購入。 全くの無改造で維持をおこなっている。 ただし、フロントのリップだけは後から架装したのだそう。 「これがないとどうしてもフロントが上がって見えるので」と。 なるほど、元とはいえ広報車はやはり見映えは大事だということか。  ■屋根を開け放ってこそのデルソル  コレクションホール内ではゲストのトークを中心に、最後はコンクールの表彰で幕を閉じた。 優勝者はこれで最後というゲストのサイン入りデルソルのガレージキット(ホンダから許諾を受けての販売品)を贈呈され、讃えられた。 デルソルは、そのスタイリングからタルガモデルのようにも思われがちだが、強靭なリアピラーを要したれっきとしたオープンカーである。 なぜならリアガラスは電動で降りるからだ。 その証拠にドアにもパワーウィンドウスイッチが3つあるのだ。 コレクションホールより会場へ戻ると、雨模様の空はいつのまにか晴れ始め、真夏の陽気を取り戻し始めていた。 オーナーたちは1台また1台と屋根を開け始め、この陽気などまるで問題ではないかのように真夏の空気を車内に取り入れる。 太陽からの使者は30年の月日を経ても未だ健在である。 ▲デルソルのシンボルを着けた謎の小箱。これは当時の発表会でプレス向けに配られたケースだという。こんなものをひとつとってもクラブではキチンと保管し、活用している [撮影・ライター / きもだこよし]

タイ最大のカスタムカーショー「バンコクオートサロン2023」は日本にいるかのような空間だった
旧車のイベント 2023.08.07

タイ最大のカスタムカーショー「バンコクオートサロン2023」は日本にいるかのような空間だった

カスタムカーの祭典として、多くの自動車ファンから注目を集める「東京オートサロン」。実は、東南アジアの人気観光地であるタイにも「オートサロン」という名前を冠したカスタムカーイベントがあるのをご存じでしょうか。2023年も「バンコクオートサロン2023」として、6/28〜7/2の5日間にわたりバンコク近郊のインパクトチャレンジャーホールで開催されていました。 東京オートサロンとのつながりも深い、バンコクオートサロン2023の様子をタイのカスタムカー事情や日本車人気とともに紹介します。 10年以上の歴史を誇るバンコクオートサロン バンコクオートサロンの歴史の始まりは、10年以上も前にさかのぼります。初開催は2012年「バンコク・インターナショナル・オートサロン2012」というイベント名で、「東京オートサロン」と正式にライセンス契約を結び開催されました。 バンコクオートサロンはコロナ禍で中止期間もありましたが、基本的に毎年開催されています。自動車メーカーに加え、ホイールや足回り、エアロなどのチューニングパーツメーカーも数多く出展。半分旅行気分でバンコクを訪れている特別感を抜きにしても、単純に自動車ファンとして楽しめる充実したモーターショーでした。 まずは、5日間にわたって開催された、2023年のバンコクオートサロンの概要を紹介します。 展示車輌の多くが日本車 会場奥の広いスペースを確保していたのは、トヨタ、ホンダ、マツダ、いすゞといずれも日本の自動車メーカーです。さらに、東京オートサロン2023の出展車輌の一部も船便ではるばる海を超え、バンコクオートサロンに展示されていました。 タイでは日本車が人気で、街なかでもトヨタやホンダの車をよく見かけます。アフターパーツメーカーやチューニングショップも、日本車を中心にデモカーを制作していました。また、CUSCOやOGURAクラッチといった日本のアフターパーツメーカーもブースを設けるなど、耳に入ってくる言葉を意識しなければまるで東京オートサロンにいるのかと錯覚してしまいます。 90年代JDMが大人気 日本のオートサロンは、メーカーを中心に現行車種か比較的新しい車輌の展示が多いですが、バンコクオートサロンのメインは、1990年代の日本車。 トヨタ 80型スープラやAE86型トレノ、マツダ FC3S型RX-7、日産 R32型スカイラインGT-R、ホンダ EG型シビックなど旧車ファン垂涎のラインナップが、メイン会場のいたるところに展示されていました。 タイで根付いているカスタムカー文化 タイの自動車ユーザーの多くは、思い思いのカスタマイズを楽しんでいます。ホイールやマフラー交換、追加メーターの装備といったライトチューンからエンジンスワップまでカスタマイズ内容は日本と変わりません。タイ名物のトゥクトゥクまで、カスタムマフラーの低音を響かせて走っていたのには非常に驚きました。 特に日本車ベースのカスタムカーが人気で、各々が個性的なスタイリングを楽しんでいます。車検が厳しいうえ、車離れの進む日本以上にカスタムカーへの熱量を感じました。 日本のオートサロンにはない、一般参加も大いに盛り上がったバンコクオートサロン2023のカスタムカーについて紹介します。 現地のアフターパーツメーカーも力を入れた展示 バンコクオートサロンでも、現地タイのアフターパーツメーカーが数多く出展していました。特にホイールメーカーの出展は、ブースも大きく目立っていた印象です。 また、足回りについてはタイ特有の事情があるようで、オリジナルサスペンションを製造する「TunerConcept」の社長は、「タイの舗装路は、日本のようにきれいではありません。タイで快適に走れるよう、オリジナル設計のサスペンションを開発しました」とブランド立ち上げの目的を明かします。一方で「日本製のアフターパーツは、品質が高くタイ人にとても人気ですよ」と、日本人として嬉しい一言も付け加えてくれました。 ちなみに、サスペンションの販売価格は日本円で8万円前後と、日本のパーツメーカーの価格とほとんど変わりません。東南アジアというと物価の安いイメージがありますが、所得も徐々に上がってきた影響で、一般層の顧客も多いとのことでした。 ユーザー参加の展示イベントも開催 バンコクオートサロンでは、ユーザー参加の展示イベントも開催されています。日替わりでテーマが設定されており、チューニングショップやオーナーズクラブを中心に同じ車種が集合し展示されている様子は圧巻です。 R35 GT-Rといった最新車種もありましたが、展示の中心は旧車。ホンダデーでは、EFからEG、EK型までのシビックやDA、DC型のインテグラなどが展示されていました。AWDがテーマの日にはGD型インプレッサやランサーエボリューションの各世代が勢揃い。他にも日産 A31型セフィーロが集合した日もありました。 タイらしい「マイペンライ」の精神を感じる開催日程 最後に、バンコクオートサロン2023の開催日程が、いかにもタイらしい日程だったことについても紹介します。タイには「マイペンライ」という、「大丈夫」や「問題ない」「気にしない」といった意味の言葉があります。 今回のバンコクオートサロン2023では、会場の広さに対して出展社が少ない点が気になり、出展していたメーカーの方にお話を聞いてみたところ、驚くべき回答が返ってきたのです。 タイ最大のレースイベント「バンセーン・グランプリ2023」が全く同じ日程で開催されており、メーカーやチューナーはそちらにかかりきりで多くの団体が出展できていない、さらに自動車ファンの多くがレースイベントに参加しているため例年より来場者は少ない印象とのこと。 日本であれば、東京オートサロンにスーパーGTの開幕戦や最終戦をぶつけるようなもので、関係者間で日程の調整を図るべき事態です。しかし、タイでは「マイペンライ」。出展者も「こちらに来たい人が来てくれればそれでいい」とあまり気にしている様子はありません。いかにもタイらしい精神を感じた瞬間でした。 [執筆・撮影 / 渡邉 篤]

国産自動車第一号「山羽式蒸気自動車」レプリカ製作プロジェクト最新レポート
旧車のイベント 2023.08.02

国産自動車第一号「山羽式蒸気自動車」レプリカ製作プロジェクト最新レポート

岡山県では「国産車第1号・山羽式蒸気自動車」を開発した発明家・山羽(やまば)虎夫の偉業を讃えようと盛り上がりを見せている。 来年2024年で、山羽式蒸気自動車が製作されてちょうど120年を迎える。 旧車王ヒストリアでは、昨年2022年に岡山商科大学附属高等学校 自動車科のみなさんが製作した、山羽式蒸気自動車のレプリカ製作を取材。 今回はその続編として、最新トピックスをお届けする。 ■日本最古の自動車・山羽式蒸気自動車とは 山羽式蒸気自動車は、日本最古の自動車だ。 開発者の山羽虎夫は、1874(明治7)年に岡山県で生まれた。 1895(明治28)年、岡山市天瀬可真町(現在の千日前商店街あたり)に山羽電機工場を開業。 1904(明治37)年、29歳のとき日本で初めて蒸気自動車を開発して実際に走らせた。 その後、1957(昭和32)年に亡くなるまで発明品で数々の特許を取得した。 地元の資産家・森房三と楠健太郎からの依頼で、10人乗りの「乗合バス」を開発することになった。 製作期間は約7ヶ月を要した。 そして試走当日1904(明治37)年5月7日。 試走ルートは表町から京橋を経て、旭川の土手道を走って新岡山港近くまで、約10kmを力走したとされる。 実用化には至らなかったが、この偉業は国産自動車の未来を切り拓いた。 2022年11月、山羽虎夫は日本自動車殿堂(Japan Automotive Hall of Fame)、略称JAHFA(ジャファ)への殿堂入りを果たした。 120年近くの歳月を経て、その功績が認められたのだ。 ▲当時の沿道には試走を一目見ようと大勢のギャラリーが詰めかけたと伝えられている ▲有志団体「山羽虎夫顕彰プロジェクト」により、山羽虎夫像が移設された。人通りが多く試走ルートに近い京橋にたたずんでいる。上の写真は2023年5月2日(火)に行われた除幕式の様子[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] ■山羽式蒸気自動車複製プロジェクトが進む 岡山商科大学附属高等学校 自動車科のみなさんによって製作された山羽式蒸気自動車のレプリカが、「国産自動車発祥の地・岡山」のPRに貢献している。 この複製プロジェクトは、地元の放送局・RSK山陽放送が同校にレプリカの製作を依頼し、自動車科設置(2018年)と創立110周年の記念事業として発足したもの。 昨年の2022年5月7日(土)には、レプリカ完成のお披露目を兼ねた記念走行を実施。 旧車王ヒストリアでも試走ルートを走行した様子を取材させていただいた。 ●国産自動車第一号は岡山生まれ!「山羽式蒸気自動車」を後世に伝えるレプリカ製作プロジェクト ▲2023年5月2日(火)の除幕式にもレプリカが展示された[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] ■京橋朝市「山羽虎夫とはたらく乗り物」に展示 去る2023年5月7日(日)、「京橋朝市」にて「山羽虎夫とはたらく乗り物」と題した試乗展示会が開催された。 京橋朝市は、毎月第一日曜の早朝から催されている。 5月の開催日が、山羽式蒸気自動車が試走した記念日と重なったことから展示が企画されたという。 ▲当日は生憎の雨天 岡山商科大学附属高等学校 自動車科のレプリカ展示をはじめ、自衛隊や警察、消防車両、高所作業車などの「はたらく車」が並んだ。 高所作業車の試乗も体験できるなど、雨の中でもはたらくクルマたちは、やはり人気だった。 ▲京橋朝市の告知ポスターには山羽虎夫のイラストとレプリカが大きく掲載された ▲イベント限定グッズ「山羽虎夫チョコ」[写真提供:岡山商科大学附属高等学校] ▲旧車王ヒストリアの記事をもとに展示用パネルを作っていただいた。ポスターやグッズ、展示パネルなどのデザインを手掛けたのは、京橋朝市魅力アップ事業実行委員会 この日は生憎の雨天だったが、多くの人が足を止めてレプリカに見入っていた。 レプリカの説明を担当していた自動科3年の新田匡さんは 「地元でも山羽蒸気自動車を知らない人が多く意外でした。このレプリカ製作に関わったことで、岡山の歴史にもふれることができ、発見も多かった。卒業までにレプリカの完成度をできるだけ上げて後輩に受け継いでもらいたい」 と話す。 ▲訪れた人に丁寧に説明する新田さん。ちなみに新田さんの好きなクルマはスバル インプレッサWRX。シリーズ2代目の「鷹目」が気に入っているそうだ ■レプリカのアップデート こちらのレプリカは、2022年のお披露目から少しずつアップデートされている。 このさきも改良を重ねながらできる限り複製を目指しているという。 今回の改良部分を伺った。 ●ブレーキを追加 ブレーキは同年代の外国製の車両を参考に製作し、平ベルトでドラム部分を締め付ける構造に。 ●グリップを追加 ハンドルに縄のグリップを装着。 当初は革、布、と候補が上がったが、時代背景を考えたとき、稲わらを生活用具に使用していたことを思いついたという。 そこで「巻き付けるとしたら、入手しやすい荒縄を巻き付けるのではないか」ということで縄になったそうだ。 実際に、年配の方からは「これがええ!」と評判が良いのだとか。 ●蛇口を追加 2つの蛇口があり、1つはボイラーの水を排出するものと考えられる。 1つは鋳造で複製された。 ●減圧弁を追加 構造上、蒸気が抜けないように減圧弁があったと考えられる。 パイプを溶接して作られている。 ■この先も「山羽式蒸気自動車複製プロジェクト」に注目 山羽式蒸気自動車のレプリカは、今後も多様なイベントに展示されるようだ。 8月3日(木)には、岡山商科大学附属高等学校で開催されるサマーセミナー「岡山の偉人 日本で初めて自動車を作ったひと  山羽虎夫について(近隣の小学生対象)」で展示されるほか、秋には県内のカーイベントでの展示も予定されているそう。 旧車王ヒストリアでは今後も、山羽式蒸気自動車に関する続報をお届けしていく。   [取材協力]・岡山商科大学附属高等学校・京橋朝市実行委員会・京橋朝市魅力アップ事業実行委員会・吉備旧車倶楽部 [ライター・撮影/野鶴美和]

ニュージーランド国内最大級の旧車イベント「Ellerslie Car Show」
旧車のイベント 2023.07.12

ニュージーランド国内最大級の旧車イベント「Ellerslie Car Show」

「バックヤードビルド」文化が脈々と受け継がれ、レストアが日常にあるニュージーランドの旧車文化とは一体どんなものなのか。 その一端を伝えるべく、去る2023年4月23日、オークランドにて開催された旧車イベントをレポートしたい。 4月下旬は、夏時間(Daylight Saving Time)を終え、日照時間が短くなり、落ち葉が地面を美しく彩り始める季節。 いわば日本の10月頃だと思えばよいだろう。 会場のところどころに出店した、コーヒーや軽食のフードトラックの前には行列ができ、のどかな時間が過ぎる秋のフェスティバルの様相だ。 曇り空ではあったが、雨がぱらついたのも一瞬で、奥さんが持たせてくれた昼食のお弁当を食べたころには晴れ間がのぞくなど、十分に合格点を与えられる天気だった。 なお、今回の記事においては、定義が曖昧な「クラシックカー」、「ネオヒストリックカー」などといった呼称をあえて使わず、全編を通じて「旧車」と表現させていただく。 ■半世紀以上の歴史を誇るイベント 1972年から続く「Ellerslie Car Show(エラズリー カーショー)」は、ニュージーランドの旧車好きにとって、目玉イベントだ。 毎年2月の第2日曜日に開催されることが通例になっているが、第51回目となる今回は、サイクロン「ガブリエル」を受け、4月23日に延期されての開催となった。 洪水の様子は、日本のメディアでも報道されたので、ご記憶の方も多いだろう。 さらに、昨年はコロナ禍で中止となったので、実に2年ぶりの開催であり、ファンや関係者にとっては「感慨もひとしお」だ。 近年はオークランド・エラズリーのサラブレッドのレースが行われる競馬場「Ellerslie Racecourse」を会場として利用している。 今現在は、レーストラックの改修工事を行っているため、競馬はおこなわれていない。 ■旧車コンクール/競技会の概要 ショーの中心となるのは、「The Intermarque Concours d'Elegance(インターマーク コンクール デレガンス)」という旧車の出来栄えの優劣を争うコンクールで、審査/採点は、ボディパネルやエンジンなど多岐におよび、国際基準に準拠し、極めて総合的である。 競技部門は以下の4つ。 ⦁    チームイベント(Team Event)⦁    マスタークラス(Master Class)⦁    サバイバークラス(Survivor Class)⦁    50-50-50 「50-50-50」を除くコンクール出展車輌は、パレードリング/ステーブル(日本では「パドック」と呼ぶ)に並べられ、審査がおこなわれる。 会場に来る前は、「なんで競馬場?」と疑問に思っていたが、パドックはコース入場前に競走馬が「きゅう務員」にひかれてゆっくりと歩いてまわり、競走馬を落ち着かせるだけでなく、馬体の状態などをじっくりと確認する施設。 クルマはいわば「現代の馬」と思えば、妙に納得がいく。 チームイベントは「チーム戦」、マスタークラスは「個人戦」であり、出展するカークラブが、出来の優れた車輌2台で勝負するのか、他を圧倒できる強力な1台で勝負するのかという違いだけで、採点システムは同じである。 ご想像のとおり、どちらに出展するかという判断には、クラブ同士の駆け引きがある。 なにしろ、同一車輌の2度目の出展は許されないのだ。 それだけに、これに賭けるレストアラー(修復士)の想いは凄まじい。 結果、出展車輌はとてつもなく綺麗だ。 サバイバークラスの勝者は、「ベストサバイバー」と呼ばれる。 その名が体を表すとおり、レストアされていないことが参加条件で、古ければ古いほど、原型を維持していれば維持しているほど、加点が多く入る採点システムになっている。 なお、製造から35年以上経過したクルマだけが参加できる。 「50-50-50」は、出展者は50歳以下、車輌も50歳以下、さらに総費用も50千NZドル以下という制限が設けられ、将来のレストア後継者を育成することが目的といえるカテゴリー。 採点の特徴として、車輌底面とオリジナリティ(原型への忠実性)は対象外となっている。 イベントの継続やレストアの将来を見据えた非常に有益なカテゴリーだと感じた。 なお、コンクール結果の詳細は、運営サイトに掲載されているので、そちらをご覧いただきたい。(https://www.concours.org.nz/concours-delegance.html) ■「クラブ展示」という名の世界旅行 コンクールを周りから支えるのが、クラブ展示(Club Displays)だ。 80を超える参加クラブが、今回のテーマ「The World of Wheels」にちなんで、国別展示をおこなった。 会場を歩くことで、各国を周遊する世界旅行となる訳だ。 これも競技であることから、民族衣装や食も含めた各国のプレゼンテーションも加わり、栃木県にある東武「ワールドスクウェア」のクルマ版とも考えられ、とても楽しかった。 以下、その全てを網羅はできないが、ぜひ、世界旅行の感覚を味わっていただければ、嬉しい限りだ。 ●イギリス(United Kingdom) イギリス植民地だったという歴史も影響し、もっともエリア面積が大きく、扱いブランド数も他を圧倒していた。 世界一美しいクルマとも評されるジャガー「Eタイプ」、BMW傘下で復活するという噂のトライアンフ、「ボンドカー」の常連アストン・マーティン、シティーハンター(冴羽 獠)やミスター・ビーンの愛車でもあるローバー「ミニ」など、とにかく展示台数が多い。 個人的には、フォード欧州が製造販売し、80年代後半にツーリングカーレースで世界的に活躍した、シエラのスポーツモデル「シエラRSコスワース」がハイライトだった。 ●フランス(France) エリアに入るや否や、クルマのデザインや色合い、またその佇まいから、気品やオシャレな印象を受けるのだから、文化とは不思議なものだ。 車高の落ちたハイドロ系のクルマも異彩を放っていたが、2CVの可愛さが際立っていた。 ●イタリア(Italy) エリアに入ると最初に感じたのは、単純だが「赤い」ということだ。 フェラーリやランボルギーニには、屋根付きの特設展示エリアが設けられていた。 当然のことながら、やはり敷居の高さは特別だ。 ●スウェーデン(Sweden) ボルボといえば、「戦車のように硬くて安全」を売りとする、その無骨なイメージがあったのだが、1960年代にこんな流麗なクーペを製造していたとは知らなかった。 ●ドイツ(Germany) メルセデス、BMW、ポルシェ、VW、アウディなど、日本でも見慣れたブランドばかりで、ここでもイギリスの次にエリア面積が大きい印象だ。 ドイツ車は、筆者自身も所有経験があり、300kmを超えるようなドライブ旅行(グランドツーリング)を前に選択肢があるのであれば、間違いなくドイツのステーションワゴンを選ぶだろう。 個人的には、トランスアクスルを使い、重量配分の最適化を図ったFRポルシェと、スキーのジャンプ台を駆け上がる衝撃的なTVコマーシャルや、WRCに4WDの時代を持ってきたアウディ「クワトロ」が大好きだ。 ●アメリカ (United States) 超大国のアメリカといえば、やはり、ハリウッド映画やテレビドラマで活躍する姿を見るたびに欲しくなる、フォード「マスタング」やシボレー「コルベット」などが中心だ。 ● ニュージーランド(New Zealand) 「ニアセブン」といえば、イギリスのケータハムや南アフリカのバーキンなどは知っていたが、お恥ずかしい話、ニュージーランドのフレイザー(Fraser)は初耳だった。 こういう、シンプルで純粋な後輪駆動のライトウェイトスポーツカーには、尊敬の念を抱くとともに強く惹かれる。 ●日本(Japan) 母国は、やはり特別だ。 なかでも気合いを見せていたのは、MX-5クラブの展示。 変な着物姿だったりと、いくつかのディテールには「?」マークであったが、ここまでの愛情を見せてくれているのだから、単純に「ありがとう」だ。 Zクラブの展示では、前期型から一転、全体を丸めた上で、近未来的な横長テールランプを採用した、筆者の大好きなZ31後期型が2台も拝めたのには心が弾んだ。 ■裏話(Inside Story) 実は、この1978年式のスバル「レオーネ」の出展を予定していたオーナーに海外出張が舞い込み、筆者は車輌の搬入出を依頼された「棚から牡丹餅」の参加だったのだ。 当日の早朝、オーナー宅に着くと、奥様がガレージ(本当はガラージと発音する)を開けてくれ、「レオーネ」とご対面となった。 事前のアドバイス通り、チョークを半分程度引き、セルモーターを回したところ、水平対向エンジンが問題なく始動した。 数分経過しても、アイドル時のエンジン回転は、やや不安定だったが、走り出すとトルクも低回転から十分にあり、クラッチ操作にも特段の配慮は要らなかった。 車速が上がるとステアリングも軽くなり、非常に軽やかに走行した。 車輌重量が800kg程度と、現代のクルマからすれば、超軽量ボディなのだから当たり前か。 会場にて展示が始まると、年配であればあるほど、気兼ねなく話しかけてきた。 面白かったのは、何度もフロントフェンダーの「Front Wheel Drive」という誇らしげなバッジに「ツッコミ」を入れられたことだ。 それだけ「スバル=AWD」というブランドイメージを確立しているのだから、大したものだ。 帰りは、気温が落ちたからか、エンジンがご機嫌斜めで、信号待ちする度にストールする危機に。 チョークを引いたり、アクセルを煽ったりと、スリル満点の帰路となった。 キャブレター調整が楽しいという崇高な旧車オーナーも多いのだろうが、少なくとも、筆者はこれが楽しいと感じる「変態」ではないようだ。 電子制御による燃料噴射テクノロジーのありがたさを再認識させてもらった。 ■最後に ニュージーランドへ渡航されるのであれば、この「Ellerslie Car Show」が本来開催される2月上旬を心からオススメしたい。 そもそも10月~3月は日照時間が長く、活動時間が長くとれる夏時間であるだけでなく、たった20NZドルの入場料で、「世界旅行」もついてくるのだから。   [ライター・撮影/tomato]

第68回湘南ヒストリックカークラブ主催ジムカーナ大会を取材!
旧車のイベント 2023.07.03

第68回湘南ヒストリックカークラブ主催ジムカーナ大会を取材!

去る2023年5月28日、雨模様ばかり続いた週末に、ひさしぶりに晴れ間が見えた大磯ロングビーチ大駐車場で、クルマのスキール音が鳴り響いた。 湘南ヒストリックカークラブジムカーナ。駐車場に設置されたパイロンの間をすり抜けて疾走するのは、どの車輌もクラシックカーばかりである。 ■1980年代から続くカークラブ 湘南ヒストリックカークラブ(以下SHCC)のイベントの歴史は旧く、もう40年近くも開催されている。 年2回、この大磯ロングビーチの駐車場を借りておこなわれてきたが、このコロナ禍で何度も規模や開催時期等の縮小ないし変更を余儀なくされ、イベント継続が危ぶまれたこともあった。 それでも今に至ることができたのは、主催者や参加者の熱意が支えてきたといっていい。 この日も国産、外車問わず、またレース競技とは無縁そうな市販車から本物のフォーミュラーカーまで、数多くの車輌が参加していた。 SHCCジムカーナへの参加資格は、1969年までに製造された車輌であること、もしくはそのレプリカモデル。 それ意外に主催者が特別に認めた車輌となっている。 これは年式に関わらず希少であったり特別なモデルである場合など、ゲスト車輌的に参加が認められている。 出走には排気量別に7つのクラスに分けられ、グループごとに順位を競う。 ただし、ミニだけは台数が多いため、別個に2クラスが設けられている。 クラスごとの勝者のほか、総合のタイムでも争われる。 さらに今年は40年という歴史に、新たな栄誉が付け加えられた。 FIVA(国際クラシックカー連盟)の公式イベントに名を連ねることになったという。 これからもますますイベントとして楽しみが増えることだろう。 ■次世代にもつながっているカーイベント ジムカーナ参加車輌以外にも並んでいる車輌がいる。 これは、ACJ(オートモービルクラブジャパン)とのコラボ企画展示の車輌である。 フェラーリやアルピーヌに混ざり、本物の競技車輌である日産の240RSが展示されていた。 1980年代初頭に開催されていたWRCラリー選手権で、グループBの車輌として作られたクルマである。 見学に訪れた人や参加者もクルマに気がつくと、本物のグループBカーに見入っていた。 昼の休憩時間にはテスラの試乗会も催され、大磯周辺の試乗や、0-100㎞までわずか3.5秒という驚異的な加速力の体験試乗(こちらは同乗による)もおこなわれ、みなクラシックカーとは真逆に位置する体験を楽しんでいた。 また、参加車輌ではないが、エキシビジョンで出走準備をしているクルマがある。 ハンドメイドのカートのような姿をしたクルマ。 これは学生フォーミュラと呼ばれる大学の学生チームが、テストをかねて出走させたもの。 この日は東海大学と芝浦工大の学生たちが集まっていた。 SHCCには親子で出走している方もいれば、小学生のころから見学に来ているファンもいる。 この日、会場に真新しいバイクが停まっていたのだが、オーナーいわく免許が取れるようになり、自分のバイクに乗って見学にきたという。 学生フォーミュラだけではなく、幼いころから見続けてきた次世代が、ここでは確実に育っている。 ■イベントの横道を行く どこのイベントであっても、よほどクローズドなイベントでない限り、見学者も入ることができる。 そこにはきっと見たこともない名車や、希少なクルマがひっそりと訪れているに違いない。 そう考えて、毎回イベント会場周辺の駐車場を巡る、いわばイベントの横道を行くことに。 SHCCの会場にももちろん多数生息をしておりました。 アストンマーチン DBXやトライアンフ、いすゞ 117クーペなど、さまざまなクルマがいる中に、ひっそりと小さく停まっていたのは三菱 ミニカF4。 お仲間と来たのか、隣にはスバル R2も佇んでいた。 三菱 ミニカは1962年に登場し、ミニカF4は3代目となる。 1972年にデビュー、360㏄出力32馬力を4速MTで引っ張るそれは、黄金虫シェルと呼ばれる丸みを帯びたスタイルで登場した。 画像左の個体は、グリル形状からするとハイスタンダードかデラックスだろうか? クリーム色の車体が当時を感じさせる車体だった。 ■長く見続けてきてわかること 薄曇りからの晴天と涼しい海風の吹く、大磯ロングビーチ駐車場。 SHCCジムカーナは、今回も素晴らしいコンディションのクルマやレジェンドドライバーと出会わせてくれた。 筆者も飛び飛びではあるものの、SHCCを見続けて10年以上になる。 その都度、新しい出会いや珍しい車輌に楽しさを見出してきたものである。 参加者や見学者も次世代に少しずつ変化している。 かつての自転車少年も、今年はバイクで見学に来ていた。 やがてクルマの免許を取り、また大磯の駐車場に現れることだろう。 そのときはきっと、ジムカーナのスタートグリットにいるに違いない。 [ライター・撮影 / きもだこよし]  

過去最高65台がエントリー!パルサー全国ミーティングに潜入
旧車のイベント 2023.06.12

過去最高65台がエントリー!パルサー全国ミーティングに潜入

行動制限が緩和されたゴールデンウィーク。 観光地は数年ぶりに多くの人で賑わっていた。 イベントも例外ではなく、各地で多くのイベントが開催された。 今回紹介する「パルサー全国ミーティング」も、日本各地はもちろん、海外からもフリークが参加して賑わうこととなった。 パルサーを愛車とする筆者も、参加させていただいたその模様をレポートしたいと思う。 ■パルサーってどんなクルマ? まずパルサーについて解説。 パルサーの歴史は長い。 日産自動車が1978年から2000年まで、5代にわたって発売を行っていた。 当時のメーカーラインナップのなかでは、スタンダードなモデルである。 ボディタイプは世代ごとに違う点はあるが、大まかに3ドアハッチバック・4ドアセダン・5ドアハッチバックが用意されていた。 まだ、海外ではパルサーの名は残っているが、海外専売車となっている。 ■ワンオーナーにレアな個体も!個性ある参加車たち パルサーには派生車も存在していた。 その名は、パルサーEXA(エクサ)というモデルである。 パルサーEXAということだけでも十分にレアなのだが、そのなかでも極めてレアなコンバーチブルが、今回初参加されていた! 1985年に特別仕様車として、100台限りで発売された。 台数から、当時でも大変希少なモデルであることは間違いない。 そんな希少車が、38年の時を経て、ここまでキレイな状態で残っていたことには驚きである。  近年、若い世代の方々が、旧車オーナーになられることが多い。 今回のイベントでも、多くの若いオーナーが参加されていた。 しかし、まだまだ現役! 新車時から乗り続けていらっしゃる、オーナーの方も。 それが、このN14型パルサーGTI-Rだ。 最近、パルサーを長期で修理することになり、必要に迫られ別のクルマを入手されたそうだ。 それまでは、このパルサーとともに過ごしてきたとのこと。 オーナーは「長い年月をともにして、味が出てきているでしょ」と笑いながらおっしゃっていた。 たしかに、映画で観るヨーロッパの街並みに溶け込んだ、コンパクトカーにも見えてきた。 ■筆者の琴線に触れたイチオシパルサーたち 会場で、個人的に筆者が気になったパルサーを紹介したいと思う(筆者のマニアック目線なのはご勘弁を!)。 N14型GTI-Rは、イメージカラーがブラックなのもあり、目にする多くはブラックだと思う。 このイベントでも、半数以上のボディカラーはブラックである。 紹介するのは、GTI-Rのなかでも“超”が付く程のレアカラー「グレイッシュグリーンメタリック」である。 このボディカラーが設定されていたのは、モデルライフ中盤の僅かな期間だけだったのだ。 そのため、長年のGTI-Rオーナーやフリークでも、設定があったことを知らない人が多数であった。 ただ、GTI-R以外のグレードでは長期間設定されており、それなりの人気カラーであった。 どの車種でも、ボディカラー遍歴としてよくあるのは、デビュー時に多くの色を設定。 マイナーチェンジで、不人気色を廃止もしくは差し替えである。 筆者の予想としては、他グレードでそれなりの人気カラーだったことから、試しに設定して様子を見ていたのかもしれない。 結果としてはGTI-Rで選択するオーナーが少なく、廃止になったのではないかと予想する。 次に紹介するのは、N15型VZ-Rのディーラーオプションマシマシ仕様だ。 実は何度か、出先でお見かけしたことがあった。 まるで、ディーラーオプションカタログから飛び出してきたような姿に、驚いたのだった。 今回、参加されていたので、間近で拝見することができた。 大きな珍しいものでは、ストライプ(デカール)とウィンドウスクリーンである、 N15型でサイドストライプを装着しているのは、グレード問わずなかなかお目にかかれない。 まだプライバシーガラスの設定や装着率が低い時代、リアサイド・バックゲートに車名入りのスクリーンが設定されていた。 ■海外から参加のパルサーフリークも! 今回、日本各地からパルサーオーナーたちが集まった。 それだけでもすごいことなのだが、なんとニュージーランドから、このイベントのために来日された方が居られたのだ! 今回の開催地は、人気の観光地にて駐車場の1区画を貸し切りにして行われている。 筆者は最初、開催地へ観光に来た方が、ついでに見学しているのだと思っていた。 しかし、事務局から閉会時に紹介があり、このイベントを目的としてお越しになられていることを知ったのだ。 次の項で紹介するじゃんけん大会の際、非常にレアな海外仕様のテールレンズとフロントグリルがエントリーしていた。 そのアイテムたちは、ニュージーランドからのお土産として持参されたとのことだった! 国籍や文化は違っても、同じクルマが好きなマニアの心は同じなのだ!と、このお土産のセンスから、強く感じてしまった(笑)。 ■過去最長! 2時間にも及んだ白熱のじゃんけん大会 このミーティングの目玉イベントとして、各自景品を持ち寄って行うじゃんけん大会がある。 事前に事務局から、景品持参のお願いがアナウンスされている。 嬉しいことに、年々景品としてのアイテムが増加しているとのこと。 その理由としては、自動車部品に限らず、各地から集まった方々が地元のお土産など、バラエティに富んだアイテムを持参されている。 また、持ち込まれた部品については、出品者にとって不要になったものだとしても、同一車種オーナーからすれば「お宝」が多い。 多くの仲間が集まるこのイベントで、再び使ってもらいたいと持ち寄っているのだ。 また、じゃんけんという平等な方法で、部品の行き先が決まるのも気持ちがよいものだ。 ■総括:今後の記録更新に期待! 今回の参加台数だが、事務局によると過去最高台数の65台とのことだった。 参加されたモデルは、2代目・4代目・5代目が集まった。 最終モデルの生産が終了して23年経っているが、参加台数は増え続けている。 それは、年々台数は減っていても、好きな人が増えているのだと考えられる。 趣味の対象として選ばれる時期になってきたのだろう。 過去のイベントでは、初代・3代目が参加された回もあった。 今後は、歴代モデルのコンプリートをぜひ、実現してもらいたいと願ってやまない。 [ライター・撮影/お杉]

相模原の大自然をクラシックカーで巡る「2nd. Route di SAGAMIHARA」
旧車のイベント 2023.06.05

相模原の大自然をクラシックカーで巡る「2nd. Route di SAGAMIHARA」

去る4月8日の早朝、相模原市にあるアリオ橋本の駐車場の一角がにわかにざわめきだした。 エアを送り込まれて作り出された出走ゲート、出発の準備に余念のないクラシックカーとそのオーナーたち。 2日間に渡って行われるルート・ディ・相模原の始まりである。 ルート・ディ・相模原はトロフェオ・タツィオ・ヌボラーリの相模原ステージとして今回2回目の開催を迎えるクラシックカーラリーだ。 会場である相模原の名所、相模湖や津久井湖といった桜の咲く観光地や富士山麓周辺のワインディングロードを楽しみながらドライブを行う。 ルートはコマ地図と呼ばれる図の指示に従い各所ッチェックポイントを通過していく。 初日は橋本のショッピングモール「アリオ橋本」を出発して、富士急ハイランド内にあるハイランドリゾート&スパを目指し、2日目はそこからゴールである相模湖公園を目指す。 今回は初日の様子をお届けする。 ■出走唯一の国産車1/2222台の戦い 初日の出走は15台。メルセデスやポルシェフェラーリといったクルマが準備を始めるなか、今回唯一国産車でエントリーしていたクルマがあった。 それがトヨタコロナ1600GTだ。 後期型のボディに足回りやブレーキを強化、他の車体との特徴的な違いはフロントフェンダーにエアアウトレットが付き、Cピラーの根元にはトヨタ2000GTのフロントフェンダーと同様の1600GTのエンブレムが付いている。 コロナ1600GTの生産台数は2222台と、トヨタ2000GTの337台と比べれば決して少なくないように思えるが、3代目コロナの総生産台数は57万8534台ということを考えれば、いかにその数がわずかかわかると思う。   実は2日目にはさらにエントリー数が増えてトータルで30台以上になるということで、国産車もさらに数台参加予定であったが、初日は唯一の参加車両であった。 オーナーはこのほかにももう1台コロナを所有している。 そのことからもわかるようにオーナーのコロナに対する思い入れは強いようだ。 それを証明するかのように、ボンネットを開けると、その裏側にはレーシングドライバー高橋晴邦氏のサインがしっかりと書かれていた。 高橋氏といえば、日本グランプリでコロナを駆り総合3位クラス1位になったレジェンドドライバーである。 参加車両は1.6Lの9Rエンジンに5速MTを搭載、リアにあるエンブレムはそのことをしっかりと主張していた。 車体はリペイントされたものだが純正の塗装を再度吹きなおしたもので当時と同じカラーリングになっている。   ■それは復興から始まる街おこし ルート・ディ・相模原の始まりは災害復興支援ともいえる。 令和元年に起きた台風19号により相模原や道志周辺にも大変な被害をもたらした。 このときの土砂崩れで419号線が全面通行止めになり、しばらく通ることができなかったことを筆者も覚えている。 主催者の野呂氏も自身のキャンプ場が壊滅するなど、苦境に立たされていた。 それを復興するにあたり考えたことが、自身のキャンプ場だけを復旧させても何ら意味がない。 地域全体を盛り上げてこの地に観光客を呼び戻さなくてはならないと考え、一般社団法人を立ち上げたという。 そのときに野呂氏の過去にあったレース経験や伝手をを生かして、北海道で20年以上開催されているクラシックカーイベント「トロフェオ・タツィオ・ヌボラーリ」の相模原ステージとして同イベントを立ち上げた。 クラシックカーが走ることにより、相模原の観光資源を多くの方に知ってもらい、また沿道に多くの人が足を運んでもらえるようにと考えたのだ。 スタート会場には相模原を盛り上げるということからも、相模原観光親善大使の女性2名が華を添え、開催の挨拶を市長が行う盛り上げぶりだ。 ■富士急ハイランドを目指して駆ける スタート地点から各車コマ地図に従い、途中の中継地点を目指す。 1日目、2日目と両方で必ず中継地点になるのが協賛会社のひとつである(株)ASISTの駐車場だ。 ここでは両日にわたって昼食を取る休憩地点となっている。 全車両快音を響かせながら相模原の名所や峠道を走り抜けていく。 順位は問題ではない。 彼らが走ることで注目をしてもらい沿道の人に関心を持ってもらう。 多くの方々に走るクルマたちを見てもらい、その歴史的背景や時代、文化といったことに思いを巡らせてもらう。 そしてそれらを次世代へ引き継いでいく。 クラシックカーラリーの趣旨のひとつはそこにあるのではないかと思う。 ■地域の良さを見つめなおすために 富士急ハイランドをゴールに初日のスケジュールが完了する。 翌日には再びワインディングや市街地を駆け抜け相模湖公園にゴールする。 ゴール地点では衣装メーカーによるクルマたちの周囲を彩る異色のコラボレーションやハンドクラフトはじめ、ケータリング等の出店も行われていた。 地域の企業とうまくタイアップを行い、参加者や観客、地域住民にも観光地として素晴らしさや楽しさをあらためて知ってもらう。 それこそがルート・ディ・相模原というイベントの責務であり醍醐味だといえる。 相模湖公園に整列する車両たちはそのことを静かに語っているように思えた。 ■クラシックカー・ツーリング・ラリーイベント「2nd. Route di SAGAMIHARA」https://routedisagamihara.jp          [ライター・撮影/きもだ こよし]  

ベルリンの街が2000台以上のクラシックカーで埋まる日「Classic Days Berlin」
旧車のイベント 2023.05.31

ベルリンの街が2000台以上のクラシックカーで埋まる日「Classic Days Berlin」

去る2023年5月6、7日の2日間に渡り、旧西ベルリンのクアフュルステンダム通りを会場に「Classic Days Berlin(クラシック・デイズ・ベルリン)」が開催されました。 同イベントは、毎年2000台以上の希少価値の高いクラシックカーが通り沿いに展示され、70万人を超える来場者が訪れる大人気イベントです。 高級ブランドショップが立ち並ぶショッピングスポットとしても有名なクアフュルステンダム通りの約2キロメートルを歩行者天国として開放し、クルマの展示だけでなく、飲食のできるフードエリアやトークショーが開催されるステージなども設置され、まるでフェスティバルのようです。 初日の土曜日は曇り空でしたが、日曜日は天候にも恵まれ、多数の人で賑わう大盛況イベントとなりました。 その様子を現地レポートとしてお届けします。 「Calssic Days Berlin」は「人々にインスピレーションを与え、都市と自動車の生きた歴史を伝える」という理念を掲げています。 開催地となったクアフュルステンダム通りは「選帝候の道」という意味を持ち、ベルリン最古の通りのひとつとして16世紀にベルリンの中心地にある王宮から郊外の狩りの館へ出向くために造られたといわれています。 そんな歴史的背景を持つ有名な通りを埋め尽くすクラシックカーたちは、より一層高級感を漂わせ、貴族のようなエレガントで堂々とした佇まいを見せていました。 ズラリと並んだ個性豊かなクラシックカーの多くは個人が所有しており、オーナー自ら運転しながら自慢の愛車とともに通りに登場するといった名物パフォーマンスが披露されました。 好みのクルマが通るたびに歓声が上がったり、多くの人がスマホやカメラを向けて我先にと撮影を開始します。 それだけ珍しく、希少価値の高いクルマが多く、筆者もずっと興奮が止まりませんでした。 メルセデス・ベンツ、アルファ ロメオ、アウディ、BMW、ベントレー、シボレー、シトロエン、DS、ジャガー、ジープ、ランドローバー、マセラティ、フェラーリ、フォード、シュコダ、ボルボ、VW、ポルシェといった、まさにクルマメーカーのドリームチームが集結し、メーカーごと数台ずつ並んで展示されていたのも特徴的です。 また、通りの両側には各メーカーや部品メーカーなどのテントブースやショールームが設置され、クラシックカーや最新モデルの展示販売が行われていました。 ベルリンの街中でも頻繁に見かけるクラシックカーですが、メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンといったドイツメーカーのクルマが多く、白、黒、グレー、赤など定番のカラーが多数です。 しかし、「Classic Days Berlin」では街では見たことのないメーカー、年代、デザイン、カラーが多く、まるでクラシックカーのファッションショーを見ているようで、華やかな気分に浸ることもできました。 そんな魅力的なクラシックカーが2000台以上集結していたなかから、筆者が特に印象に残ったクルマを紹介していきたいと思います。 まず、最寄りの地下鉄の駅から通りにでるとすぐにワーゲンの通学バス「Wagen 1126」が出迎えてくれました。 ベルリンの公共交通機構のBVGが実際に使用していた1957年に生産された2階建てバスに試乗できるサービスを行っており、子どもたちに大人気でした。 ビビッドだけど深みもあるグリーンカラーが美しく、品も漂う「アルファ ロメオ 1300 ti」。1962年から1977年まで生産されていたモデルです。 多数展示されていたメルセデス・ベンツのなかではこちらの「メルセデス・ベンツ 190 SL」は圧倒的な存在感と迫力がありました。 ブラックカラーも渋くて、こんなオープンカーに乗ってみたい憧れのメルセデス・ベンツです。 販売元はテューリンゲン州シュライツに拠点を構える2014年に設立されたクラシックカーとバイクの専門店「エーデルワイス・カスタム」です。 コロンとしたかわいいフォルムながら、車内は高貴溢れるデザインで、これからの季節にもぴったりな淡いブルーが美しい「FMR TG 500」は人集りができるほどの人気を誇っていました。 ドイツの「Fahrzeug- und Maschinenbau Regensburg GmbH(*略称FMR)」が生み出した史上最速のキャビンスクーターとして活躍した「Tiger」は、現在ではオークションにかけられているとのことで、お目にかかれたのはラッキーでした。 展示や販売されていたクルマ以外にも中世ヨーロッパの貴族のファッションに扮した来場者やオーナーを発見して、歴史へのリスペクトを感じさせました。 ほかにも、メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンの年代物のトラックを改造したフードトラックも多数出店しており、同イベントの徹底した主旨にも感心しました。 「Classic Days Berlin」が開催されていたことは以前から知っていましたが、今年のようにきちんと参加したのは初めて。 わずか1日でこれほど多くのクラシックカーを見られるイベントは他になく、来年もまた絶対に参加したいと思えるほど充実した内容でした。 [ライター・撮影/Kana Miyazawa]  

旧車王マガジンは
旧車王
が運営しています

旧車王は、「買取は10年以上の旧車だけ」というコンセプトのもと、旧車・クラシックカーに特化して25年、 累積15,000台以上を買取させていただいております。改造車から希少車まで、適正価格を見極めて買取させていただきます。弊社所属の鑑定士が最短当日で全国無料出張査定いたします。ご契約後の買取額の減額や不当なキャンセル料を請求する二重査定は一切ありません。特別なそして価値ある希少車の買取こそ、確かなノウハウと実績を持つ旧車王にお任せください!

すぐ査定依頼が可能!

Web査定申込はこちら

まずは車について気軽に相談したい

LINEで売却相談する

カテゴリ一覧

# 旧車の魅力と知識 # 旧車の売買と鑑定市場 # 旧車の再生と維持 # 旧車のイベント # 旧車の愛好家たち