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旧車の魅力と知識

日産3代目スカイライン「ハコスカ」日本を代表する大名跡「GT-R」の元祖!
旧車の魅力と知識 2022.03.24

日産3代目スカイライン「ハコスカ」日本を代表する大名跡「GT-R」の元祖!

「ハコスカ」の名称で多くのモーターファンに認知されている3代目日産 スカイライン。実はこのスカイラインは、日産にとって節目となる記念すべきモデルでした。プリンスとの合併、レースでの連勝記録、GT-Rの称号の誕生などスカイライン、そして日産の方向性をも決定づけた3代目スカイライン「ハコスカ」の魅力に迫ります。 日産とプリンス合併後初のスカイライン 日産とプリンスの合併後初の新規モデルとして発売されたのが3代目スカイライン、通称ハコスカです。 スカイラインの方向性を決定づけた3代目 3代目スカイラインの登場は1968年。1966年に日産とプリンスが合併したあと、初の新規モデルとして発売されました。 ハコスカの愛称で親しまれた3代目スカイラインは、スカイラインの方向性や日産のスカイラインとしての地位を確立したモデル。とくに発売2ヶ月後に登場したGC10型はスカイライン人気を決定づけたモデルとなりました。 初期型となるC10型に搭載されたエンジンはプリンスが開発したG15型エンジン。一方のGC10型には日産の開発したL20型エンジンが搭載。プリンスのスカイラインから脱却し、日産のスカイラインという地位を確立したのが2000GTとして販売されたGC10型です。 GT-Rもハコスカから始まった 2000GTによって人気を集めたスカイラインはさらに意欲的に新型を投入します。GC10型スカイライン登場の翌年、PGC10型2000GT-Rが追加されました。 2000GT-Rのコンセプトカーは、2000GT発売と同月に開催された第15回東京モーターショーにスカイライン2000GTのレーシング仕様として出品されます。2000GTのエンブレムは赤く塗られ、エンジンには新型のS20型エンジンが採用されました。 レーシング仕様として登場した2000GT-Rは実際にレースシーンを席巻。ツーリングカー50連勝という日本のレース史上不滅の金字塔を打ち立てたのです。 2000GT-R以降、「GT-R」の名はスカイライン最高の走行性能を誇るグレードに冠されるようになります。ちなみに、GT-Rといえば2ドアクーペのイメージですが2000GT-R登場当初は4ドアセダンのみの設定でした。 愛称がつけられたのもハコスカが最初 ハコスカは性能やモデル展開だけではなく、あらゆる面でその後のスカイラインの方向性を決定づけたモデルです。その1つがスカイラインシリーズに名付けられた愛称。スカイラインは「ハコスカ」をはじめ「ケンメリ」「鉄仮面」などさまざまな愛称がつけられています。 初めて愛称がつけられたのが3代目スカイライン「ハコスカ」でした。特徴的な角張ったボディから「箱型のスカイライン」と評されたことが語源です。また、「愛のスカイライン」というCMキャッチコピーから「愛スカ」とも呼ばれました。 4年間で意欲的に新型式を投入した3代目スカイライン 3代目スカイラインに対して、日産がいかに力を入れていたのか。その意気込みが良く分かるポイントは、投入されたモデルの多さです。初期型となるC10型を皮切りに4年間の販売期間で、メインラインだけでも実に4つの型式のモデルが投入されました。 バリエーションの多かったC10型 合併後初の新モデルとなったC10型は、まだプリンスの影響が色濃く残っています。その象徴がエンジンで、プリンス製のG15型1500cc直列4気筒OHCエンジンを搭載していました。 また、展開バリエーションが多かったのもC10型の特徴。ベースとなる4ドアセダン(C10型)をはじめ、エステートのWC10型、バンのVC10型がラインナップされていました。 グレードは「スタンダード」と「デラックス」の2種だったものの、デラックスは「ファミリーデラックス」「ツーリングデラックス」「スポーティデラックス」の3種を展開。さらに、女性仕様の「Lパック」というメーカーオプションまで用意します。当時としてはバリエーションの幅が広く人気を集めました。 日産スカイラインの元祖となったGC10型 C10型発売の2ヶ月後に投入されたGC10型最大の特徴が、日産製エンジンへの変更です。 120psを発生する2,000cc直列6気筒OHCのL20型エンジンが搭載され、大幅に走行性能を向上。エンジンの大型化に伴ってフロントノーズも延伸され、ロングノーズ仕様になります。実は3代目スカイラインはもともと6気筒エンジン搭載を配慮して開発されていたため、ロングノーズ仕様になったことで車全体のバランスが整いました。 モデル名には2000GTの名が冠され、ロングノーズのスタイリングは翌年発売されるGT-Rにもつながります。 記念すべき初代GT-RとなったPGC10型 2000GTのレーシング仕様という位置付けで1969年に発表されたのが、GT-Rの称号が初めて使用されたPGC10型。2000GT-Rと名付けられたPGC10型スカイラインこそが、現在まで続く「GT-R」の初代です。 2000GT-Rはレース車両としての走行性能を追求して開発され、最高出力160psを発生する新開発の2,000cc直列6気筒DOHCエンジンS20型を搭載。サスペンションやステアリングギア比に加えてリアフェンダーの形状までもが変更されたうえ、レースに不要なヒーターやラジオはオプション扱いとされました。 現在まで続くGT-Rの形になったKPGC10型 GT-Rの称号を初めて冠されたのは4ドアセダンのPGC10型スカイラインですが、2ドアクーペという現在まで続くGT-Rの形となったのはKPGC10型です。 登場当初は圧倒的な速さを誇っていた4ドアセダンの2000GT-Rですが、次第にロータリーエンジンを搭載するマツダ車の猛追が始まります。 そこで投入されたのが2ドアクーペのKPGC10型です。KPGC10型スカイラインは従来のPGC10型のホイールベースを短くすることでコーナリング性能を大幅に引き上げ、ライバルの猛追を振り切りました。 また、KPGC10型は。デザイン面で大幅に変更が加えられています。ダッシュパネルなどインテリアに大幅な変更が加えられたことに加えて、フロントグリルや前後バンパーとテールランプなどの外観も随所にデザイン変更が施されました。 まとめ 現在でも日産のスポーツモデルとして続くスカイラインの歴史は、3代目スカイライン「ハコスカ」から始まったと言っても過言ではありません。 また、最高の走行性能を誇るグレードに使用されたGT-Rの称号も3代目スカイラインが元祖。現在では「GT-R」という車名で独立した車種となるほど、3代目スカイラインから使用が始まったGT-Rの名称は日産だけじゃなく日本を代表する大名跡です。 ハコスカは発売からすでに50年以上が経過しました。しかし、すべての起源となったハコスカはスカイラインファンのみならず、多くのモーターファンから今も高い人気を集める車種です。 市場での人気もまさに異次元。高いものでは、1970年式の2000GT-Rが3,000万円以上で販売されていました。さらに旧車王での買取価格は1969年式のPGC10型スカイラインで1,350万円のものもあり、上限1,500万円という高値で取引されています。※価格はいずれも2022年3月現在 [ライター/増田真吾]

詰め込まれた最新技術と豪華な内装がスゴイ!日産 430型セドリック
旧車の魅力と知識 2022.03.24

詰め込まれた最新技術と豪華な内装がスゴイ!日産 430型セドリック

日産 430型セドリックは、センターピラーを持たない4ドアハードトップセダン。安全性と剛性の問題から今ではなくなってしまった4ドアハードトップですが、かつては高級セダンのあかしでした。直線的でスタイリッシュなボディには、当時の先進技術が詰め込み、その姿はまさに高度経済成長の集大成。先進的で豪華な見た目と装備を備えた、日産430型セドリックの魅力に迫ります。 時代の最先端だった430型セドリック 日産 430型セドリックは、40年以上販売が続いたセドリックの5代目として1979年に登場しました。高級セダンとして豪華な内装はもちろん、性能面でも先進の技術が詰め込まれた1台です。 とくに車の核となるエンジンやドライブトレインは、ハイブリッド車登場以前、現代車の基本形がすでに完成していました。 国産市販車初のターボ車はセドリックだった 430型セドリックは、高度経済成長を遂げた1970年代末の車だけあり、革新的な技術や装備が随所に盛り込まれています。 とくに革新的だったのが、国産市販車初となるターボエンジンL20ET。環境性能への要求が高まるなか、高性能と低燃費を実現する切り札として登場しました。その後多くの国産車にターボエンジンは搭載されますが、430型セドリックから国産ターボ車の歴史が始まったのです。また、国産乗用車初の6気筒ディーゼルエンジンであるLD28型もラインナップされていました。 次世代車の基本形となった430型セドリック 430型セドリックに投入された先進技術は、国産市販車初のターボエンジンだけではありません。世界初となる電子制御OD(オーバードライブ)付きフルロックアップ機構4速ATも投入されました。 フルロックアップ機構とは、MT車のように物理的にクラッチ板をつないでしまう仕組みのこと。多くのAT車で使用されていたトルクコンバーターは、液体によって動力を伝達するためどうしても回転ロスが出てしまい、パワーロスとともに燃費が悪化するという点が大きなデメリットでした。 しかし、フルロックアップ機構でクラッチを物理的につなぐことでデメリットを最小限に抑え、燃費性能を向上させました。電子制御フルロックアップ機構は、現在トルクコンバーターを採用するATでは多くの車に備えられている技術です。 そのほかにも、日産初のエンジン集中電子制御システム(ECCS)が採用されるなど、次世代の車を支えるさまざまな技術が430型セドリックで初めて投入されています。 贅を尽くした内装と装備 1970年代後半からバブルにつながる当時の車の特徴は、とにかく内装が豪華なこと。とくにセドリックは、高級セダンのトップに君臨していたトヨタ クラウンを意識して作られたため、贅沢な内装に可能な限りの装備が詰め込まれていました。 応接室のように仕上げられた内装 430型セドリックのインテリアは昭和の応接室がそのまま再現されたかのようなデザインです。インパネは全て深い色の木目調で、車内のいたる所に同様の木目調パネルが使用されています。シートやドアパネルなどは全てベロア調素材でまとめられていていました。 また、オーナーカーでありながら後席の居住性も追求して開発されています。ラジオチューナーやエアコンのコントローラーも木目調パネルに収められていて、天井には後席用の冷房の吹き出し口も完備。 そして、さらに秀逸なのが後席の乗客が足を伸ばせるシートアレンジです。助手席のシート背面部の一部をくり抜くように倒すことでオットマンのようになり、後席から助手席に足を伸ばすことができました。 あらゆる機能が詰め込まれていた 430型セドリックの運転席に座ると、無数のボタンやツマミに目がいきます。各種警告灯や照明を備えたオーバーヘッドコンソールとあわせて、まるで飛行機のコックピットかのような印象。可能な限りの技術を詰め込でいることも、当時の高級車にとって重要なステータスの1つだったのです。 中には、本当に意味があるのか分からない機能まで装備されていました。たとえば、テンキーを備えたドライブコンピューター。カーナビの元祖のような存在ではありますが、走行距離と時間(速度)の計算ができるだけという今となってはおもちゃのような装備です。 他にも、画面もないのにテレビチューナーだけはラジオとは別途備えられていて、専用のコントロールツマミまで用意されていました。 まとめ 1970年代末に新時代の到来を予感させた430型セドリック。販売台数ではライバル車トヨタ S110型クラウンには及びませんでしたが、先進性と独創性から今でも根強いファンがいます。 中古車価格は高いもので300万円を超えるものもある一方、買い取り価格は現在のところ100万円前後。ただし、状態が良ければ相場の倍額での買い取りとなるケースもあります。残存台数は年々減少しているため高騰する可能性もあり、今後の価格動向から目が離せません。 ※価格はいずれも2022年3月現在

唯我独尊のステンレスボディ!バックトゥザフューチャーで脚光を浴びたデロリアン DMC-12を振り返る
旧車の魅力と知識 2022.03.16

唯我独尊のステンレスボディ!バックトゥザフューチャーで脚光を浴びたデロリアン DMC-12を振り返る

「デロリアン」。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85’)で一躍、有名なった “あの車”です。直線基調のステンレスボディにガルウィングを備えた独特なフォルムで時空を駆け巡る「デロリアン」は、当時まさに唯一無二の存在でした。そして映画の公開から40年近く経った今もカルト的な人気を博しています。でも「デロリアン」の魅力はそれだけではありません。それはまさに1人の男の人生をも変えた車だったのです。 わずか1車種しか販売できなかった自動車メーカーデロリアンとDMC-12 デロリアンの正式名称は「DMC-12」。1981年1月から翌年の12月まで、デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)が製造・販売していたスポーツカーです。 DMC は1975年当時、ゼネラルモーターズの副社長だったジョン・ザッカリー・デロリアン氏が自分の理想とする本格的なGTカーを作るために独立し、デトロイトに設立しました。 それからなんと6年もの開発期間を経て完成したのがDMC-12です。「あのデロリアンが作った車」ということもあり、発売開始直後から予約が殺到。しかし、初期型のクオリティがあまりにも低かったことでキャンセルが相次ぎ、同社は経営難に。さらにデロリアン氏の不正経理やコカイン所持容疑での逮捕など、度重なるトラブルに見舞われ、1982年10月に「DMC」社は倒産してしまいます。 念願叶ったDMC-12も、僅か2年でおよそ9,000台が生産されただけにとどまり、後継車開発も断念。DMC-12は、僅か1世代で幕を閉じた不遇な車となってしまいました。ところが、1985年に公開され世界的大ヒットを記録した「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場すると一躍脚光を浴び、現在もコレクション的な車として高い人気を誇ります。 他に類を見ないデロリアン DMC-12独自のメカニズム DMC-12を生み出したDMC社の実態は、理想は高い一方で技術力が圧倒的に足りない自動車メーカーでした。開発部門もなく製造スタッフも経験不足という状況で、最初から理想の車作りを断念したジョン・デロリアン氏。そこで彼はなんと、ヨーロッパの名車のエッセンスを寄せ集めてDMC-12を生み出しました。 そうこれはイギリス、フランス、ドイツ、そしてイタリアの風味漂う、一粒で4度おいしい多国籍車なのです。 ステンレスボディにガルウイングはまさにイタリアン! DMC-12最大の特徴は、メンテナンスフリーでサビないステンレスボディとガルウイングでしょう。 無塗装のステンレスボディは、加工時に付くサンドペーパーの傷がそのまま残ったヘアライン仕上げ。そして、スーパーカーを彷彿とさせるガルウイングとなれば、注目を集めないはずがありません。 このデザインを担当したのがイタリア・カーデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。日本でも117クーペやスバル・アルシオーネSVXのデザイナーとしてお馴染みのジウジアーロは、象徴的なステンレスボディに樹脂製のバンパーを組み合わせ、エッジの効いた近未来的なデザインに仕上げました。ちなみに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の発明家「ドク」によると「ステンレスボディはタイムマシンには好都合」だったそうです。 その後「DMC-12」は純金パネル仕様の追加やターボ車、4人乗り&4枚ガルウイングドア仕様も計画されていましたが、残念ながらDMCの倒産で実現には至りませんでした。 エンジンや足回りも多国籍!? 「DMC-12」に搭載されているエンジンは、プジョー(仏)ルノー(英)ボルボ(独)の多国籍軍が作った合弁会社「PRV」製の2.8L・V型6気筒SOHCエンジン。元々アルピーヌ・A310に搭載されていたエンジンを改良し搭載されました。 最大出力は135ps、最大トルク22.9kgm、最高速度は209km/h。変速機はルノー製(英)の5MTと3ATがラインアップされました。 シャーシを手掛けたのはコーリン・チャップマンが率いるロータス社(英)です。足回りはロータス・エスプリ、サスペンションの一部はロータス・エラン、リアブレーキ・キャリパーはフォード・コルチナからの流用。 このようにヨーロッパ各国で生まれた名車の部品を寄せ集め、イタリア・カロッツェリアのデザインを取り入れ、イギリスの工場で組立てられたのが、アメリカの自動車メーカー「DMC」から発売されたDMC-12です。 デロリアン DMC-12の中古車市場 1981年当時、DMC-12の新車価格はおよそ700万円と高額でした。それから40年経った現在は一体、幾らで取引されているのでしょうか? 2022年3月現在、大手中古車情報サイトで中古市場を見てみるとDMC-12の取引は2件。どちらも1,480万円ほどの高価格で掲載されています。走行距離は3,000キロ、もう一方も13,000キロと低走行車です。 続いては買い取り相場ですが、こちらは非常に希少な車のため残念ながら確認できません。ただその希少性故、コンディション次第では高額査定も望めます。しかし、こういったコレクション性の高い車種の場合、過走行になると査定額が大幅に下がってしまう可能性もあります。 まとめ 自動車メーカーの革命児として名を馳せたデロリアン氏が人生を賭けて作り上げた「DMC-12」。わずか2年という短命でその幕を閉じましたが、40年が経った今もコレクターを中心に高い人気を誇っています。 2022年8月に後継車として「デロリアンEV」がお披露目されると噂されていますが、果たして初代の魅力を継承できているのか。ヨーロッパの風味が漂い、時空をも駆け巡る近未来カー。 多くの人を虜にする一方で、1人の男の人生までを狂わせた「DMC-12」の魅力は、まさに唯一無二の存在といっても過言ではありません。 [ライター/増田真吾]

S660の価格高騰&値上がりはまだ続く?旧車買取専門店が相場推移を解説
旧車の魅力と知識 2022.03.15

S660の価格高騰&値上がりはまだ続く?旧車買取専門店が相場推移を解説

個性的な軽スポーツカーとして人気があるS660。生産終了のアナウンスに伴い、新車購入希望者が殺到しました。そんなS660の中古車相場が高騰していると感じる人もいるでしょう。今回はS660が高騰しているのか、いつまで値上がりが続くのかを詳しく解説します。価格が高くなりやすいS660の特徴も紹介するので、ぜひ参考にしてください。 S660とは S660とは、2015年3月にホンダが発売した、軽2シーターオープンスポーツカーです。1991年に発売され人気があったビートと同様に、S660は「曲がる楽しさ」を体感できます。小さいながらも安定した走りや、本格スポーツカーのような外観など、軽自動車とは思えない優れた走行性能とデザイン性が高く評価されています。 S660の価格は下がっていく!? S660の生産が2022年3月で終了し、ホンダがEV・FCV路線に方針を切り替えると発表したことから、S660のような車は今後生産されないとユーザーから予想されていました。それに伴ってS660にはプレミア価格がついていましたが、中古車市場の変化によって必ずしも値段が上がっていくといは言い難い状況になりそうです。詳しくは次で説明します。 S660はもう値上がりしない? 所謂「旧車バブル」でS660の価格は高騰していました。しかし、そのバブルが崩壊するのも間もなくと言われています。新型コロナウイルスの蔓延による外出の自粛で、旧車や腕時計、骨董品など、目で見るだけでも楽しめるものにお金をつかう方が増えました。この消費行動の変化が、旧車の価格高騰にも大きな影響を与えたと言われています。しかし、昨今では外出の自粛要請も緩和されて人々の生活は元に戻りつつあり、コロナ禍で価格が高騰したものがどんどん値下がる可能性があります。事実、アメリカの中古車販売大手の「カーバナ(Carvana)」の株価は、新型コロナウイルス流行初期に比べて99%も下落しました。(※2022年12月時点)日本にとっても決して対岸の火事とは言えません。売却をご検討されているのであれば、値下がり前の今がチャンスです。 価格が高くなりやすいS660の特徴 続いて、価格が高くなりやすいS660の特徴を紹介します。 こまめにメンテナンスをしている こまめにメンテナンスをしているS660は、価格が高くなりやすいでしょう。S660のようなスポーツカーは、オイル類やラジエーター液の状態がコンディションに大きな影響を及ぼします。また、S660にはターボエンジンが搭載されているため、特にエンジンオイルのメンテナンスが重要です。 S660 モデューロX S660のモデューロXは、価格が高くなりやすいでしょう。モデューロXは、他のグレードには付かない特別なパーツが取り付けられたカスタマイズカーです。新車価格は300万円で、現在は約400万円台後半まで高騰しています。そのため、S660のモデューロXは、高額売却が期待できるでしょう。 2020年1月のマイナーチェンジ以降の「アルファ」 2020年1月のマイナーチェンジ以降のアルファも価格が高くなりやすいでしょう。マイナーチェンジ以降のアルファには、シートヒーターが付いています。冬のオープン走行にはヒートシーターの需要が高いため、価格が高くなりやすいのです。新車価格が200万円に対して、現在は中古車として約300万円で販売されているケースもあります。

AE86の価格高騰&値上がりはまだ続く?相場推移や当時の新車価格を解説
旧車の魅力と知識 2022.03.14

AE86の価格高騰&値上がりはまだ続く?相場推移や当時の新車価格を解説

頭文字(イニシャル)D人気によってコアなファンから熱狂的に人気のあるAE86。そんなAE86の中古価格を気にされている方も多いでしょう。そこで今回は、AE86の概要と最新の中古車市場の動向を踏まえた価格変動について解説します。 AE86とは AE86は通称「ハチロク」と呼ばれ、1983年にトヨタ自動車が販売したコンパクトタイプのスポーツクーペです。リトラクタブルヘッドライトのスプリンタートレノとカローラレビンの2車種があります。価格が安価ながらボディ剛性が高く、FRでパワーもあったため多くの若者の間で人気を博しました。また、スプリンタートレノは頭文字Dに登場し、主人公が乗っていた車としても高い人気を誇ります。 AE86の価格は高騰している? AE86の価格は、2020年から2023年にかけて上昇傾向にありました。2020年以降は新型コロナウィルスの影響で外出が制限され、旅行やレジャーに費やしていた資金が車や腕時計などの高級品に向けられたため、希少価値が高い旧車の価格が上昇したと考えられます。 旧車は現行車にない独自のデザインや性能などにより、趣味性やコレクション性が高いほか、資産価値として扱われていたことも価格上昇を後押しした要因でしょう。 なかでも「スプリンタートレノ GT APEX(ハッチバック)」が値上がりしており、直近1年間で100万円程度価格が上昇しています。 ただし、現在は元の生活に戻りつつあるため、上昇したものが徐々に下がる可能性があります。(※2024年時点)売却を検討している場合は、価格が大きく下落する前に売ることをおすすめします。 価格が高くなりやすいAE86の特徴 現在以上の価格高騰が見込めない中でも、どういった特徴を持つ個体が高値がつきやすいのでしょうか。価格が高くなりやすい3つのポイントを紹介します。 こまめにメンテナンスをしている AE86に限った点ではありませんが、やはりこまめにメンテナンスされている個体は高く評価されやすいです。走り好きなドライバーたちとともに山道や峠を駆け抜け、その爽快な思い出とともにダメージが残っているAE86も多いことでしょう。そのため、他のクルマ以上にメンテナンスの度合いと状態のよさが買取価格に大きく影響します。 修復歴がない 「頭文字D」の影響もあってAE86は走り込まれた個体が多く、あちこちに古傷を負っている場合も少なくありません。もともと希少性の高いクルマですが、修復歴ゼロの個体はさらに珍しいです。そのため、一度も事故を起こしていない、どこも修理していないAE86は高く評価されます。 フルノーマル AE86はドリフト好きに愛されるクルマのため、カスタムされた個体が非常に多く存在します。中古車市場でもカスタムされたクルマが多く、フルノーマルで売られているものは数少ないです。そのため、フルノーマル車は希少価値があり価格が高くなりやすいといえます。 AE86の新車価格は? 当時と現在の物価の違いにより比較しにくいものの、AE68は比較的手が届きやすい価格帯で販売されていました。当時の代表的なモデルの価格は、下記のとおりです。 車種・グレード 新車価格 カローラレビン 3ドア 1600GT APEX 157万8,000円 スプリンタートレノ 3ドア 1600GT APEX 159万8,000円 上記を参考に、AE86を売却するか判断してみてください。 AE86を売るなら実績・知識豊富な業者へ 高いボディ剛性を誇るFR車として人気を集めるAE86。数ある旧車・名車の中でも強い存在感を放っているモデルです。 売却を検討する際には、クルマとしての価値をしっかりと理解している業者を選びましょう。どんな歴史をもち、どういった部分が長年愛されているのかを知っている買取業者であれば高額買取に期待できます。AE86はもちろん、さまざまな車、特に古いクルマに特化したサービスに査定を依頼するのがおすすめです。  

86の価格高騰&値上がりはまだ続く?旧車買取専門店が相場推移を解説
旧車の魅力と知識 2022.03.14

86の価格高騰&値上がりはまだ続く?旧車買取専門店が相場推移を解説

トヨタの人気車種でファンも多いトヨタ86。登場してから2ドアクーペとしては異例の大ヒットを記録しました。そんな86の中古車価格について気になっている方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、最新の中古車市場の事情を踏まえて86の価格変動について解説します。 86とは 現行の86は2012年にスバルと共同開発され、エンジンは水平対向エンジン、駆動方式はFRを採用したことで注目を集めました。走る楽しさを追求したライトウェイトスポーツカーで低価格、コンパクトを実現した唯一無二の車です。 86の価格はどう変動していく? 86の平均中古車価格は、徐々に高騰していました。2020年の8月が207万円なのに対し、2022年2月時点では214万円でした。しかし、今後は中古車市場全体の値下がりが予想されるため、さらなる高騰は見込めないと言われています。 86はもう値上がりしないって本当? 所謂「中古車バブル」で86の価格は高騰していました。しかし、そのバブルが崩壊するのも間もなくと言われています。新型コロナウイルスの蔓延による外出の自粛で、車や腕時計、骨董品など、目で見るだけでも楽しめるものにお金をつかう方が増えました。この消費行動の変化が、中古車の価格高騰にも大きな影響を与えたと言われています。しかし、昨今では外出の自粛要請も緩和されて人々の生活は元に戻りつつあり、コロナ禍で価格が高騰したものがどんどん値下がる可能性があります。事実、アメリカの中古車販売大手の「カーバナ(Carvana)」の株価は、新型コロナウイルス流行初期に比べて99%も下落しました。(※2022年12月時点)日本にとっても決して対岸の火事とは言えません。86の売却をご検討されているのであれば、値下がり前の今がチャンスです。 価格が高くなりやすい86の特徴 さらなる価格高騰が見込めない中で、どのような86が高く評価されやすいのでしょうか。高値がつきやすい86の特徴について解説します。 こまめにメンテナンスをしている こまめにメンテナンスしている86は価格が高くなりやすいです。10年以上前のクルマであるため、メンテナンスをしているかどうかで大きな差が付きます。売却を考えている場合はメンテナンスをこまめに行いましょう。 事故車・水没車ではない どんなに外装や内装がきれいでメンテナンスが行き届いていても、修復歴があると買取価格が大幅に下がってしまいます。逆に言うと、事故を起こしたことがなければ高い評価を受ける下地があるということです。売却を検討している場合は、十分に事故に気をつけて走行しましょう。 ディーラーオプションのカスタム装着車 86はスポーツカーという特性上、カスタムパーツが高査定につながります。特にディーラーオプションと呼ばれるトヨタ系メーカー、TOM'S、TRD、モデリスタなどのパーツをつけている車は高額査定につながりやすいです。  

ヤリスWRCに繋がるトヨタのスポーツ4WDグレード「GT-FOUR」を振り返る
旧車の魅力と知識 2022.03.08

ヤリスWRCに繋がるトヨタのスポーツ4WDグレード「GT-FOUR」を振り返る

トヨタのスポーツ4WDの歴史は、「GT-FOUR」の登場と共に幕を開けました。高い走行性能とスタイリッシュな外観で若者の心を掴みつつ、WRCという世界最高峰のステージで着実に結果を重ねていきます。現在WRCで活躍しているGRヤリスにもつながる、GT-FOURの歴史と魅力を振り返っていきましょう。 トヨタWRCの歴史とともに歩んだGT-FOUR 「GT-FOUR」はトヨタのスポーツ4WD最高グレードとして受け継がれてきた称号です。2車種4世代に渡って使用されたグレードで、その時代の最新技術が投入されていました。 トヨタのスポーツ4WDの礎を築いたGT-FOURは、最終型の3代目カルディナの販売終了まで実に20年以上も使用された伝統のグレード名称です。 トヨタ初のスポーツ4WDとして登場 初代のGT-FOURは4代目セリカ(160系)の追加グレードとして1986年に登場しました。トヨタ初のスポーツ4WDとなり、以降「GT-FOUR」という名称はトヨタのスポーツ4WDを象徴する称号として受け継がれることになります。 GT-FOURはセリカとして3代、別車種カルディナで1代の合計4世代に渡ってトヨタのスポーツ4WD最高峰グレードとして君臨。WRCのベース車両ともなった高い走行性能が魅力でした。 WRCでトヨタ黄金時代を築く 初代160系セリカGT-FOURは、1986年の登場の2年後となる1988年からWRCに参戦します。5,000台販売というWRC参戦規定のクリアを待ったためです。参戦初年度こそランチアに苦戦を強いられますが、翌年には初優勝。さらに1990年には、ドライバーズタイトル獲得と目覚ましい活躍をします。 続く2代目ST185系セリカでは、トヨタのラリー黄金期を築き上げます。1992年から1994年にわたってドライバーズタイトルを3年連続で獲得。さらに1993年と1994年についてはマニュファクチャラーズタイトルも獲得し2冠に輝きました。トヨタのマニュファクチャラーズタイトル獲得は、日本車初という快挙です。 後継となるST205では車両規定違反があったこともあり、GT-FOURによるWRCの歴史は1995年で終了します。 歴代GT-FOUR トヨタのスポーツ4WDとして一時代を築き、トヨタのみならず日本の自動車史に残るGT-FOUR。ここからは、4代目セリカから3代目カルディナまで、歴代GT-FOURについて振り返ってみたいと思います。 映画でも話題になったST165 初代GT-FOURは、185psを発生する2Lターボ3S-GTEエンジンにトヨタ初となるフルタイム4WD車として1986年に登場。すでに販売されていたST160系セリカの追加モデルとして発表されました。 高いスペックとリトラクタブルライトという先進の外観から、若者を中心に注目を集めます。当時はスタイリッシュに乗れる高性能車が人気で、ホンダ プレリュード、日産 シルビアと並んで3大デートカーとも呼ばれました。 また、映画「私をスキーに連れてって」にも登場。劇中で雪道のカーアクションシーンがあり、当時ブームとなりつつあったスキー用の車としても人気が高まりました。 WRC黄金時を築いたST185 ST165の後継車種として投入されたST185型GT-FOUR。エンジンの型式こそ先代と同様の3S-GTEながら、セラミックタービンと空冷インタークーラーによって、40psアップとなる225psを実現しました。走行性能も随所に先進技術が投入され、日本初のトルセン式リミテッドスリップデフ、油圧制御式アクティブサスペンション(限定車)などが装備されています。 WRCには1992年から参戦。6連覇中のランチアを抑えて日本車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得するなどトヨタWRCの歴史のなかでも輝かしい黄金期を築き上げました。 車としての完成度は高かったST205 1993年のセリカモデルチェンジから1年遅れで登場したのが、ST205型GT-FOURです。セリカ最終型のT230系セリカにはGT-FOURの設定はなかったので、セリカとして最後のGT-FOURとなります。 インジェクター容量の増加やメタルガスケットの採用など、改良された3S-GTEエンジンの出力は255psに到達。対向4ポッド(後輪は2ポット)アルミ製キャリパーを採用したブレーキをはじめ、当時のWRカーとしては完成の域に達していました。リトラクタブルヘッドライトを廃止し丸目4灯式ヘッドライトになった点が外観上の大きな変更点です。さらに大型のリアスポイラーを装備し、WRCでの活躍も期待されました。 しかし、ST205型GT-FOURは参戦翌年の1995年シーズン途中で車両規定違反が見つかり、トヨタはWRCから遠ざかることになってしまします。1998年にWRCに復帰する際は車両をカローラに変更していたため、GT-FOURでのWRC参戦はST205型セリカで幕を閉じることになりました。 GT-FOURの称号を復活させた3代目カルディナ ST205型GT-FOURの販売終了から3年後となる2002年、GT-FOURの称号が別車種で復活します。3代目カルディナ(T240系)のターボモデルのグレードにGT-FOURの名が冠されました。 260psまで高められた3S-GTE型エンジンと高い走行性能が魅力で、ニュルブルクリンクでは80型スープラよりも速いタイムを記録したという逸話まで残っています。この逸話には多くの説があり真偽は不明ですが、3Lツインターボのスープラと比較されるほどの高性能であったことは間違いありません。 ただし、用意された設定は4速ATのみということでWRC等のレース参戦車両となることもなくカルディナの販売終了と共に2007年にGT-FOURの名称は終了しました。 まとめ 現在GT-FOURの名称は使われていませんが、GT-FOURの名称を受け継いだ「GR-FOUR」という名称が使用されています。WRCで第2の黄金期を築きつつあるGRヤリスの4WDシステムの名称です。 トヨタ初となるスポーツ4WDに冠されたGT-FOURは、トヨタのWRC参戦の歴史に輝く最初の黄金期を築きました。GT-FOUR以来のスポーツ4WDとなるGRヤリスに搭載されたGR-FOURは、新開発された画期的な4WDシステムです。 GR-FOURもGT-FOUR同様、トヨタ最高の技術が投入された証でもあります。WRCでのGRヤリスの活躍とともに、GR-FOURの今後からも目が離せません。 [ライター/増田真吾]

当たり前じゃなくなる?!10年後に消えるかもしれない装備
旧車の魅力と知識 2022.03.01

当たり前じゃなくなる?!10年後に消えるかもしれない装備

車は世相と技術が反映された製品で、その時代に合わせた装備が搭載されてきました。近年では自動運転、EV化と車は今大きな過渡期にあります。10年後の道路ではどんな車が走っているのか。今後10年で消えるかもしれない装備をみていくと、未来の車の形がより具体的に見えてくるかもしれません。 当たり前は既に変わりつつある車の装備5選 シフトノブ(シフトセレクトレバー)に針が動くスピードメーターなど、これまで当たり前に装備されていると思っているものも、既になくなっている車もあります。 なくなりそうな装備を紐解くと、車の操作はよりシンプルになっていることが見えてきます。車を操作している感覚が楽しい人には少し寂しい面もありますが、車の安全性をより高めるためには仕方のない方向性なのかもしれません。 車の心臓部であるエンジン 車の心臓部であり、ボンネットを開けると存在感を放つエンジン。しかし既にEV車が出始めていて、10年後にはボンネットを開けても小さなモーターが設置されているだけという日がくるかもしれません。 また、エンジンがなくなるということは、エンジンオイル交換も不要になります。さらに、パワーステアリングも油圧式から電動式への置き換えが進んでいるので、パワステフルードも不要になる日がくるでしょう。 MT車の名残であるシフトノブは完全消滅の可能性も シフトセレクトレバー、いわゆるシフトノブはMT車の名残ともいえる装備です。しかし、すでにパドル式、ダイヤル式やボタン式のものも出てきています。さらに安全技術や自動運転技術が進化すると、ボタン1つで車が動くようになる日がくるかもしれません。 アナログメーターは過去の遺物になる 「物理的に針が動く」アナログメーターは、多くの車でフル液晶ディスプレイのメーターが採用され既になくなる方向です。アナログ風の表示方式自体は一部車種で今後も残り続けても、自動運転技術が進むとそもそも速度やエンジンの回転数を逐一確認する必要性がありません。 物理スイッチは減っていく 車をコクピットのように演出する物理スイッチも、今後なくなってしまうかもしれない装備の1つです。エアコンのコントロールなど、一部の機能は既にタッチセンサー式のスイッチになっています。さらに、遠くない将来スマホのように車のコントロールは液晶タッチパネルのみになるかもしれません。 また、電動化がさらに進み、既にワイヤーで物理的に引っ張っているトランクや給油口の開閉もタッチパネルからコントロールできるようになりつつあります。 カーナビそのものは進化するも社外品ナビは厳しいかもしれない 自動運転技術はGPSによる方位測定と、カメラによる3D認識によるものです。つまり、純正のカーナビは自動運転技術の核ともいえる装備なので今後も存続します。ただし、純正のカーナビが外せなくなる以上、社外品のカーナビは入り込む余地がなくなってしまいます。自動運転技術が搭載されていない車種であれば、スマホのアプリの方が、性能も更新性も高いのでそちらに置き換わっていくでしょう。 既になくなってしまったかつては定番装備だったもの4選 かつては当たり前だった装備でも、今では既になくなったしまったものがいくつもあり、なかには法律で義務付けられていた装備もありました。また、オプションとして現在でも残ってはいるものの、時代の流れから選択されなくなった装備もあります。 車内は優雅な喫煙場所 男性の喫煙率が6割を超えていたという時代背景もあり、灰皿やライターが標準装備でした。 前後席の灰皿はもちろん、車種によっては後席にもシガーソケットが備えられ、タバコを片手に運転する当時のドライバーには欠かせない装備でした。 現在では灰皿は小物入れなどに置き換わり、シガーソケットも「アクセサリーソケット」や「電源ソケット」という呼び名に変わってきています。シガーソケット自体は現在でも電源として残っていますが、もともとは「シガー」の名の通りライターが取り付けられていたことを知るかたも年々減っているかもしれません。 法律で義務付けられていた速度警告音 時速100km/hを超えると「キンコン」と鳴っていた速度警告装置。かつては道路交通法で義務付けられていた装備も現在ではなくなってしまいました。法律で定められていた正確な速度は普通乗用車で105km/h、軽自動車は85km/hです。 しかし、日本独自の装備だったためアメリカ政府や自動車メーカーからの圧力で1986年に法律は廃止。以降徐々に姿を消していきました。 安心して運転できたコーナーポール 左前方のバンパーから伸びる1本の棒。運転席から見にくい左前方の位置を示すコーナーポールです。車両感覚にあまり自信が無い人でも、コーナーポールのおかげでしっかり見切りをつけられました。セダンや大きな車だけでなく、コンパクトカーや軽自動車などでもよく見かけた装備です。 現在でも純正オプションやアフターパーツとして販売されていますが、各種センサーやモニターの発達で装備する人はほとんど見かけません。 レースのシートカバーで高級感を演出 かつて車は高級で特別なものというイメージがあり、その演出として定番だったのがレースのシートカバーです。車種やグレードを問わず、多くの車で装備されていました。 最近はみかけることもなくなりましたが、実は今でも純正品として供給されています。しかも撥水性が高められるなど機能性も進化していて、小さな子どもなどを乗せる際はシートの汚れを防ぐアイテムとして有効です。 ただ、どうしても古めかしいイメージから敬遠する人が多いのも事実で、いつかは完全になくなってしまう日も来るかもしれません。 まとめ 慣れ親しんだ装備がなくなっていくのは寂しさも感じます。車の装備は、技術面だけではなく当時の世相を反映したものもあり、振り返ると思わぬ発見もあるかもしれません。 一方、この装備が将来どうなっていくのかを考えるのは楽しいものです。技術の進歩によってなくなるのか、より進化するのか。車を運転しながら思いを馳せてみてはいかがですか。 [ライター/増田真吾]

免許返納は田舎で生活してるとできない?その理由と対策を解説
旧車の魅力と知識 2022.02.25

免許返納は田舎で生活してるとできない?その理由と対策を解説

免許返納は、田舎で生活していると難しいとの声があります。車の運転ができなくなると、日常生活に支障をきたす人もいるでしょう。免許を返納しても今までどおり生活できるように、環境を整える必要があります。ここでは、田舎住まいの人が免許を返納できない理由や生活が不便にならないようにする対策について紹介します。 田舎住まいの人が免許返納できない理由 田舎で生活している人が免許を返納できない理由について解説します。 生活に困る 田舎は、都会と比べてスーパーやコンビニの数が少ないため、車を持っていないと買い物が不便になる場合があります。生活必需品や食べ物などが急に足りなくなることもあるかもしれません。そのようなときに、公共交通機関が近くにない場合は、車で移動する必要があります。結果、高齢者になって免許を自主返納した方が良いと想っていても返納できないのが現状です。 仕事を失うこともある 田舎で仕事がない場合、都心の方へ出て働いていることもあります。公共交通機関が機能していれば車がなくとも通勤できるかもしれません。しかし、最寄り駅へ行くまでの移動手段がない場合は、結局のところ通勤に苦労するでしょう。時間的都合、体力的な問題で、どうしても仕事に通うことができず、退職や転職を余儀なくされることもあるかもしれません。 運転する楽しみが失われる 車の運転を趣味として楽しむ人にとっては、運転ができなくなることは楽しみが奪われることを意味します。これも、免許返納をしない理由の1つとなるでしょう。 田舎と都会で異なる交通事情 田舎と都会では交通事情が異なります。どのような交通事情なのか詳しくご紹介します。 タクシーがほとんど走っていない 田舎は、タクシーが必要になっても、都会と比べてあまり多く走っていません。これは、田舎は多くの人が車を所有していることや、都会と比べて人が少ないことが関係しています。免許返納後にタクシーで移動することが難しいため、免許返納が難しいとの判断となるのです。 バスや電車が充実していない 田舎は、バスや電車などの公共交通機関が充実していない傾向があります。公共交通機関を必要なときに使えない場合は自分で車を運転しなくてはいけません。このように、公共交通機関が発達していない地域は、結果的に免許返納が難しくなります。 田舎で免許返納数を増やすための対策 田舎で免許返納の数を増やすには、どのような対策が必要なのでしょうか。自分でできる対策も含めて詳しく見ていきましょう。 公共交通機関の充実化 田舎は、公共交通機関が充実していない傾向があります。この点を払拭することで、免許返納を促しやすくなるのではないでしょうか。バスやタクシーなどの本数を増やしたり、電車も地域性に合わせて時間を設定したりすることで利用者が増える可能性があります。 通販の利用促進 地域によっては、隣町へ行かないと買い物ができません。また、たくさんの商品を買うと、電車やバスなどで移動が難しくなるでしょう。そこで、通販の利用を促すことで、家から出ることなく買い物ができるため、買い物事情が解決すると考えられます。 通販サイトの利用に慣れていない高齢者に対して、利用方法をアドバイスするのも1つの対策です。 親族間で協力し合う 買い物や移動などを親族がサポートするのも1つの方法です。例えば、週1回は生活必需品を買いに出かけたり、親族が代わりに購入してあげたりする方法があります。免許返納後も、生活が不便にならないように協力することで、本人が免許返納に前向きな気持ちを持てるようになれるかもしれません。

死亡後に免許返納しなくてはいけないのか?免許返納手続きの方法を解説
旧車の魅力と知識 2022.02.25

死亡後に免許返納しなくてはいけないのか?免許返納手続きの方法を解説

家族が亡くなった場合は、さまざまな手続きが必要です。亡くなった家族が免許を持っていた場合、返納が必要なのかどうか気になる方は多いのではないでしょうか。今回は、死亡後の免許返納について解説します。 死亡後に免許返納の手続きが必要? 運転免許証は、免許証をもっている人に対して、公道で車の運転をしてもよいことを許可しているものです。そのため、もし免許証をもっている人が死亡した場合、その免許は無効になります。失効となった免許証は、道路交通法によって免許証を返納する義務があると定められています。 道路交通法:第107条免許を受けた者は、次の各号のいずれかに該当することとなつたときは、すみやかに、免許証(第三号の場合にあつては、発見し、又は回復した免許証)をその者の住所地を管轄する公安委員会に返納しなければならない。一 免許が取り消されたとき。二 免許が失効したとき。三 免許証の再交付を受けた後において亡失した免許証を発見し、又は回復したとき。 (引用元:G-GOV 法令検索|免許証の返納等) ただし、免許証の保有者が死亡している場合は、遺族が免許を返納する義務はありません。その代わり、免許証の有効期限内であれば、免許証の更新通知書などが届くこととなります。 なお、免許証を返納せず手元に置いたとしても罰則はありません。また、形見として持っておきたい場合は、その旨を申し出ることで免許証にパンチ穴を開けて返却してもらえます。 免許証の処分するのであれば、処分方法に注意が必要です。運転免許証には顔写真が掲載されていることに加え、個人情報が記載されているため、悪用されるリスクがあります。ハサミで細かくカットしたうえで、複数のゴミの日に分けて捨てると安心です。 死亡時の免許返納手続きを行う場所 死亡した家族の免許証の返納手続きは、主に警察署か運転免許センターで行います。それぞれ詳しく見ていきましょう。 警察署 免許の返納は警察署で手続きできます。免許証返納届に必要事項を記入し、必要書類とともに窓口に提出してください。地域によっては駐在所・交番などでも返納手続きができる場合があるので、近所に警察署がないときは問い合せてみてください。 運転免許センター 運転免許センター(国家公安委員会)でも返納手続きができます。警察署での手続き同様に、免許証返納届に必要事項を記入し、必要書類とともに提出しましょう。 ▼免許返納できる場所についてはこちらでも解説しています。免許返納できる場所は?調べ方やあわせて知っておきたいことも解説! 死亡時の免許返納手続きの必要書類 死亡した家族の免許証を返納する時に必要な書類は次のとおりです。 ・亡くなった方の免許証:納対象の免許証です。・死亡診断書:死亡の事実を証明した書類です。死亡理由の証明になります。・戸籍謄本の写し・申請者の身分証・認印 窓口によって、必要な書類が異なることがあるので、事前に必要書類を確認しておきましょう。 ▼免許返納の手続き方法についてはこちらで解説しています。免許返納する時の手続きとは? 運転経歴証明書の返納は必要? 亡くなる前に免許返納済みの場合は、「運転経歴証明書」を取得している可能性があります。運転経歴証明書に関しても返納しなくても問題はありません(※)が、手元に置いておくのが不安な場合には、お住まいの地域の管轄部署に対応を問い合わせてみましょう。 ※2023年12月15日時点   ------------------------------------------- ▼免許返納・そのほかの手続きに関する記事一覧免許返納できる場所は?調べ方やあわせて知っておきたいことも解説!免許返納する時の手続きとは?自動車の相続は義務か?名義変更を行わない場合の問題点などを紹介します相続に伴う車の名義変更には委任状が必要?書き方や注意点も紹介 -------------------------------------------

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