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【相談例】
● 車売却のそもそもの流れが分からない
● どういった売り方が最適か相談したい
● 相続で車を売りたいけど売り方が分からない
● 二重査定や減額について知りたい
など
もはや公私ともにインターネットがないと生活できないようになって早20年以上が経った。 たしか1995年頃、当時よく聴いていたラジオ番組で、パーソナリティがしばしば「インターネット」という聞き慣れないキーワードを発していた。 憶えている限りでは、これがインターネットとの出逢いだったように思う。 このときは「何のことやらサッパリ」だった。 それからしばらくして、はじめてインターネットに触れたのは1996年頃だったと思う。 小学生の頃から付き合いのある親友が自力で自宅にインターネット回線を引くというので、配線工事を手伝った。 屋根裏に潜って配線を引き、無事、インターネットが繋がった。 いまやすっかり懐かしいモデムによるダイヤルアップ。 「ピー、プププププププププププププププ」の呼び出し音とともに、ブラウザ上にホームページが表示された。 確かブラウザはいまでは完全に死語となった「Netscape Navigator(略して「ネスケ」)」だった。懐かしい! モニターの画面に映し出されたれたページはYahoo!JAPANだったと思う。 こちらがぽかんとしているうちに文字ばかりのページが表示された。 ここで調べたいキーワードを入力して検索すると、探している情報を調べて表示してくれるのだという。 インターネットのことはよく分からないけれど、調べ物をするには便利だとその親友から教わった。 親友は慣れた手つきでキーボードをたたき、何だか忘れたがクルマのページを検索していた。 ずっと接続していると通話料がかかるとかで、探していた情報を確認すると、すぐにブラウザを閉じた。 おそらくは初の定額プランであろう「テレホーダイ」というサービスを知るのはここから1年以上あとの話だ。 翌年・・・だから1997年だったと思う。 社会人になって、勤め先にもインターネットに接続できるパソコンが1台だけ置かれていた。 いまでもハッキリと憶えているのは、モノは試しと、はじめて検索したのはJ-WAVE(FM局だ)のホームページに番組で流れたオンエアリストを羅列したページを見るためだった。 それまでは、探している曲を調べる方法は皆無に近く、テレビやラジオなどで偶然流れた時間帯を記憶し、局に電話で問い合わせて教えてもらうという、超アナログなやり方だった。 こうして手間ひまを掛けて、ようやくお目当ての曲が収録されたCDを手に入れることができた時代だった。 それがJ-WAVEのホームページには曲名やアーティスト名が表示されており、そのメモを元にCDショップで探すか、分からなければ店員さんに声を掛ければ、喜んで探してくれた。 あまりのお手軽さに感激した記憶がある。 その一方で、1990年代半ばといえば、一時期、各FM局がFM文字多重放送を実施していた。 オンエア中に流れる曲名とアーティスト名が分かるサービスが行われていた。 これぞ求めていた機能に思えた。 しかし、FM文字多重放送に対応した専用ラジオ端末を購入しなければならず、それが1万円を優に超す金額だったので断念したのだった。 FM文字多重放送とは比較にならないくらいインターネットは便利そうだ。 自宅にも回線を引こう。 こうして自宅にインターネットが導入されたのはたしか1997年末頃だったと思う。 当時、PCはデスクトップが主流で、モニターも分厚いブラウン管しかなかった。 液晶モニターもちらほらではじめてはいたが、まだまだ高価だったし、ブラウン管に比べると発色も今ひとつだった。 新品のPCは高くて買えないので、秋葉原のPC専門店で売られていたアウトレット品を購入した。 どのPCを買えばよいか分からなかったので、先述の親友に見立ててもらった。 彼が選んだPCは、当時としては珍しい、CD-Rドライブ付きの富士通FM-Vだった。 何だかんだで20万円を優に超えていた気がする。 痛い出費となったが、インターネットだけでなく、これからはついに自分好みのCDを作ることができると狂喜乱舞したのを憶えている。 その後、専門の業者が自宅に来て配線工事を行い、ついにインターネットが使えるようになった。 またもや親友のアドバイスにより、当時としては主流だったモデムによるダイヤルアップを使わず、奮発してISDN回線を導入した記憶がある。 当時を知る人であれば憶えていると思うが、当時はいまのように常時接続はあたりまえではなかった。 もちろん無線LANなんてありえない。 PCに有線ケーブルを接続しないとインターネットが観られなかった。 さらに、利用料金を気にせずインターネットを使うには、23時から「テレホーダイ(23時〜翌日8時まで)」まで待たなければならなかった。 それまで時間帯は、使用時間に応じて料金が加算される仕組み(通常の電話と同じ)だったからだ。 自宅にインターネットが導入されてからというもの、23時までに用事を済ませてPCの前に陣取るようになった。 おそらく、他の人たちもそうだったのだろう。 日本中のユーザーが23時になった瞬間に同時接続をするものだから、とにかく回線が遅い。 1997年当時のインターネット人口普及率はわずか9.2%だったというが、それでも回線の奪い合いだったことは確かだ。 まともに使えるようになるころには深夜1時を過ぎ・・・なんてことが日常茶飯事だった。 オンライン飲み会とか、YouTubeの動画をガンガン流したり、1GBものファイルを何の躊躇もなくアップロードできるなんて、夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢くらい別次元のことだった。 そんなわけで、当時のネットサーファー(死語)だった人たちは、必然的に夜型にならざるを得なかったように思う。 もちろん、自分も例外ではない。 それから数年経ち、ようやく常時接続が可能となった。 最初のうちは真っ昼間にインターネットを使っても料金が加算されないことに違和感があったのだが、そんなことはすぐに忘れた。 今や、自宅のインターネット環境はWi-Fi接続があたりまえとなり、YouTubeでISSのライブ配信の動画を作業用BGM代わりに流しっぱなしにして作業している。 ●Earth Views: Earth From Space Seen From The ISShttps://www.youtube.com/watch?v=Y1qQZbTF8iQ いつも利用しているファイルのストレージサービスも300GBまでokとのことだ。 ・・・もしかしたら、いま「テレホーダイ」の時代に戻ったらまともに仕事ができないかもしれない。 余談:調べてみたら、テレホーダイのサービスはいまも存在していた。2024年1月にサービスの提供を終了とのことだ。https://web116.jp/shop/waribiki/th/th_00.html [画像/Adobe Stock ライター/松村透]
冬に旧車を運転していて、寒いと感じたことはないでしょうか。旧車の気密性やエアコン性能によっては、寒さを感じる場合があるかもしれません。あまりにも寒いと車を運転したくなくなり、生活にも支障をきたす可能性があります。そこでこの記事では、旧車でも寒さを気にせずに使うためのコツについて詳しく解説します。 旧車は現代の車よりも寒い? 旧車の古さの程度にもよりますが、旧車は現代の車よりも寒い場合があります。車の設計や製造技術が低い時代であれば、ドアの隙間から車内に冷気が入ってきやすいでしょう。パッキンの劣化で気密性が低下していることもあります。 旧車の冬対策の方法 大きな空間を温めようとすると、大きなエネルギーが必要です。そこで冬対策のコツは、温めるところは必要最小限にすること、寒さを感じる肌の部分を集中的に温めることが効果的です。それでは、旧車の冬対策の方法について詳しく見ていきましょう。 温かい衣類を着用する まず暖かい衣類を着用することが基本です。アウターだけでなく最近はユニクロのヒートテックに代表されるような、薄くても保温性の高いアンダーウェアも多く出回るようになりました。これらの多くは吸湿発熱繊維という、人の汗で発熱する素材が使われています。効果的に取り入れましょう。 ヒーターを設置する ヒーターの利用も効果的です。ヒーターには大きく二つのタイプがあります。一つ目は温風タイプ。ダッシュボード等に取り付け、温風を吹き出すことで温めてくれます。二つ目はシートタイプ。人の肌に近い部分を直接温めるので、効率よく温かさを感じることができるでしょう。温風タイプもシートタイプも、電源はシガーソケットを使います。 保温性のあるシートカバーを使う 電気を使わなくても、保温性のあるシートカバーで温かさを感じることができます。シガーソケットの電源が使えない場合には効果的でしょう。 真冬は乗らない 真冬の寒い時期には旧車には乗らない、他の車を使う、または別の移動手段を選択するのも対策の一つと考えましょう。公共交通機関を使う、近距離であれば暖かい服装で自転車を使うと、運動によって身体を温めることもできます。
いま、とある媒体で自分の愛車を紹介する原稿をまとめているのだけれど、一向にまとまらない。 書きたいことが多すぎるのだ。 編集担当さんの「まとまり次第で結構ですよ〜」のお言葉を額面通りに受け止めて(本心は違うと思うが・・・)、他の仕事の合間に少しずつ進めている。 連休明けには納品したいと思っている次第だ。 いわゆる「ナローポルシェ」といわれる古いポルシェ911を手に入れて早10年・・・。 歴代の愛車遍歴(12台)のなかでも「ダントツに長い」所有期間となった。 10年でダントツに長いなんて・・・。 新車から25年!ワンオーナー車ですよ!といった方を取材していると、尊敬の念を抱くとともに、何だか自分の飽きっぽい性格が恥ずかしく、同時に情けなくなることもしばしばだ。 これまでの愛車遍歴には「3年半のジンクス」という、なぜか見えない壁が存在した。 なぜか分からないけれど、この時期になるとクルマを買い替えるようなイリュージョン(?)が起こるのだ。 その壁を初めて突破したのがナローポルシェだった。 もっとも、所有していたとはいえ、それは名義上の話であり、実際にはレストア中の状態が長く続き、手元に来たのはホンの数年前だ。 いわゆる遠距離恋愛の状況が長く続き(・・・といっても直線距離で10km程度だけど)、主治医のところに足を運んでは、リフトアップされているドンガラ状態の愛車を眺めて「いつ完成するのか・・・」と、思う日々だった。 ・・・いまにして思えば、むしろこれがよかったのかもしれない。 すぐにレストアが完成したら、ここまで手元にある「ありがたみ」を実感できなかったはずだ。 待ちに待って苦労したすえに手に入れた分、ありがたみを実感している日々だ。 それはそれとして、実はいま・・・「3年半のジンクス」が忍び寄っている。 中古で手に入れた、家族用のフォルクスワーゲンのミニバンがそろそろ「3年半のジンクス」を迎えるのだ。 幸い、今すぐに欲しいクルマはないし(一応、GOOやカーセンサーでチェックしているモデルはあるけれど)、現在の愛車に不満もない。 そう。毎回そうなのだ。 しかし、ある日突然、自分でもよく分からないけれど「乗り替えてもいい大義名分(口実?)」や「ホントかよ」と思うようなスペシャルオファーが舞い込むのだ。 なぜだか分からないけれど、それがきっちり「手に入れてから3年半後」だったりする。 そのXデーは来月に迫っている。 今のところは平穏だ。 いまから怖いような、楽しみなような・・・。 [ライター・撮影/松村透]
■エピソード1:なんとなく始まった旧車複数所有生活 ボクはバランス至上主義の天秤座生まれ。 当然、義務教育とオプション教育の年数バランスにもこだわり(?)、6-3-3-6(最後の6は、1年の休学と留年を含む)という学生生活を送っている。 その最後の年となった1978年、学生時代最後のクルマとして、ふと目が合ってしまった1964年式のボルボ1800Sを購入したのだ。 当時は旧車という概念がなかったけど、「品5」ナンバーだったし、今なら普通に2年車検だけど、当時は11年以上経過すると1年車検だから明らかに旧い。 でもね、カッコイイんだこれが!! 気に入ってブイブイいわせていたけど、流石に北国のクルマ、冬は良いのだろうが、夏の室内は我慢大会の決勝レベル。 そこで借金して、マイカー初のクーラーを付けてもらうことになった。 いやぁ涼しい! こちらの画像はスウェーデン工場生産になって車名が「P1800」から「1800S」になった直後のモデルだ。 翌年春、卒業して某国産車ディーラーに勤めたのだが、ボルボは車検が近いし、エンジンやミッションのマウント劣化が激しく修理費用がかかる。 そんなとき、車検が1年ほど残ってるけど、いらなくなったから乗ってよ、ってなわけでホンダLN360がやってきた。たしか70年式あたりだから約9年落ち。 今の感覚では、まだまだ旧車というにはほど遠い存在だったけど、当時は、10年も経ったらポンコツのオンパレードという時代だったから、一般的な視線では旧いクルマに見えたはずだ。 まぁ、クルマを購入、維持するために必死になってバイトをしていた若造のボクは、あっという間に複数所有が成立して大喜び。 まるでおぼっちゃまになったような気分を味わったものだ。 こちらの画像はLN360のカタログの一部。 都内を走る分には不満のないパワーで、当時一緒に暮らしていたワンコとのドライブを楽しんだ記憶がある。 ただ第一次複数所有時代は、約半年という短期間のうちに終了した。 初任給の段階ではボルボの修理と車検は難しく売却することになったからだ。 LN360も、通勤用にコロナHT2000EFI-SLを入手した際に手放すことになった。 短い時間だったが、目的に応じてクルマを使い分ける喜びや楽しさを実体験できたことは、とても幸運だったと思う。 ■エピソード2:複数所有は楽しさ倍増、ただ…… その後も、一時的に複数所有することもあったサラリーマン時代だが、2台以上が旧車といえるパターンは皆無だった。 多くの場合、複数所有の基本は、好きなクルマと普段使う実用車って構成だから、旧車が好きで所有するなら、当然2台目は普通に快適な現代のクルマとなる。 その常識的複数所有パターンが一気に崩れたのは、独立2年目となる1989年のこと。 当時愛用していた新車で買った趣味兼実用のホンダCR-X Siに加え、今も所有する69年式フェアレディSRLを手に入れたのだ。 そのキッカケは、新車購入のCR-X Siの走行距離である。 起業し、通勤、営業、取材、そしてストレス解消の峠走りと大活躍してくれたのだから、 走行距離がガンガン伸びるのは当然だけど、2年弱で10万キロも走っていたのだ。 そろそろ買い替えを…と勧めてきた営業マンに、過走行だから査定の減点がナンチャラと言われてショックを受け、複数所有で走行距離の分散が必要と考えたわけだ。 冒頭の画像は69年式フェアレディSRL311。 89年に日本に帰ってきた帰国子女で、国内最初のオーナーがボク。 今も溺愛している最愛の個体だ。 まぁ、ここまでは自然な流れだったけど、その直後、事態は急変。 付き合いのあったアメ車屋さんから79年式ポンティアックファイアーバードトランザムが、自動車趣味の仲間から70年式スバル1300Gスポーツが同時期に転がり込んできたから、大きな変化に対応するため走り回った記憶がある。 さらにその半年後には、73年型1303Sと76年型1200LSと、2台のVWビートルまで加わり、一気にひとりと6台の大家族となってしまったわけだ。 予期せぬ出会いから無計画かつ強引な増車……ある意味ボクらしいできごとだった。 もちろん、好きなクルマがいつでも身近にあるのは幸せだったが、当時はバブル真っ盛りで、年中無休24時間営業の超多忙な毎日。 とても楽しむ余裕なんてない。 そこで、楽しむために乗れないなら仕事に使っちゃえぇ!! と割り切り、取材や納品、外注先との打ち合わせなど、あらゆるシーンで遠慮なく活用し、コンディション維持に努めていた。 突如訪れた大家族生活で、コンディション維持走行同様苦労したのが自動車税だった。 当時の税額だと、トランザム1台だけで16万円コースだったから、とてもキツかった。 駐車場確保も大切な責務。 でも、自分の性格上、クルマがドンドン増えそうな予感がしたので、あらかじめ農業用倉庫を借りていたので救われた。 ただ、置き場があっちこっちになるのはねぇ……。 台風なんかがくると、クルマが心配でじっとしていられなくなってしまう。 多くの旧車に囲まれた生活は喜びも絶大だが、心労が絶えないのも事実と知ったのだ。 ■エピソード3:ナンバーは選ばず、偶然あてがわれたナンバーを楽しむ!? ボクはある時期哲学にハマっていた。 特にC.G.ユングの提唱した理論である「共時性」には強く共感したのだが、それは、思念のエネルギーと偶然の事象に「関連」を感じていたからだ。 身近な例では、電話番号の下4桁やクルマのナンバーがそれ。 初めて就職した会社の配属先の電話番号下4桁が「9771」で、結婚して最初に借りたアパートに付けた電話の番号下4桁が「7197」。 転職して京都に移り、初めて買ったマンションの部屋が「519号」で、そのときの電話番号下4桁が「5195」だからシンクロしてるように思えるでしょ。 最近でも、「3867」のクルマを代えたら「3864」になって、それを代えたら「3877」だから、なんとなく偶然の引き寄せ現象を感じちゃう。 さらに、その時期に買い足した1台が強烈だった。 友人であるショップオーナーは、910型ブルーバードのバンだから、ナンバーは910にするだろ? と提案してきた。 しかしボクは、偶然の一致を予感するから指定はしないで、と頼み、自分のメモの隅に、多分ナンバーは「38〇〇」or「〇〇77」?と書いていた。 そうしたら、そのナンバーが「8677」!! 笑っちゃうでしょ。 ショップオーナーも驚いていましたよ(^^) この連鎖は、それが最後になって、その後GETした2台には継承されなかったけど、思念が偶然を引き寄せたようで興味深い。 だからボクは意図せずに回ってきたナンバーとともに歩み、次のシンクロを楽しみにしているのだ。 ■エピソード4:2シーターシンドローム 複数所有のメリットは、使用目的に応じたラインアップを構築できること。 例えばボクの場合なら、 1.フェアレディ2000、2.車中泊も快適なミニバン、3.仕事機材が積みやすく機動性に優れる小型ステーションワゴン4.フォーマルな席にも似合う、重厚なセダン5.お買い物やチョイ乗りのアシ ・・・ってなラインアップなら実に明快だ。 実は、東京から兵庫に転居した時点では、この理想に近い状態だった。 セダンは真っ赤なアルファロメオ75TSだったからチョイとヤンチャ系だったけど、足りないのは小型ステーションワゴンだけ。 ・・・で、探し始めたのだが、ここに割り込んできたのがポルシェ964だった。 ステーションワゴンとはほど遠いし、よりによってRSR仕様に作り上げた2シーター。 もちろん金額も圧倒的に高かったのだが、つい、買っちまったのである。 その頃、中古で購入後5年強乗ったプレサージュに大きな修理が必要となったので、ホンダのシャトル(もちろん中古)に代替え。 さらに、アルファロメオ75TSとアシに使っていたプレオRMも手放すことになり、ラインアップの再構築をしなくてはならなくなった。 そんなとき、ついうっかりヤフオクで「ポチってしまったの」がボクスターだった。 すでに2台のナンバー付き2シーターがあるだけでなく、2台持っていたレース用のフェアレディSRのうち、ノーマルエンジンクラス用の1台にナンバーを付けるプロジェクトも進行中のできごと。 こうして完成してしまったのが、シャトル+2シーター4台というラインアップだ。 こちらの画像は、2シーターが4台揃っちまった頃のボクの所有車両。 ボクスターの奥は、当時、唯一の普通のクルマとして活躍してくれたシャトル。 そこにミニ1300iが加わったので、少しはまともになったけど、2シーターを主体とする多頭飼いの実用性レベルは、チイとばかり低すぎた。 我ながら、なんともマヌケなクルマ選びをしたものである。 現在は、2台のポルシェを手放し、ナンバーを付けたレース用フェアレディは初期型の240Zに変身している。 2シーターは2台に減って、なんとなく実用性が向上したけど、実はこれも一時的。 そろそろ、現在仕上げ中の2シーターが完成しちゃいそうなので、またまたややこしくなりそうだ。 ■エピソード5:多頭飼いを苦しめる任意保険 クルマを運転する以上、事故の可能性はゼロではない。 だから当然のこととして任意保険に加入し、そのリスクに備えることになる。 でもね、この任意保険のシステムは疑問符のオンパレードだ。 例えば、長年無事故を継続して、任意保険で20等級であるドライバーが、初めて複数所有を敢行し、2台目の任意保険に新規加入するとしよう。 そのとき、2台目の特例として、初年度から1ランクアップで7等級から始まるのだが、ここで最初の疑問符が舞い降りてくる。 運転者が契約者本人限定であれば、2台契約しようが5台契約しようが、保険会社が請け負う事故リスクは1台だけの契約と同じはずだからだ。 過去のデータから、車種や地域によってリスクに差があるにせよ、それは保険の基本料率の話であって、等級に差を付ける正当性が理解できない。 この問題を考えると、2番目の疑問符も浮上してくる。 それは、同一個人が何台契約しようが、運転者が契約者本人限定なら、1回の運転で動く車両は1台だけであり、保険会社が背負うリスクも当然1台分だけ。 でも、それぞれの車両に対し、保険契約をしないとならない。 契約者個人は、例えば5台所有の場合、1回の運転時に背負う事故リスクを5台分負担するということになるし、保険会社は1台分のリスクで5台分の保険料収入を得ることにもなる。 運転者はひとりでも、彼の所有する複数のクルマが動き回るというなら話は別だが、これはユーザーが圧倒的に不利となるやり方ではないだろうか。 もちろん、車両保険に関しては個別契約が必要だが、対人、対物、搭乗者など、基本的な自動車保険契約部分に関しては、車両にかけるのではなく、ドライバーにかけるスタイルにするべきだと感じる。 これは、任意保険だけではなく、自賠責保険に関しても同様で、自動運転車両以外は、車両個々ではなく、ドライバーにかけるべき保険と考える。 車種によるリスク変化をカバーしたいのであれば、ドライバー保険としながら、その個人が所有する車両の申告を義務付け、必要に応じた係数をかければ良い。 また、契約しているドライバーが一時的に他車に乗る場合の短期契約もあるとありがたい。 任意保険のシステムが、もっと自由に多頭飼いができるよう改善されたなら、出会ったクルマをもっと気軽に受け入れられるのになぁ、なんて思う今日この頃。 これって、ボクの単なるワガママかな……? [画像/ボルボ 撮影&ライター/島田和也]
リーフスプリングはサスペンション形式の一種で、オフロード車や商用車を中心に多く採用されています。時代の流れとともに採用する車種が減少しつつあるものの、オフロード車を中心に今でも一定の人気があるサスペンション方式です。今回はそんなリーフスプリングの構造や特徴、リーフスプリングが採用された代表的な車種をご紹介します。 リーフスプリングとは リーフスプリングとは数枚の鋼板を重ね合わせた“板ばね”のことで、湾曲した鋼板が元に戻ろうとする力を利用してサスペンションの役割を果たします。 構造がシンプルで壊れにくいことから、商用車ではいまだに主流のサスペンション形式です。また、オフロード車でも多く採用されてきましたが、オフロード性能よりも快適性が求められるようになった現在ではほとんど使用されていません。 リーフスプリングは、板ばねのほかにシャックルという部品で構成されています。シャックルは板ばねの片側先端に取り付けられており、前後に動くことで板ばねの長さ変化を吸収しています。板ばねの長さや枚数、シャックルの長さを調整することでカスタマイズも可能です。 リーフスプリングはリジッドアクスルと合わせて使用される場合が多く、その際にはリーフリジッドと呼ばれることもあります。 リーフスプリングが採用された代表車種 現在、乗用車には主にコイルスプリングが採用されています。過去にはリーフスプリングを採用した乗用車も存在していましたが、今では商用車を除き、リーフスプリングを採用したモデルは新車で購入できません。 ここからは、今でも中古車として高い人気を獲得しているリーフスプリングを採用した車種をご紹介します。 スズキ ジムニー 軽オフロード車として人気のあるスズキのジムニーでは、1970年に初代LJ型が発売されてからJA11型まで前後ともリーフスプリングが採用されていました。 1995年にはJA11型はビックマイナーチェンジを受け、JA22型、JA12型へと進化すると共に、前後コイルスプリングへ変更されています。その後、3代目ジムニーであるJB型には前後コイルスプリングが採用され、同時に丸みを帯びたデザインとなりました。 クロカンやトライアル競技でもJA型のジムニーが活躍しています。エンジンパワーよりもサスペンションが命となるオフロード競技ではJA型ジムニーが上位を独占することも多く、その走破性は今でも健在です。 最後のリーフスプリング採用車であるJA型ジムニーは、そのレトロなスタイルも相まって中古車としても高い人気を獲得しています。20年以上古い軽自動車でありながら、状態のいいものだと100万円を越える取引も珍しくありません。 トヨタ ランドクルーザー 長い歴史を持つランドクルーザーも、長年リーフスプリングを採用してきた車種です。ランドクルーザーの起源となるトヨタジープBJから「ナナマル」の愛称で知られる70シリーズのランドクルーザーまで、リーフスプリングが採用されていました。 70シリーズのランドクルーザーは1999年のマイナーチェンジを受けるまで、前後リーフスプリングが採用されていましたが、次期モデルの80シリーズからは前後ともにコイルサスペンションのコイルリジッド方式となっています。 最後のリーフスプリング採用車である70シリーズのランドクルーザーは、今でもオーストラリアとアフリカの一部で新車が販売されています。1984年のデビューから基本設計を変えずに販売され続けている理由は、「必ず帰ってこられる信頼性」が重要視されているからにほかなりません。 快適性やファッション性よりも、耐久性が求められる70シリーズのランドクルーザーだからこそ、長年に渡ってリーフスプリングが採用されているのです。 リーフスプリングのメリットとデメリット 長らく人々に愛されたリーフスプリングですが、今では商用車の一部にしか採用されていません。ここではリーフスプリングが使われなくなった理由と、そのメリット・デメリットをご紹介します。 リーフスプリングのメリット リーフスプリングのメリットは、耐久性に優れ構造がシンプルである点です。 上記でもご紹介したジムニーやランドクルーザーは、過酷な環境で使用される場合が多いモデルです。故障しにくく万が一トラブルが起きた際にも部品の入手が容易であることも重要なため、構造がシンプルで、部品の汎用性の高いリーフスプリングが採用されてきました。 また、リーフスプリングとリジッドアクスルの組み合わせでは、ホーシング(駆動系を収めるケース)の位置決めをリーフスプリングが兼ねています。そのため、部品点数が少なく、コストダウンを実現すると共に部品一つ一つの剛性も確保できます。 リーフスプリングのデメリット リーフスプリングはオフロードでの信頼性が高いものの、乗り心地が悪い点がデメリットです。 板ばね自体が重いため、どうしても重量が増えてしまいます。それは単純な車両重量だけでなく、“バネ下重量”が増加するということであり、これがリーフスプリング最大の弱点です。バネ下重量が増えるとサスペンションの動きが悪くなり、オンロードでは操縦安定性も低く、速度の上がるような場面では不安を感じる原因になります。 オフロードでは絶大な信頼性を持つリーフスプリングも、日常づかいでは不便に感じることが多く、そのことが乗用車で採用されなくなった大きな要因です。 まとめ リーフスプリングはその頑丈さと硬派な乗り味から、悪路の走破性を重視するオフロード車では今でも人気の高いサスペンション方式です。 しかし、SUVが全盛の昨今では、硬派な悪路の走破性よりも快適性やオンロードの操縦安定性が求められています。そのため、商用車を除いて、今後販売される新型車でリーフスプリングを採用した車種が登場する可能性は低いでしょう。
車の税金には、エンジンの排気量で決まる自動車税、車両重量に応じて課税される自動車重量税、燃料にかかるガソリン税や軽油取引税などがあります。今回は、自動車税の金額や排気量が大きい車を選ぶメリット・デメリットについて解説します。エンジンの排気量に応じて決まる税金について知りたい方は参考にしてみてください。 車の排気量が関係する税金は「自動車税」 自動車税は、車のエンジンの排気量によって税額が決まる税金です。排気量が小さいほど安く、排気量が大きくなるほど高くなります。 ただし、軽自動車は(エンジン車・電気自動車ともに)一律料金となります。 また、排出ガスを出さない普通車(登録車)の電気自動車は、エンジン排気量1000cc以下の区分です。 車の排気量別の自動車税 車の排気量別の自動車税を見てみましょう。 【自動車税一覧】※( )内は2019年9月までに購入した場合の税額 軽自動車(エンジン車・EVともに) 10,800円(10,800円) 1,000cc以下(普通車のEV) 25,000円(29,500円) 1,000cc超1,500cc以下 30,500円(34,500円) 1,500cc超2,000cc以下 36,000円(39,500円) 2,000cc超2,500cc以下 43,500円(45,000円) 2,500cc超3,000cc以下 50,000円(51,000円) 3,000cc超3,500cc以下 57,000円(58,000円) 3,500cc超4,000cc以下 65,500円(66,500円) 4,000cc超4,500cc以下 75,500円(76,500円) 4,500cc超6,000cc以下 87,000円(88,000円) 6,000cc超 110,000円(110,000円) このように、エンジン排気量に応じて税額が決まっています。 そもそも車の排気量とは 車の排気量とは、エンジンが吸い込める空気の量で、シリンダーの容積の合計となります。 車のカタログの「総排気量」が自動車税に関係するエンジン排気量の数値です。カタログでは、1500ccなどのキリがよい数字ではなく、1495ccや1371ccなど細かく表記されています。 また、上記の「排気量別の自動車税」では、単位を「cc」としましたが、車のカタログでは「cc」のほかに「L(リッター)」で表記されていることもあります。 排気量が大きい車のメリット・デメリット 自動車税を安く抑えるためには、小さいエンジン排気量の車を選んだ方がよいです。一方、市場にはエンジン排気量が大きい車も流通しています。では、エンジン排気量が大きい車のメリットやデメリットは何なのでしょうか。 メリット エンジン排気量が大きい車は、パワーがあるため、力強くスムーズな走行ができるというメリットがあります。また、エンジン回転数を低く抑えることができるため静粛性も高いことが特徴です。 高回転まで回せる大排気量エンジンは、ゆとりある走りを楽しみたい方におすすめだといえるでしょう。 ただし近年では、ガソリンエンジンにモーターを組み合わせたハイブリッドや排気量を小さくしてターボやスーパーチャージャーなどの過吸器を装着したダウンサイジングエンジンなども多いため、エンジン排気量が小さくても大排気量並みのパワーを出せる車もあります。 そのため、最高出力や最大トルクなどを見て車を選ぶようにするとよいでしょう。 デメリット デメリットは、自動車税が高額になることです。また、エンジンが吸い込む空気の量が多いことから、燃費も悪くなります。そのため、税金を安く抑えたい方やパワーが必要ない(山道や上り坂などの走行が少ない)方は、大排気量エンジンを選ぶ必要はないといえるでしょう。
クルマを親の名義で使用し続けることに問題はないのでしょうか。今回は、親名義でクルマを使用する場合のメリットやデメリット、クルマを売却するときの手続き、親から自分に名義を変更する方法について紹介します。親の名義でクルマを使用することに問題がないか心配になっている方は参考にしてみてください。 クルマを親名義で使用するメリット 親の名義でクルマを使用しても、親が加入している自動車保険の補償が適用される場合があります。 ただし、「本人限定」や「30歳以上」など、運転者や年齢条件が付いている契約の場合は、補償が適用されません。 別居している家族の場合は、「別居の未婚の子」であれば親の自動車保険を適用できます。 クルマを親名義で使用するデメリット ここからは、親の名義でクルマを使用するデメリットを紹介します。 自動車税(種別割)の納付書が親の元へ届く 自動車税(種別割)の納付書は、車検証の名義人宛に送付されます。そのため、親の名義でクルマを使用していると親宛に納付書が届きます。 別居の場合は自動車保険に入れない 別居の場合は、親の自動車保険が適用されない場合があります。先述のとおり、「別居の未婚の子」の場合は、親の自動車保険を適用することが可能です。 ただし、既婚の別居の子は親の自動車保険を適用することができません。また、婚姻歴がある現在独身の別居の子は法律上「未婚」ではないため、親の自動車保険を適用できません。 自動車保険の補償を受けられない可能性がある 自動車保険の運転者範囲設定によっては、補償を受けられない可能性があります。 たとえば、車輌所有者が親、記名被保険者が子どもの場合、運転者本人・配偶者限定特約にすると、急に親が運転することになり事故を起こした場合、補償を受けることができません。実際に運転する可能性のある人全員が対象となるよう、適切な運転者範囲の設定が必要です。不明点は保険会社に相談し、自身の状況に合わせて補償範囲を選びましょう。 親名義のクルマを売る方法 ここからは、親の名義のクルマを売却する方法を紹介します。 親が同席できる場合 親が売却するときの手続きに同席できる場合は、親がクルマの売却手続きを進めます。 売却するときに必要となる書類は、車検証、自賠責保険証、自動車税納税証明書、リサイクル券、名義人の実印、名義人の印鑑登録証明書、譲渡証明書、委任状などです。 親が同席できない場合 親が売却するときの手続きに同席できない場合は、クルマの名義を親から本人(子)に変えてから売却手続きします。 クルマの売却は、基本的に車検証の所有者でなければ手続きすることができません。そのため、クルマの所有者を本人に変えてから売却することになります。 親名義のクルマを自分の名義に変更する方法 親名義のクルマを自分名義に変更するには、管轄の陸運支局で手続きが必要です。具体的には、下記の書類と費用を準備します。今回は新所有者が手続きする場合に用意するものを紹介します。 【書類】・車検証・車庫証明書(申請・証明の日から40日以内)・譲渡証明書・印鑑証明書(新旧所有者どちらも/発行から3ヶ月以内)・実印(新所有者)・申請書・手数料納付書・自動車税税(環境性能割・種別割)申告書・委任状(旧所有者の実印あり) 【費用】・車庫証明:2,500〜2,900円程度(地域による)・申請手数料:500円(変更登録は350円)・ナンバープレート代:1,500円程度 ▼下記の記事では、クルマの名義変更の流れや期限を含めた詳細な内容を解説しています。ぜひ、参考にしてください。クルマの名義変更とは?必要書類や手続きの流れ・期限などを紹介
クルマの名義変更をすると、基本的に贈与税がかかります。ただし、誰から誰に名義変更をしたのかや、贈与の目的、用途などによって異なります。 今回は、クルマを名義変更した際に贈与税がかかるケースとかからないケース、計算方法などについて詳しく解説します。 クルマの名義変更で贈与税がかかるケース クルマにかかる贈与税は、第三者へ車を譲り渡したときだけでなく、親から子にクルマを譲渡したときや夫婦間で譲渡したときにも発生する場合があります。ここからは、親子間と夫婦間における車の贈与税について解説します。 親子間 クルマを譲渡したり買い渡したりしたときは、基本的に贈与税が発生します。高級モデルのように嗜好性や趣味性が高い車などの場合には、贈与税がかかる可能性が高いです。 夫婦間 クルマを譲渡したり買い渡したりすると、夫婦間であっても贈与税が発生することがあります。セカンドカーとして嗜好性や趣味性が高いクルマなどを購入した場合には、贈与税が発生する可能性が高いです。 クルマの名義変更で贈与税がかからないケース ここからは贈与税が発生しない場合について紹介します。 親子間 日常生活においてクルマを使用する場合、贈与税は発生しません。たとえば、子が大学に進学して、名義変更したクルマで通学する場合です。 扶養義務者からの生活費や教育費に充てるための財産は、基本的に贈与税がかかりません。これは、生活費や教育費に贈与税をかけると、経済的な負担から扶養義務を果たせない可能性があるためです。 参考:国税庁「扶養義務者から生活費または教育費の贈与を受けましたが、贈与税の課税対象となりますか。」 ただし、名義変更してすぐにクルマを売却し、そのお金を預金や投資に充てた場合は贈与税が発生することに注意が必要です。 夫婦間 夫婦間でも扶養義務があるため、親子間と同様に日常生活においてクルマを使用する場合は、贈与税が発生しません。たとえば、妻が通勤や買い物でクルマを使用する場合です。 ただし、高級車など趣味性の高いクルマを贈与した場合は嗜好品として判断され、贈与税がかかるケースもあります。「知らない間に贈与税が発生していた」という状況を避けるためにも、名義変更する前に専門家へ相談するとよいでしょう。 クルマにかかる贈与税の計算方法 クルマにかかる贈与税の計算方法は、次のとおりです。 「基礎控除後の課税価格(計算式:財産の額-110万円)×税率−控除額=税額」 基礎控除後の課税価格は、車の金額から基礎控除額110万円を引いた額です。 税率と控除額は、国税庁ホームページに記載されている「贈与税の速算表」を参照します。 贈与税の速算表には、「一般贈与財産用」と「特例贈与財産用」の2パターンがあり、どちらに該当するかは誰から誰に贈与されたのかという状況によって異なります。 ■「一般贈与財産用」と「特例贈与財産用」の違い・一般贈与財産用:特別贈与以外・特例贈与財産用:父母や祖父母などから子や孫に贈与された場合※贈与された人が贈与を受けた年の1月1日において18歳(令和4年3月31日以前の贈与については20歳)以上の場合 ■基礎控除後の課税価格と税率と控除額 【贈与税の速算表:一般贈与財産用】 基礎控除後の課税価格 一般税率 控除額 200万円以下 10% なし 300万円以下 15% 10万円 400万円以下 20% 25万円 600万円以下 30% 65万円 1,000万円以下 40% 125万円 1,500万円以下 45% 175万円 3,000万円以下 50% 250万円 3,000万円超 55% 400万円 【贈与税の速算表:特例贈与財産用】 基礎控除後の課税価格 特別税率 控除額 200万円以下 10% なし 400万円以下 15% 10万円 600万円以下 20% 30万円 1,000万円以下 30% 90万円 1,500万円以下 40% 190万円 3,000万円以下 45% 265万円 4,500万円以下 50% 415万円 4,500万円超 55% 640万円 クルマの金額と上記の計算式と速算表を使って贈与税を計算します。 クルマの評価額の算出方法 クルマは「一般動産」に該当し、売買実例評価をもとに評価額を算出できます。動産とは、土地や定着物である不動産以外のことで、一般動産は機械や運搬具などような商品や美術品以外のものが該当します。 売買実績評価をもとに評価額を算出する際は、中古車市場の中から同じ車種やグレードの車輌本体価格を参考にします。車輌本体価格は、中古車販売または買取業者のホームページで確認が可能です。 ただし、車輌本体価格には販売店の利益が10〜20%程度含まれているため、下記のように算出しなければなりません。 例:150万(車輌本体価格)×80%(利益の差額)=120万円 売買実績評価が不明な場合は、業者に査定を依頼してクルマの実際の価値を判断するか、減価償却法で評価額を算出する方法もあります。 減価償却法とは、所有している資産を法定の耐用年数に従って算出する方法のことで「普通車 6年」「軽自動車 4年」と定められています。中古車の場合は、新車とは異なり既に使用されているため、下記のように使用期間を考慮して耐久年数を計算しなければなりません。 ・(法定耐用年数-経過年数)+(経過年数×0.2) なお、減価償却法は耐用年数の算出のほかに償却費も算出する必要があります。計算方法が複雑なため、専門家に算出してもらうとよいでしょう。 クルマの贈与税をかけない方法 ここからは、クルマの贈与税をかけない方法について紹介します。 名義変更しない クルマを貸す場合は名義変更しないため、贈与税はかかりません。 ただし、任意保険の契約内容次第では、保険が適用されないことに注意が必要です。たとえば、親から子へクルマを貸したのにもかかわらず、保険の適用範囲が所有者や配偶者に限定されている場合です。仮に子どもが事故を起こすと保険金が支払われません。 クルマの貸し借りを行う際は、保険の適用範囲を確認し、必要に応じて変更しましょう。 評価額が110万円以下になってから贈与する 贈与税は、年間110万円を超える贈与に対して課税されます。そのため、クルマの評価額が110万円以下の場合は贈与税がかかりません。 新車や高額車の場合、評価額が高いため贈与税の対象となることがほとんどですが、基本的にクルマの価格は年月が経過するほど安くなるため、市場価値が110万円以下になった時点で贈与すれば、贈与税の支払いを避けることが可能です。
先日、群馬県邑楽郡で開催された「OURA86 meets 2022」の模様を取材してきた。 現在、鋭意原稿をまとめているところだ。 当日の予報は雨。 しかも、台風14号が接近しているという、開催するかどうか難しい判断が迫られるイベントだったように思う。 イベントの案内には「雨天決行(荒天の場合は途中で中止)」とあったので、主催者は「基本的には開催しまっせ」という心づもりなんだろうなと思っていた。 事実、前日夜に公式Twitterにアップされた内容に目を通す限り「中止」するつもりは毛頭ないらしい。 文字どおり「雨天決行」になりそうだ。 果たしてイベント当日、開演の30分前、午前9時30分に会場に到着。 奇跡的に現地は曇り。 雨は降っていなかった。 千載一遇のチャンスとばかりに、大急ぎで参加車両を撮りまくった。 それは他のギャラリーや取材者の方たちも同じようで、夢中で展示されているハチロクを撮影していた。 つまり、みんなもうすぐ雨が降ってくることを想定していたわけだ。 最近はスマホを片手にじっくりと動画を撮影する人(おそらく自身のYouTubeチャンネルに公開するのだろう)が増えてきたので、うっかりすると自分が見切れてしまったり、お互いによそ見をしていてぶつかってしまうこともある。 気をつけなければ。 だがしかし・・・あるていど覚悟はしていたが、撮影開始から1時間も経たないうちに本降りの雨が降ってきた。 当日の靴はレインブーツ、カメラにレインカバーを被せ、自分自身もレインコートを着て撮影続行。 傘片手に撮影なんてできっこないのは分かっていたので、あらかじめ用意しておいて正解だった。 とはいえ、周囲を見回しても、こんな格好で撮影している人なんて1人もいない。 端から見れば、雨ガッパにカメラカバーの重装備で寝そべって撮影しているなんて自分くらいなものだ(笑)。 重度のハチロクマニアに思われるだろうが、そんなことはもはやどうでもいい。 大事なのは撮れ高だ。 こうして3〜4時間、ぶっ続けで撮影して一息入れたころには、レインコートやレインブーツも用をなさない。 カメラ以外、何もかもずぶ濡れだった。 まぁ、どうにか撮れ高を確保できたので良しとしよう。 受付の方に挨拶を済ませて帰路についた。 ひとつ気になったのは、手塩に掛けて面倒をみてきた愛車がずぶ濡れになってしまったことをオーナーさんがどう思っているか、なのだが・・・(それを承知でエントリーしてきたのだと思うが)。 前にもどこかで書いたかもしれないが、オーナーインタビュー当日、雨の予報だった場合は基本的に延期としている。 たとえ晴れていても、路面がウェットの状態で愛車を走らせるのを嫌うオーナーさんもいるので、相談のうえ、延期にする場合もある。 さらに古いクルマだと、冬場だと残雪があったりして、塩カルを嫌うオーナーさんもいるし、海沿いでの撮影を避けて欲しいという方もいる。 錆を気にしているからだ。 「えー!そこまで気にするのかよ!?」と思うかもしれないが、自分の感覚では珍しいことではない。 それくらい気にしてやっと取材がスムーズに進むイメージがある。 もちろん、なかには旧車だろうが、日本に1台しか存在しないような貴重なクルマのオーナーさんであろうが「雨や台風なんてそもそも気にしない」という人もいる。 クルマなんだから走ってナンボ、汚れても気にしないというわけだ。 クルマ本来の正しい使い方だし、その潔さに敬服する。 とはいえ、春先、梅雨時、そして秋雨と、年間をとおして雨が多い時期は意外と多い。 そうなると、取材延期になることもしばしば。 1、2回延期というのはザラにあるのだが、数年に1度、あるかないかの頻度ではあるけれど「何度も何度も雨天延期になる」ケースがある。 4回とか、5回とか・・・。 そうなると最初の予定日からようやく取材ができるまで数ヶ月後、ということになってしまう。 なかにはオーナーさんがしびれを切らして音信不通になってしまうこともある。 できるだけオーナーさんに嫌な想いをさせないよう努力しているつもりだが、どうにもならないこともあるわけで・・・。 雨で取材が延期になるたび(割と確率が高い気がする)、ドラえもん34巻に登場する「雨男晴れ男メーター」で具体的な数値を計測してもらって真実を明かしてほしいと思ってしまう。 ちなみに、各キャラクターの計測結果は(プラスが晴れ/マイナスが雨)・ドラえもん:プラス1.5・のび太:マイナス2.0・のび太のパパ:マイナス8.5・しずかちゃん:プラス9・スネ夫:マイナス7・ジャイアン:プラス10 ・・・とのことだ。 ジャイアンプラス10!!おそるべし!究極の晴れ男だ。 しずかちゃんもプラス9なのでかなりの晴れ女! ジャイアンだと面倒くさそうだから、毎回しずかちゃんに取材同行をお願いしようかなと思ったり。 余談: 旧車オーナーが雨を嫌う理由は錆以外にもある。 それはエアコンだ。 エアコンレスのクルマだと、雨の日は窓の内側が曇ってしまう。 雨に濡れるわ、窓ガラスは曇るわ、錆は進行するわ・・・のまさに「三重苦」。 信号待ちのたびにタオルで拭き取ることになるのだが、これがけっこうな「苦行」なのだ。 [ライター・撮影/松村透]
日本のスポーツセダンを牽引し続ける「スカイライン」。今では日産を代表する車種として認識されていますが、その源流は日産に吸収合併される前のプリンス自動車という国内メーカーが生み出しました。今回は、特に名車の呼び声が高い2代目スカイラインのレースモデル「スカイライン2000GT」にフォーカスを当て、プリンス自動車 スカイラインについて振り返ります。 プリンス自動車から始まった名車スカイラインの歴史 1950年代にプリンス自動車によって開発されたスカイラインは、当時としては先進的なデザインと性能を誇る小型車でした。初代の成功により誕生した2代目は、高性能スポーツセダンとしての地位を確立します。 2世代に渡って開発されたスカイラインは、常にクラストップの先進性と性能を誇っていました。 戦後すぐに生まれた国内トップクラスの小型車 プリンス自動車 スカイラインの誕生は、終戦から12年後の1957年で、プリンス自動車の前身である「富士精密工業」によって開発されました。 従来のプリンス車から構造を一新したオリジナルのセミ・モノコックボディに、アメリカンスタイルのボリュームあるボディデザインを採用しています。当時の国産車としては先進的なスタイリングが特徴的でした。 また、クラストップの性能面も、多くの注目を集めました。新型エンジンではないものの、改良されたGA30型エンジンは、同クラスで競合するトヨタや日産を超える60psを発生。当時の国産1,500cc最速となる125km/hを達成しています。 スカイラインの地位を確立した2代目S50系 スカイラインは、初代発売から6年後の1963年にフルモデルチェンジを受けます。明確に小型量産車市場を狙った2代目のボディデザインは、初代とは異なるヨーロピアンテイストに変更されました。 新たに採用したモノコックボディによって軽量化と高剛性も実現し、高性能スポーツセダンとしての認知を高めていくことになります。搭載されたG1型1.5L直列4気筒OHVエンジンは、クラストップの性能とともにメンテナンスフリーエンジンとしても話題を呼びました。 2年間または4万kmの保証をつけたエンジンは、シリンダーヘッドとエンジンブロックを「封印」しました。必要なメンテナンスは6000kmごとのオイル交換と3万kmごとのエアクリーナー交換だけとされています。さらに、サスペンションやステアリングギアボックスも1年間または3万kmまでグリスアップ不要で、日本初のメンテナンスフリー車として販売されました。 スカイラインに課された命題はレースで勝つこと S54A型、S54B型として人気の高いスカイライン2000GTシリーズが誕生したのは、レースに惨敗したことがきっかけでした。レースに勝つことを課せられ、結果を残したことで一気に評価が高まったスカイライン2000GT。当時の国内での人気が、S54B型の派生モデルとなるS54A型の発売につながりました。 初戦に惨敗したことで生み出されたS54型 2代目S50系スカイラインは、発売直前に初開催された日本グランプリに出場したものの惨敗を喫しています。この結果を受けてS54型として開発されたのが、スカイライン2000GTにつながるスカイラインGTでした。 エンジンにG7型2L直列6気筒OHCエンジンを採用し、エンジンの大型化にあわせてフロントの車軸を前方に移動させホイールベースが200mm延長されました。標準使用でも105psを発生する高性能モデルで、S54Rと呼ばれるレース仕様車は、ウェーバー製の3連キャブレターを装備し最終的に152ps以上を絞り出します。 そして迎えた第2回日本グランプリで、スカイラインGTはポールポジションを獲得します。レースでは格上のポルシェを抜いて1周ではあるもののトップに立つ活躍を見せ、サーキットに集まったファンを熱狂させます。最終的にポルシェに敗れてしまいますが、上位を独占するという輝かしい結果を残しました。 スカイラインGTはホモロゲーションを満たすために合計100台が製作されましたが、レース結果を受けて一般販売用として用意された92台はすぐに完売。スカGの愛称がつけられるなど、スカイラインGTの発売を望む声が高まっていきました。 世間の強い要望によって発売されたスカイライン2000GT レースで実力を証明したスカイラインGTを望む声を受けて、カタログ掲載モデルとして1965年に発売されたのが通称54Bと呼ばれるスカイライン2000GT(のちのスカイライン2000GT-B)です。 スカイライン2000GTは、レース仕様とほぼ同スペックで販売され、ウエーバー製の3連装40DCOE型キャブレターに加えて、圧縮比を8.8から9.3に向上させます。その結果、125ps/5,600rpmの最高出力と17.0kgm/4,400rpmの最大トルクを発生させるまでになります。 さらに、3速フルシンクロを備えたトランスミッションにはオーバードライブも設定され、最高速は180km/hを記録し、当時としては日本最高のスペックを誇るモデルでした。 マイルドなスカイライン2000GT-A ファン層が広がったことで「もっとマイルドな2000GTに乗りたい」という声が高まり、派生モデルとなるスカイライン2000GT-A(通称54A)が生み出されます。 スカイライン2000GTの発売からわずか7ヶ月後にスカイライン2000GT-Aが誕生したことで、従来2000GTと呼ばれていたモデルは、2000GT-Bに変更されました。スカイライン2000GT-Aは、エンジンがシングルキャブ仕様となり、54Bに比べるとマイルドなスペックであるものの国内トップクラスの105psを発生させるモデルです。 より幅広い層のスカイラインユーザーを獲得することに成功しました。 現在も人気のスカイラインGT スカイラインのルーツともいえるスカイライン2000GTは、発売が60年以上前ということもあり、市場ではほとんど見かけません。また、歴史的価値と希少性から一般の中古車相場は当てはまらないため、購入したい場合はその都度問い合わせる必要があります。大手中古車サイトで検索したところ1966年式のS54Bが1台だけ見つかりましたが、価格は応談となっていて不明です。 旧車王での買取相場を見ると、1968年式のS54Bが不動車にもかかわらず20万円もの価格がついています。もしガレージで眠っているスカイライン2000GTがあれば、どんな状態でも思わぬ買い取り価格がつくかも知れません。 ※中古車相場は2022年9月原稿執筆時