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旧車の魅力と知識

日本大衆車の先駆け!アメリカで低評価だったスバル360が高値で取引されている理由
旧車の魅力と知識 2021.08.02

日本大衆車の先駆け!アメリカで低評価だったスバル360が高値で取引されている理由

日本大衆車の先駆け!アメリカで低評価だったスバル360が高値で取引されている理由 日本初の大衆車として、戦後国内の自動車事情を支えてきたスバル360。キュートで印象なフォルムは「てんとう虫」の愛称で親しまれ、現在でも根強い人気を誇っています。しかし、そんな360でもアメリカ市場では辛酸を舐め、辛い時代があったのです。 今回はスバル360がアメリカで受け入れられなかった理由、そして現在は高値で取引されている現状を解説していきます。 だマイカーが浸透していない時代に誕生した360 日本では1950年代当時、戦後の経済成長を図るために「国民車構想」という自動車生産計画が提唱されていました。 排気量350~500ccで、価格は25万円以下。さらに、最高時速100km/h、車両重量400kg以下で4人乗車可能という当時の技術では厳しい条件が示され、各メーカーは頭を悩ませます。 そんななか、スバルが1958年に発売したのが360という全長3mにも満たない小さな自動車でした。 機械遺産にも選ばれた技術の結晶 余計なフレームを必要としない「モノコックボデー」を採用し、FRPと0.6mm鋼板を使用することで385kgという軽さを実現。リアに横置きされた排気量360ccの空冷2気筒2ストロークエンジンは、最高出力16馬力ながら4人乗車の状態でも最高速度83km/hを記録しました。 そして、サスペンションには省スペースの「トーションバースプリング」を使用し、家族4人が座れる室内空間を確保しています。 価格は425,000円で、360が発売された1958年当時、一般的なサラリーマンの月収が16,000円程度だったことを考えるとまだまだ高値の花。しかし、時が経つにつれ国民の給料も上がっていき、1970年に生産が終了するころには、累計で約39万台を売り上げる大ヒットとなりました。 創意工夫を重ね、日本にマイカー時代を到来させた360は現代でも評価されており、2016年には日本機械学会が定める「機械遺産」として認定されています。 アメリカでの360の価格上昇 そんな一時代を築いた360ですが、半世紀経った現在において市場価格が上昇しています。 2020年1月時点のアメリカで10,100ドル(約110万円)だった1969年式の360が、1年後には44,300ドル(約486万円)まで上昇。さらに2020年10月には、上位グレードの「デラックス」が50,000ドル(約550万円)で取引されています。 半世紀も前に販売されていた360の価値がわずか1年の間で4倍以上も上がっているのは、一体どういうことなのでしょうか。 360はアメリカの道には適さなかった もともと360は1968年にアメリカ市場でも展開されており、出荷台数は累計1万台とそれほど振るいませんでした。 360は28km/Lという燃費の良さも売りでしたが、当時のアメリカでは燃費にあまり関心がなく、むしろ車体重量の軽い360は「安全基準の低い車」と捉えられ、良いイメージは与えられなかったのです。 アメリカ車と比べた場合の衝突安全性に、加速性、後部ヒンジドアが走行中に開いてしまう問題など、あらゆる点を考慮した上で360は北米の道路を走るには適さない車だと結論づけられました。 なぜ今になって価格が上がってきているのか? そんな評価の低かった360が現代のアメリカで再評価され、価格も高騰しているのはなぜなのでしょう。日本のクラシックカーには多くのファンが存在しており、時間が経過するにつれ価値は上がっていきます。 そのなかでも日本大衆車の始祖という立ち位置の360は、海外ファンにとってはジャパニーズクラシックとして非常に人気。年数が経つことで価値が増すクラシックカーと、360の持つ歴史的価値が相まって価格の上昇が起こっているのです。 360の中古車相場と直近のオークション価格 海外での需要が高い360ですが、日本国内の大手中古車サイトでの消費税込みの車体価格は、90万円~220万円。最高額の個体はエンジンの出力アップや、内外装を洗練させた「ヤングSS」というスポーティグレードで、1972年式で走行距離は14,000kmと低走行で、ファンの方なら220万でも高くはない買い物かもしれません。 直近の海外オークションでも50~120万円の相場になっていますが、状態の良いものが出品されれば200~300万越えは当たり前になってくるでしょう。 まとめ スバル 360は1958年の発売から日本国内で市民権を得ることに成功し、日本に「マイカー」を定着させました。 比較的安価で、小さな車体に家族4人が乗れるというコンセプトは日本の生活ではピッタリ。しかし、“大きく重く強い”ことが良しとされていた当時のアメリカでは快く受け入れられませんでした。 しかし、現在はその歴史的かつ技術的価値が見直され、クラシックカーとして多くの人々に愛され需要が上昇。日本国内の中古市場でも手ごろとは言えませんが、個体によっては手の届く範囲の価格ですので、360に乗って道路上で周りの注目を得てみるのも面白いかもしれません。 [ライター/増田真吾]

ランクル80系が人気で値上がり1500万円!?魅力と高価格の秘密に迫る!
旧車の魅力と知識 2021.07.26

ランクル80系が人気で値上がり1500万円!?魅力と高価格の秘密に迫る!

2021年8月1日に新型の発売が決定したトヨタ ランドクルーザー。そんな中、アメリカのオークションにて出品された1994年製造のランドクルーザー(通称80系)が、日本円で約1500万円もの価格で落札されたというニュースがありました。 今回はそんな旧世代モデルながら、今でもなお根強い人気を誇るランクル80系の魅力、中古市場の相場についても紹介していきます。 悪路走破性能を残しつつ乗り心地を改善させた80系 1980年代当時、レジャー用としてますます高まっていく自動車需要もあり、1989年10月に販売開始されたランドクルーザー80系は、オンロードも快適に走れるコンセプトのもと、発売されました。 前身モデルの60系などとは違い、サスペンションも従来までの板バネ式からコイルスプリングを採用。オフロードでの性能は残しつつ、快適性を重視したランドクルーザーとして新たな境地を開拓したモデルといえます。 全長4,970mm×全幅1,930mm×全高1,860mmという大柄なボディには、4.5リッターの自然吸気ガソリンエンジンに加え、4.2リッターディーゼルエンジンの自然吸気とターボモデルをラインナップ。外観的にも曲線を多く取り入れ、都会的な要素を持った新世代SUVの風格を感じさせるものとなっています。 約1,500万円のプライスがついたランクル80系とは? そんなランドクルーザー80系は、2021年6月に行われたアメリカのオークション「BRING A TRAIJER」に出品され、141,000ドル(日本円で約1500万円)という高値で落札されました。 1994年式のその個体は製造から25年以上経っているにも関わらず、走行距離はわずか1005マイル(約1600km)という低走行車であり、外観内観どちらも劣化やキズなどは一切ないという極上車。ダークエメラルドパールのボディに4.5リッターDOHCガソリンエンジンを搭載しており、トランスミッションは4速AT、外観や機関部にはカスタムやチューニングなどは一切されていません。 エンジンの始動はもちろん、走行もまったく問題なく、ランクル80系の人気の高さにくわえ、この個体のコンディションの良さを組み合わせた1500万円という価格は、ランクルファンにとって納得のプライスと言えるかもしれません。 ランクルが古くなっても値崩れしない理由 上の事例のように、ランドクルーザーは製造から年数が経過していても、中古市場では高値で取引される傾向があります。それはオフロード性能が高く、車体も非常に丈夫であるために、世界中から需要があることが最たる理由です。 未舗装路の多い海外では丈夫なオフロード車の人気が高く、特にランドクルーザーが持つ悪路走破性能と信頼性の高さは、世界中から認められています。 日本車であることのメリットも 日本国内では舗装路を走ることが多いため、国内仕様のランクル80系は海外で使用されている個体に比べ故障や劣化が少ないという特徴があります。そのため、たとえ走行距離が10万kmを超えていたとしても、海外ユーザーにとって日本仕様のランドクルーザーは、大枚をはたいてでも手に入れたい車なのです。 特に80系からのモデルは、足回りなどの刷新で居住性が飛躍的に向上し、中古市場が特に値落ちしづらく、現在でも輸出が頻繁に行われています。 中古車相場と旧車王での買取価格は? 大手中古車サイトのランドクルーザーの相場を見てみると、80系の価格帯は約80~600万円(※執筆時点)と、個体によっては新車価格を上回るものも見受けられます。 最高額の600万円の個体は15000kmの低走行かつ、リフトアップというランドクルーザーならではのカスタムがされており、国内でも人気の仕様です。 一方、旧車王での買取価格はVXリミテッドグレード(ガソリン、ディーゼルターボ)が10~160万円、丸目&角目4灯フェイスモデル(ガソリン、ディーゼルターボ)が80~160万円。丸目&角目4灯フェイスというのは、80系の前身にあたる60系を意識した丸目ヘッドライトを装着した仕様で、レトロ感あふれる顔つきが人気のカスタムとなっています。 ヘビーデューティなクロカンから高級SUVへ 最大の強みである悪路走破性を残しつつ、走行安定性や車内での快適性を高めたランドクルーザー80系。その80系の革新的なクオリティに発売当時は「四駆のクラウン」と賞賛されました。ランドクルーザー80系の高級セダン顔負けの品質とクオリティは、のちの後継モデルに続く高級SUVの礎となったのです。 持ち前の頑丈さとともに、それまでの働くクルマとしてのイメージを塗り替えた80系は海外でも絶賛され、走行距離が30万kmを超えても当然のように各国で走り続けています。 そう考えると、今回落札された80系のような新車ともいえる極上品に1500万円という価格がつくのはそれほどおかしいことではなく、きちんとしたランドクルーザー特有の費用対効果を保証してくれるものだと思います。 ランドクルーザーを買い続けて20年以上納得の高価買取ならランド王https://www.qsha-oh.com/landcruiser/ [ライター/増田真吾]

初代フォード ブロンコの面影を残した新型が24年ぶりに登場!魅力と歴史を振り返る
旧車の魅力と知識 2021.07.19

初代フォード ブロンコの面影を残した新型が24年ぶりに登場!魅力と歴史を振り返る

2020年7月、約24年ぶりとなる新型がアナウンスされたフォード ブロンコ。ドアとルーフの着脱が可能で、最大35インチものタイヤも履けるなど、まさにオフロードで思いっきり遊べる車に仕上がっています。 キャッチーな丸目ライトも、半世紀前に発売した初代ブロンコを感じさせ、ファンのあいだで好評を得ているポイント。今回はそんな新型ブロンコの解説と、今でも根強いファンが多い初代の「アーリーブロンコ」についても紹介していきましょう。 4WDブームの中投入された初代ブロンコ 1966年当時、ジープ チェロキーやインターナショナル スカウトなどのオフロード4WDが盛り上がりを見せていました。 対するフォードもこれらの対抗車種として、オフロードSUVの初代ブロンコを発売。全長4,635×全幅1,695×全高1,640mm小柄なボディに対し、最大出力105psの2.8リッター直列6気筒に加え、オプションで4.7リッターV型8気筒、最高出力205psのパワフルなエンジンが設定されていました。 そして、ルーフが取り外し可能な「パッセンジャーワゴン」や、左右のドアがない「ロードスター」など、アウトドア仕様に特化した多彩なモデルがあるのも、フォード ブロンコ最大の特徴です。 好評を得たものの、人気は長く続かなかった ショートホイールベースのコンパクトボディはオフロードとの相性が良く、ユーザーからも好評でした。しかし、シボレー ブレイザーの登場により、フォードは苦戦を強いられることになります。 ブレイザーの快適性及び、洗練されたスタイリングは話題を呼び、ブロンコの売れ行きは頭打ち。その後はモデルチェンジを繰り返すも、ピックアップトラック「Fシリーズ」のヒットの陰に隠れ、ブロンコは1996年に生産を終了してしまうのです。 ところが、コンパクトオフローダーとして一時代を築いた初代ブロンコの人気は根強く、ファンの間では「アーリー(初期の)ブロンコ」と呼ばれ、今でも愛され続けています。 初代を思わせる新型は4ドアモデルも存在 生産終了から24年が経ち復活したブロンコは、初代モデルを彷彿とさせる丸目ヘッドライトを持ち、武骨ながらコミカルでファニーな雰囲気。車体サイズが全長4,412×全幅1,928×全高1,826mmの2ドアモデルと、全長4,810×全幅1,928×全高1,854mmでシリーズ初となる4ドアモデルの2種類がラインナップされています。 両モデルともドアとルーフの取り外しができ、本格的なオフロード走行を楽しみ遊び倒したいユーザーにとっては嬉しいギミック。そして、解放感という点ではアーリーブロンコへのオマージュを強く感じられます。 オフロード走行を突き詰めたパッケージ 初代ブロンコを思わせる外観に対して、内装は最新のインフォテインメントシステムを採用したモニターが搭載され、サイズは8インチと12インチから選択可能。搭載されるエンジンは最高出力270psの2.3リッター直列4気筒と、最高出力310ps、2.7リッターV型6気筒の上級グレード用の2種類で、どちらも直噴ターボであるエコブーストを採用しています。 高強度スチールのラダーフレームに装備されるサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン式、リアが5リンク式リジット。タイヤは7種類の設定があり、30インチからマッドタイプの35インチまで選択でき、新型ブロンコが本気のオフロード仕様だということを伺わせます。 ブロンコを日本で購入するためには 魅力的な要素が備わった新型ブロンコですが、販売元のフォードは2016年に日本市場から撤退しているために、国内での正規購入はできません。それでも新型ブロンコを購入したい!という場合は、個人で車を取り寄せる「並行輸入」という手段があります。 しかし、並行輸入は車の輸送や通関、排出ガス検査など、手続きは自分で行う必要があり、よほど知識が無ければ非常に困難です。その場合は、並行輸入を代行してくれる専門ショップに依頼しましょう。当然費用はかさみますが、業者が輸入の手続きを代行してくれるので、個人で動くよりもハードルはだいぶ低くできます。 初代ブロンコの流通状況 一方、初代ブロンコは大手中古車検索サイト(2021年6月時点)で検索した結果、中古車はわずか1台のみ。価格も「ASK(応相談)」表記となっており、容易に購入できるわけではありせん。 しかし、半世紀以上続く人気もあってか、初代ブロンコを専門に扱うショップが存在し、もちろん並行輸入の代行もお任せできます。純正、社外ともに新品パーツが豊富にそろっているので、購入後のアフターケアもそれほど心配いりません。アーリーブロンコが気になっている方は、一度調べてみる価値がありそうです。 まとめ 新型ブロンコ、アーリー(初代)ブロンコともに、力強いエンジンと脱着可能な車体各部など、ユーザーをワクワクさせるような魅力がたくさん詰まっています。さらに、今回の4ドアモデルの登場でファミリーユースでの使用も多くなり、ブロンコの可能性はさらに広がるかもしれません。 しかし、新旧ブロンコともに、購入に至っては多少手間がかかります。日本国内でもアウトドアやSUVの需要が高まっている今、ぜひ日本仕様の新型ブロンコの発売も期待したいところです。 [ライター/増田真吾]

落札額6000万超え!ワイルド・スピードにも登場したA80型スープラの中古市場動向
旧車の魅力と知識 2021.07.12

落札額6000万超え!ワイルド・スピードにも登場したA80型スープラの中古市場動向

今も現役のスポーツカーとして販売されているトヨタ スープラは長い歴史の中で人気を博してきた車です。先代モデルのA80型スープラは特に人気が高く、中古市場では走行距離10万km近い個体でも当時の新車価格を超える車体もあります。現時点で28年も前の車がなぜそこまで人気なのか、その理由は国内だけではなく、海外の影響もあるのです。 グランドツーリングからピュアスポーツに方向転換したA80型 1990年代前半当時は、日産 「R32 GT-R」やマツダ「 RX-7 FD3S」など魅力的なスポーツカーが数多く発売されていました。そんな車好きを熱くさせた1993年5月、ニュルブルクリングで幾多の走行テストを重ね、研究し尽された新型スープラが誕生。これまでのグランドツーリング志向の歴代モデルに比べ、よりピュアなスポーツカーとして登場しました。 「THE SPORTS OF TOYOTA」のキャッチコピーのもと発売されたA80型スープラは、曲線を多用したグラマラスな外観ながら、ツインターボエンジンやダブルウィッシュボーンサス、大型ブレーキ、ゲトラグ社の6速MTなど、多くの魅力的な装備が備わっています。 1000馬力にも耐えうる2JZエンジン 全長4,520mm×全幅1,810mm×全高1,275mmのボディに搭載される2JZ型はパワーとトルク、耐久性にも優れており「トヨタ最強エンジン」との呼び声も高いエンジンです。 シーケンシャルツインターボを搭載したRZグレードは、最高出力は自主規制いっぱいの280psでありながら、最大トルク44.0kgmという当時のライバルたちを蹴散らすかの性能を発揮しました。 おまけに鋳鉄製のエンジンブロックはとても頑丈で、およそ1000psのパワーにも耐えることができ、チューニング業界でも非常に重宝されています。その性能の高さから、GRヤリスなど現在の車にも載せ替えが積極的に行われており、ドリフトやゼロヨンなどでは未だ現役のエンジンだといえるでしょう。 ワイルド・スピードへの登場で人気は加速 そんなA80型スープラは、北米でカルト的とも言える人気を誇っています。その理由は2001年に第一作が公開され、現在までシリーズが続くカー・アクション映画「ワイルド・スピード」の存在です。 故ポール・ウォーカー演じる主人公「ブライアン・オコナー」が駆るA80型スープラは、劇中でもその力強い走りを見せつけ、多くのファンを生み出します。 しかし、主演のポールは実生活でもスープラを所有するほどの車好きでしたが、2013年11月に自動車事故に遭い、40歳という若さでこの世を去ってしまいました。この衝撃的なニュースにファンは深い悲しみに暮れ、その後公開された7作目「ワイルド・スピード SKY MISSION」はポールの遺作となったのです。 なぜ中古市場が高騰しているのか 2021年6月17日〜19日にラスベガスで行われた「バレット・ジャクソン・オークション」では、ポールが劇中で乗ったA80型スープラが出品されました。 劇中どおりのオレンジのボディカラーとアルミ製の大型リアウイングが装着されたその姿にオークションは沸き、55万ドル(約6106万5950円)もの価格で落札されたのです。A80型スープラの海外人気はワイルド・スピードの影響もありますが、北米仕様として販売された日本車を純日本仕様にカスタムする「JDM」がブームだったことも関係しています。 そして、北米での制度により、製造から25年が経過した車は自由に販売、運転することができるため、日本の多くのA80型スープラは海外に輸出されました。その「25年ルール」の影響でA80型スープラの需要は急増、それに従って日本国内の中古車価格も高騰している現状です。 A80型スープラの中古車価格と買取相場 では、A80型スープラの中古車価格はどうなっているのか、車両本体価格と買取相場について見ていきましょう。 2021年6月時点での中古車は、最安個体でNAのSZグレードが243万円であるに対し、最高額はRZグレードの1080万円と、新車価格の4倍近い価格でした。やはり「RZ」や「RZ-S」といったターボ付きグレードは年式、走行距離問わず高額で取引されており、10万km走行車でも600~800万円の価格がついています。 旧車王での買取相場は「SZ」が100~300万円、「RZ」が200~700万円と、車両の状態によっては新車価格以上の買取が期待できることから、A80型スープラの需要は非常に高いことがわかります。 まとめ A80型スープラは2002年7月に新設された排気ガス規制に対応できず、販売を終了していますが、その人気は新型が発売されても未だに衰えることがありません。 チューニング、モータースポーツ、ワイルド・スピード、25年ルールなど、国外問わずさまざまな要素がA80型スープラを取り囲んでいます。 販売期間中の売上台数はわずか3万台ほどで、国内の在庫も着実に減っていっており、中古車相場はますます高くなる可能性があるでしょう。それほどの魅力に満ち溢れたA80型スープラ、購入を検討しているならば早いうちが得かもしれません。 [ライター/増田真吾]

HEMIエンジンの歴史と魅力を追及!これぞ真のV8アメリカンパワー!
旧車の魅力と知識 2021.07.12

HEMIエンジンの歴史と魅力を追及!これぞ真のV8アメリカンパワー!

轟くようなV8サウンドのマッスルカーに誰しも一度は憧れるものです。より大きなパワーを求めて開発競争を行っていた1950年代に登場した、OHV式エンジンのヘミエンジンは、現代の車にも搭載されるほど息の長いエンジンとなりました。 今回は、エンジンの方式の解説とともに、マッスルカーを支えたヘミエンジンの特徴に迫ります。 ヘミ(HEMI)エンジンはアメリカ車の象徴 ヘミ(HEMI)エンジンは、1950年代以降に、アメリカクライスラー社が開発、製造を行った半球型の燃焼室を持つV8ハイパフォーマンスエンジンです。 ヘミとは、半球状を意味する「ヘミスフェリカル(Hemispherical)」の短縮系で、燃焼室の形状がそのままエンジンの呼称になりました。 マッスルカー全盛期のパワー競争を戦った ヘミエンジンは機構上、高出力化が容易だったため、マッスルカー全盛期に巻き起こった自動車メーカー各社のパワー競争において優位性を発揮。特に、1964年に第二世代としてヘミエンジンが復活すると、NASCARレースでも活躍し、1970年代初頭まで人気を博しました。 NASCARレースでヘミエンジンが活躍したことで、アメ車の象徴であるV8ハイパワーエンジンというイメージを作り上げたと言っても過言ではありません。 エンジンの歴史とヘミエンジンの魅力 ヘミエンジン登場の背景には、高出力化を求める時代背景がありました。 1950年代に入ると、いわゆるビッグ3と言われるGM(ゼネラルモーターズ)、フォード、クライスラーで、仁義なきパワー競争が勃発します。 これまでのエンジンの高出力化が困難になっていたことから、各社新型のエンジンの投入を余儀なくされたのです。 高出力化に対応できなかったサイドバルブ式エンジン ヘミエンジンの登場までは、サイドバルブ式のエンジンが主流でした。 サイドバルブ式エンジンとは、給排気バルブがシリンダーヘッドではなく、シリンダーと並んで配置され、バルブの傘も上向きに取り付けられていました。 燃焼室が横に長い構造で、圧縮比を高めづらく、燃焼効率も良くなかったため、高出力化が難しいという構造的な問題を抱えていました。 OHVの登場とOHVの弱点を見事に克服したヘミエンジン OHVのメリットは、バルブを燃焼室上部に取り付けることにより、燃焼室をシンプルでコンパクトな円筒状の形状にできることです。ピストンの運動方向である上下方向に圧縮と給排気ができることで、より圧縮と燃焼の効率を高めることができます。 一方で、通常のOHVの大きなデメリットとして、給排気バルブの直径が限定されているため、エンジンの高出力化に欠かせない、バルブの大口径化ができないという弱点がありました。 燃焼室上部にバルブが配置されるということは、バルブの配置スペースは、シリンダー直径が最大となります。このスペースに、少なくとも給排気2つのバルブを収める必要があり、バルブの直径が制限されてしまうのです。 そこでヘミエンジンは、燃焼室上部が半球状にすることで、シリンダーの直径以上にバルブの取り付け面積を稼ぐことができ、バルブの大口径化が可能にし、OHVの最大の弱点を克服しました。 また、バルブに角度をつけて配置することで、燃焼室内の気流をスムーズに動かすことができるという効果があり、バルブの大口径化と併せて給排気効率を劇的に向上。結果として、それまで以上の高出力化に成功しました。 高回転型DOHCエンジンとの戦い 自動車史において大きな影響を与えたヘミエンジンですが、高回転化しにくいという弱点があります。 これは、OHVエンジン全般に言えるデメリットですが、プッシュロッドでカムシャフトの動きをエンジン上部のバルブに伝えるため、高回転になると、動作の遅延やプッシュロッドそのものの重量が問題になってしまいます。 一方で、バルブを作動させるカムが上部にあり、ピストンの開閉を直接行う(ロッカーアームタイプを除く)DOHCは、慣性によるロスが少なく高回転化しやすくまります。 ヘミエンジンがアメリカで進化したのは、ストップ&ゴーが多く、高回転化することで高出力を得るDOHCエンジンよりも、比較的低中速でのパワフルな走りを要求するアメリカの道路事情もあったのかも知れません。 ヘミエンジン搭載の代表的車種の紹介 ヘミエンジン搭載の車種は、ザ・アメ車といった骨太な車種が多いのが特徴です。 マッスルカーブームを支えた名車など、ヘミエンジン搭載の代表車種を紹介します。 クライスラー・ニューヨーカー 1939年に登場したクライスラーの高級車で、2代目のモデルから、第一世代と呼ばれる、「FirePower Hemi」V8ヘミエンジンを搭載していました。 0-60マイル加速で10秒をマークするなど、パワーアップ競争の先頭に立ち、1950年代末には、350馬力もの出力のエンジンを搭載。名実ともに大型・豪華・ハイパワーを競うアメリカ車全盛期のモデルでした。 ダッジ チャージャー マッスルカーの火付け役となったクライスラーが、GM、フォードのマッスルカーのヒットを横目に、1966年に満を持して発売したのが、第二世代のヘミエンジン搭載のマッスルカーです。 最上位グレードには、400馬力オーバーの426Hemiエンジンが搭載され、0-60マイル加速はわずか6秒弱という俊足ぶりでした。 クライスラー300 SRT-8 最後に紹介するのは、新世代のヘミエンジンを搭載した、クライスラー300 SRT-8です。2005年に登場したクライスラー300 SRT-8は、クライスラー社が誇る高級車で、最上位グレードにヘミエンジンが搭載されています。 ただし、新世代ヘミエンジンのシリンダーヘッドは、ヘミエンジンの代名詞とも言える、半球状のシリンダーヘッドではありません。 しかしながら、1立法インチあたり1馬力と言われる高出力は維持しており、さらに、軽負荷時に4気筒を休止させる可変シリンダーシステムを採用するなど、さらに進化したヘミエンジンとなっています。 まとめ 大型で低中速域からパワーを発揮するV8エンジンは、国土が広大なアメリカだからこそ進化したとも言えます。 サイドバルブの弱点を補うOHVエンジンが登場し、さらにそのデメリットを克服して開発されたヘミエンジンは、1950年代のパワー競争の波にも乗り進化を続けました。 1970年代のオイルショックの影響で、一度姿を消すことになりますが、近年、新たな環境性能を追加。誕生から60年以上経った今でも、最上級モデルに搭載されるヘミエンジンが今後はどう進化していくのか注目したいところです。 [ライター/増田真吾]

ベンツとポルシェのコラボ!500Eがポルシェラインと呼ばれていた理由とは!
旧車の魅力と知識 2021.06.29

ベンツとポルシェのコラボ!500Eがポルシェラインと呼ばれていた理由とは!

メルセデス・ベンツとポルシェ、どちらもドイツを本拠地とした人気メーカーですが、この2社が共同製作した「500E」というモデルが存在したのをご存知でしょうか。500Eは今でいうEクラスと呼ばれる車体に、大パワーのV型8気筒エンジンや強化された足回りなどを装備したポルシェ仕込みのチューニングが施された奇跡の1台です。「ポルシェライン」とも呼ばれる500Eは、いったいどんな車なのか、詳しく解説していきます。 W124のフラッグシップモデルとして誕生 当時500Eは、メルセデス・ベンツのミディアムセダン「W124型」の高性能グレードとして1991年春に販売されました。全長×全幅×全高は4755×1795×1410mmと、車幅はベースのW124よりも広く、フェンダー部は大きく張り出しているのが特徴です。 しかし、E500のキャッチコピー「炎の情熱 絹の優美」のように、元々の優美な外観デザインはキープされており、まさに羊の皮を被った狼といえます。1995年4月までに10479台が生産され、日本でも1184台が販売。ポルシェが作ったW124として、人気を獲得したモデルでした。 高貴なボディに隠されたハイパワーエンジン エンジンはW124のボディに、当時の2ドアクーペ「R129型 500SL」のV型8気筒5.0L自然吸気エンジン「M119E50型」を搭載しています。 最大出力は330PS/5,700rpm、最大トルクは50kgm/3,900rpmという強大なパワーとトルクを発揮し、4速ATながら0~100km/h 加速は6.1 秒をマーク。大パワーゆえにこの大柄なV8エンジンは、W124のボディにはそのまま搭載することはできず、車体の前半部分はほぼ作り直されています。 500E開発が困難だったメルセデス・ベンツ 1989年、V型8気筒エンジンを搭載した500SLが人気を博したことで、メルセデス・ベンツはW124に同エンジンを積んだハイパワーモデル、500Eの製作を決定。しかし、当時のメルセデス・ベンツはR129やW140の開発や製作で手一杯になっており、500Eに人員と場所を割く余裕はありませんでした。 そんな中、メルセデス・ベンツが500Eの開発を委託したのは、同郷でありつつも資本提携などは全くなかったポルシェだったのです。 経営危機を迎えていたポルシェ 一方のポルシェは、1980年代後半からの経営不振真っ只中。主力商品である「911」の売り上げが北米マーケットでは伸び悩み、その状況を一転させるような新型車も生み出せない状態でした。 そんな経営危機の中、メルセデス・ベンツからの救済の手ともとれる500Eの開発依頼にポルシェは応じ、自社のバイザッハ研究所にて開発を開始。ポルシェは開発だけでなく、500Eの前期モデルが販売されていた92年までは、ツッフェンハウゼン工場にて車体の生産も請け負っていました。 その後、名前を変更した後期モデル「E500」が全てメルセデス・ベンツの生産に変わったことから、前期モデルが“ポルシェライン”と呼び分けられるようになったのです。 V8エンジンを搭載するためにボディを大幅加工 ベースの車体にV8エンジンを移植するには、その大パワーを受け止める強靭なボディと十分なスペースが必要でした。そこで、バイザッハ研究所では3.0Lエンジン搭載の「300E」のボディを使い、各部の剛性を強化し、エンジンベイやバルクヘッドの拡大を行ったのです。 くわえて、エンジン移植の際には排気経路の変更が必要となり、モノコック底面のセンタートンネルも拡大する必要がありました。その結果、後席中央のシートはオミットされ、左右が独立したリアシートに変更。500Eの乗員定数は、それまでの5人乗りから4人乗りに変更されています。 各部にあしらわれた強化パーツ エンジンのほか、足回りのパーツも500SLから移植されており、ブレーキローターはフロント300mm、リア275mmの大型のものを、キャリパーはブレンボ製が採用されています。 それにより、タイヤサイズは225/55R16へ拡大し、ボディはオーバーフェンダー化され、500Eとその他のグレードを見分ける最大のポイントともなりました。他にもバンパー形状の変更、ヘッドライト部にはドライビングライトの増設など、細かな追加箇所もあります。 まとめ メルセデス・ベンツとポルシェ、それぞれの事情を抱え、お互いが助け合うことで誕生した500E。 ポルシェの高い技術力により完成した500Eは出荷台数こそ多くなかったものの、1550万円という新車価格ながら日本でも大きな反響を呼びました。 それから30年経過した今でも、メルセデス・ベンツとポルシェの共同開発車は500Eの他に存在していません。おそらく最初で最後ともいえる2大メーカー夢の競演で誕生した500Eのような車の存在は、これからも語り継がれ、人々の記憶から消えることはないでしょう。 [ライター/増田真吾]

アウディの代名詞!世界初のフルタイム4WD“クワトロ”とは
旧車の魅力と知識 2021.06.21

アウディの代名詞!世界初のフルタイム4WD“クワトロ”とは

1980年、一般車ではFF、ラリーではFRが全盛の時代に、革新的な4WD車が発表されました。それが世界初のフルタイム4WD車、“Audi Quattro(アウディ クワトロ)”です。 アウディクワトロの登場は、レースシーンやその後の自動車業界に大きな影響を与えました。今回は、アウディ初の四輪駆動、しかも世界初のフルタイム4WDとなるアウディクワトロは、なぜ開発されたのか、どんな点で革新的だったのかについて、当時の自動車事情と合わせてご紹介します。 アウディ初の四輪駆動システムを搭載した “Audi Quattro”の歴史 1970年代から1980年代初頭は、自動車の性能向上において過渡期とも言える時期でした。 エンジン性能や車体の軽量化が進む一方で、タイヤ性能などまだ開発が追いつかない部分もあり、より高性能な車を開発するため、各メーカーが苦心していた時期でもあります。そんな中、革新的なフルタイム4WDとして誕生したのが、“Audi Quattro”です。 自動車性能向上の過渡期だった “Audi Quattro”の登場した1980年当時、一般車の主流はFF(前輪駆動)でした。 その理由は、車重の軽量化は進んでいたものの、タイヤのグリップ力がまだ低かった時代。エンジンパワーを逃さず路面に伝えるには、フロントヘビーにして前輪をしっかりと接地させて駆動する必要がありました。また、センタートンネルを持たないFF車派スペース効率に優れ、車内空間を広くしやすいこともFFが重宝された要因のひとつです。 しかし、FFは優れたエンジンレイアウトであるものの、コーナリング性能ではFRに及ばず、向上しつつあったエンジン性能を活かし切ることはメーカーの課題の一つ。一方エンジンパワーを的確に路面に伝える四輪駆動は、オフロード目的のパートタイム4WDが主流で、一般車に装着するには大きく重たいことがネックで敬遠されていました。 向上したエンジン性能を「技術による先進」で活かす 1970年代以降、自動車エンジンの開発は日進月歩で進み、性能は格段に向上します。 高性能化したエンジンパワーを最大限活用する方法を各メーカーが模索する中、「技術による先進」をスローガンとしていたアウディは、四輪駆動の開発しかないと結論づけ、世界初のフルタイム4WDの開発に踏み切ったのです。そうして誕生したフルタイム4WD“Audi Quattro”は、当時としては革新的な車でした。 重量、大きさがネックとなっていた4WDシステムをコンパクトなボディに収め、増加した重量を補って余りあるハイパワーエンジンを搭載したのです。 WRCでの活躍 アウディクワトロが発売された1980年当時、4WDは一般的ではなく、大型化しがちな傾向から特にスポーツカーではネガティブなイメージさえありました。 アウディが新型車クワトロのプロモーションを成功させるには、レースシーンでその速さや信頼性をアピールするしかありません。そこで、特別仕様車を開発し、ラリーカー選手権の最高峰であるWRCに参戦することになります。 アウディクワトロのWRCでの成功は、車のプロモーションとしての成功だけではなく、ラリーに4WD車を使用するという現在まで続く歴史の礎となったのです。 ネガティブなイメージの4WDで参戦 1980年当時の4WDといえば、オフロード車に搭載されたパートタイム4WDがほとんどで、大きい、重いといったネガティブなイメージが先行。一般的な駆動方式ではなく、限られた場面で使う特殊な駆動方式というのが世間の認識でした。 WRCにおいても、当時は軽量で運動性能の高いミッドシップカーやFRが席巻。車重や大きさで不利な4WDでは勝負にならないと言われていました。しかし、アウディにとって初のフルタイム4WD車であるクワトロのプロモーションには、WRCに参戦し結果を残すことは必要不可欠だったのです。 短命だったが現代も続く4WDの歴史を作った アウディ クワトロのWRCデビューは、1981年の開幕戦。新開発の直列5気筒+ターボエンジンというグループ4仕様で、デビュー戦こそ結果を残せなかったものの、2戦目で早くも初優勝を飾ります。 そして、参戦2年目となる1982年には、初期のメカニカルトラブルも解決し、念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。アウディはその後も、マニュファクチャラーズタイトル1回(1984年)とドライバーズタイトル2回(1983年、1984年)を獲得するものの、1984年までのわずか3年の短命に終わります。 なぜなら、アウディ クワトロの成功によって、各メーカーがこぞって4WD車を投入してきたためです。しかも、より運動性能の高いミッドシップ4WDで武装し、グループBマシンであるランチア ラリー037が台頭してきたため、フロントエンジンのアウディクワトロでは対抗出来ませんでした。 しかし、「ラリーカーと言えば4WD」が常識となったのは、間違いなくアウディクワトロの成功によるもので、“Audi Quattro”の登場は、WRCの歴史上もっとも大きな出来事の一つです。 最新モデルにも受け継がれるクワトロシステム 1980年にアウディ初のフルタイム4WDとして登場した“Quattro”は、車種名の「クワトロ」から、アウディの4WDシステムの名称として、現在に至るまで使用されています。“Audi Quattro”は、それだけアウディにとって重要な車種だったのです。 特に、現在の上位モデルに搭載されているクワトロシステムは、車種によって前後のトルク配分を変えるなど、多少味付けに違いはありますが、当初のフルタイム4WDの設計思想を守っています。 最新モデルでは、1000分の数秒で前後のトルク配分を最適化や、横滑り防止機構との組み合わせなど、先進の技術を組み込んでさらに進化させ、「技術による先進」を掲げるアウディらしいところです。 ちなみに、ご紹介してきた1980年に登場した車種としての“Quattro”は、クワトロシステムとの違いを表現するため、現在では“Ur-Quattro”(Urはドイツ語で「オリジナル」という意味)と称されることもあります。 アウディの地位だけではなく、業界全体にも影響を与えた 現在のアウディの地位を確立したのは、間違いなく“Audi Quattro”です。 当時の常識を覆すフルタイム4WDの開発と、WRCでの成功は、「技術による先進」を掲げるアウディの技術力と信頼性を世の中に知らしめました。また、アウディクワトロの成功は、メーカーの地位確立だけではなく、WRC、自動車業界全体にも大きな影響を与える出来事となったのです。 現在WRCの主流が4WDであることはご存じの通り。高性能化するエンジンパワーを余すことなく路面に伝える駆動方式として、フルタイム4WDは多くの車種で採用され、高性能4WDスポーツカーというジャンルを生み出しました。 今やフルタイム4WDは軽自動車にも搭載されるほど一般化されています。“Audi Quattro”の登場が無ければ、ひょっとしたら4WDは特殊な駆動方式のままだったかも知れません。 [ライター/増田真吾]

60年以上経った今でも新車で買える!?ポルシェ 550スパイダーの輝かしい歴史と現在
旧車の魅力と知識 2021.06.14

60年以上経った今でも新車で買える!?ポルシェ 550スパイダーの輝かしい歴史と現在

メーカー初の市販レーシングカーとして、1954年に登場したポルシェ 550スパイダー。その軽さを活かした走行性能は当時のレースでも好成績を残し、かつての名優「ジェームズ・ディーン」が愛した車としても有名です。 その人気は今でも衰えず、550スパイダーを忠実に再現したレプリカモデルが造られているほど。今回はそんな550スパイダーの歴史と、レプリカモデルの「ベック550スパイダー」ついてご紹介します。 その価値6億円!ポルシェ初の市販レーシングカー 1954年に発売した550スパイダーは市販車でありながら、レーシングカーに準じた仕様でプロレーサーからも評判の高かった車です。 販売期間の1954年から1956年に生産された台数は約100台で、そのうち今でも現存しているのはわずか30台のみといわれています。いざ550スパイダーのオークションが開かれれば、約6億円で落札されるほどです。 ジェームス・ディーンも惚れ込んだ550スパイダー 往年のスター「ジェームス・ディーン」も550スパイダーの魅力に憑りつかれた1人であり「リトル・バスタード」の愛称で呼んでしまう程のめり込んでいました。 しかし1955年9月、ジェームスは自慢のリトル・バスタードでレースに参加するために会場に向かっていたところ、目の前を横切ろうとしていた対向車と衝突。550スパイダーの納車から1か月もしないうちに、彼は24歳の若さでこの世を去ってしまいます。 映画俳優としてまさにこれからといった彼の死は、米国中にショックを与え、550スパイダーを語る上でも外せない出来事にもなりました。 そのままレースに参加できるほどの本気仕様 550スパイダーでまず特筆すべき点は、その車体の軽さです。梯子型鋼管フレームに、軽量なアルミボディを装着。乾燥重量(オイルや冷却水などを入れていない重量)は550kgとかなりライトウェイトで、車名の「550」もこの車体の軽さを表したものであります。 そこに排気量1,498cc、最高出力110ps/6,200rpmの空冷水平対向4気筒エンジン、通称「フールマン・エンジン」をリアミッドシップレイアウトで搭載。最高速度は220km/h、100km/hまでの加速は10秒以内と、軽量ボディも相まって運動性は非常に高く、当時の若者の憧れの車でもありました。 ポルシェの上級グレード“カレラ”の由縁 市販車ながらレーシングカー仕様でもあった550スパイダーは、レースでも活躍していました。1954年、ミッレ・ミリアで初登場の550スパイダーは6位入賞し、ル・マンでは総合4位かつ、1.5L以下のクラスでは優勝するなど、当時まだ歴史の浅かったポルシェはその存在感を見せつけていきます。 そして、全長3,113kmのルートを5日かけ完走するというメキシコで行われていた過酷な公道レース「カレラ・パナメリカーナ」にも参戦。550スパイダーはキャデラックやメルセデス・ベンツ、フェラーリなどの強力なライバルが参加するなか、総合3位という好成績を残します。 そんな550スパイダーの活躍ぶりから、その後のポルシェ「356」や「911」の高性能モデルには栄光の意を込めて「カレラ」の名が使われるようになりました。 新車で買えるクラシックカー ベック550スパイダーとは? 他の車にはない魅力で1950年代を賑わせた550スパイダーですが、なんと今でも新車として購入できる可能性があります。それが、姿かたちそのまんまのベック 550スパイダーです。 ベック 550スパイダーは、アメリカインディアナ州のBECK社が製作する550スパイダーのレプリカモデル。1986年から製作されているこのレプリカモデルは、約6億円の本家550スパイダーに比べ、700万円からという手に入れやすい価格になっています。 しかし、年間で生産できる台数は約5台と少なく、レプリカでありながら購入希望者が後を絶たないため、資金があっても購入は難しいかもしれません。 見た目そのままにエンジンをパワーアップ 見た目は550スパイダーの形でありながら、内部は現代の自動車のパーツを使用。フォルクスワーゲン製エンジンをミッドシップに搭載し、排気量は1600cc、1900cc、2160ccの3種類から選択可能です。 1900ccでは最高出力が125ps、2200ccでは155psという本家を超えたパワーを発揮します。ほかにも、スバル レガシィなどにも使われたEJ25エンジンを載せた仕様もあるなど、メーカーの枠を超えた試みがされているのも面白いポイントです。 快適に550スパイダーを乗りたい人にはうってつけ ベースモデルの車両重量は800kgほどですが、よりライトウェイトの仕様だと600kgまで絞り込んでおり、本家さながらの俊足ぶりを体感することができます。 また、現代の保安基準に適合するよう、ボディはアルミから厚みのあるFRPを採用し、パイプフレームも強度の高いものに変更。そして、安全性を高めるためのロールバーや快適装備のエアコンもオーダー次第で装着することができるので、特にネガティブな要素がなく550スパイダーを楽しめます。 まとめ レースでは数々の優勝を果たし、伝説のスターをも虜にした550スパイダーは、現在のポルシェを築き上げた一因ともいえる車です。 550スパイダーは、現在でもわずかに世界のどこかで存在しているようですが、車両状態の良し悪しと金額の面から見ても手に入れることはほぼ不可能でしょう。 対して、ベック550スパイダーなら年間5台生産の狭き門とは言え、中古車市場ではわずかながら流通しています。レプリカモデルではありますが、往年の超ライトウェイトスポーツカーの雰囲気を味わうにはこれほどの車はないかもしれません。 [ライター/増田真吾]

アメリカンスポーツの祖!車好きを魅了するコルベットC2の魅力とは?
旧車の魅力と知識 2021.06.07

アメリカンスポーツの祖!車好きを魅了するコルベットC2の魅力とは?

轟くV8エンジンサウンドと、ワイド&ローな特徴的なフォルムで、今もアメ車好きを魅了し続けるコルベット。そんなコルベットの地位を現在の地位にまで押し上げたのは、2代目となるコルベットC2と言っても良いかもしれません。 リトラクタブルヘッドライトによって尖ったフロントノーズ、今なおマニアの間で人気の「スプリットウィンドウ」を備えた個性的なリアビュー。当時としては、かなり先鋭的なデザインと大排気量V8エンジンで欧州のファンまでも納得させました。 今回は、今や名車と呼ばれるまでになったコルベットC2の魅力に迫ります。 まさにアメリカンスポーツの代名詞!コルベットC2とは シボレー コルベットと聞けば、アメリカンスポーツカーの代表格と言って差し支えないでしょう。しかし、1953年に初代コルベットが発表された当時、見た目もさることながら、性能でも欧州車には全く歯が立ちませんでした。 そんなコルベットの地位を一気に押し上げたのは、初代登場から10年となる1963年に登場した2代目コルベットC2です。 シボレー コルベットは当初はV8エンジンではなかった シボレー コルベットは、シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカーとして、当時遅れを取っていた欧州のスポーツカーに対抗すべく、1954年に登場しました。 現在ではコルベットの代名詞とも言える大排気量V8エンジンですが、意外なことに初代販売当初は直列6気筒エンジンで、最高速度はわずか102マイル/h(約163km/h)ほど。ほぼ同サイズだったジャガーは、120マイル/h(192km/h)を容易に達成していたため、欧州車との実力差は圧倒的でした。 その後、欧州のスポーツカーに対しての遅れを打破すべく、翌年の1955年にオプションとして搭載されたのが、専用チューンされたセダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジン。その後、1956年から標準ラインナップに追加され、現在のコルベットのイメージ通り、大排気量、パワー至上路線を歩むことになります。 名車としての地位を確立したC2 欧州のスポーツカーに対抗すべく開発されたコルベットは、2代目となるC2の登場によりその地位を確立します。2020年に登場した最新C8にも採用されたスティングレイ(アカエイ)の名称が最初に使用され、アカエイという名の通り、C1とは異なるシャープで前衛的なデザインが特徴でした。 欧州車に引けを取らないフォルムとV8エンジンの圧倒的なパワーには、当時のシボレーも自信を持っており、初お披露目の舞台に敢えてパリのサロンを選んだほどです。 そして、その自信の通り、目の肥えた欧州のユーザーはもちろん、多くのスポーツカーファンの支持を集め、アメリカンスポーツカーとしての地位を確立していきました。 大排気量V型8気筒OHVの有り余るパワー コルベットC2のエンジンは、大排気量化の流れの中で開発されました。 これぞアメ車という、5Lを超える大排気量で300馬力以上を発生するV8エンジンは、C2が名車と呼ばれる理由の一つです。 いかにもアメリカらしい大排気量エンジン C2の初期モデルに搭載されたエンジンは、基本構造はC1から引き継いだV8OHVエンジンでしたが、排気量は5,358ccへと大幅に拡大されました。 その後、レーシングスペックZ06では、ビッグブロックとも呼ばれる6,489ccのエンジンが搭載され、最終的には6,997ccまで拡大。大排気量+ハイパワーという、いかにもアメ車らしい進化を遂げます。 わずか20台のみ販売されたL88型 コルベットC2末期には、L88型と呼ばれるレーシングエンジンをデチューンしたモデルを追加。わずか20台の販売にとどまりましたが、公称430馬力というカタログスペックは、監督官庁の懸念やパワーによって決められていた保険料などの問題で伏せていただけで、実際には500馬力以上だったとも言われるモンスターマシンでした。 現在では、7,000万円以上の価格で取引されたこともあるほど、希少性と人気の高いモデルです。 C2は後世コルベットのデザインを決定づけた C2という名称よりも、スタイリングからついた、コルベットスティングレイという名前の方の知っているという方も多いでしょう。 コルベットC2は、その後のコルベットのデザインの基礎となったとも言えるモデルです。 試作車を元に開発した先鋭的な外観 コルベットC2は、試作車であるスティングレイレーサーを原型にデザインされた為、コルベットスティングレイと呼ばれます。 エッジに曲線を組み合わせたデザインは、当時としてはかなり先鋭的な外観でした。さらに初年度のモデルでは、ルーフからテールエンドを繋ぐフレームによってリアウインドウが二分割された「スプリットウィンドウ」を採用。この特徴的なリアウインドウは、今でも人気のポイントです。 伝統のリトラクタブルヘッドライト コルベットC2の外観的特徴のもう一つが、リトラクタブルヘッドライトの採用。「アカエイ」という意味であるスティングレイの名のごとく、平たいワイド感とシャープな印象を生み出しています。 リトラクタブルヘッドライトは、この後コルベットC5まで装備され、コルベットの外観を表す特徴の一つとなりました。 アメ車の伝統 今回は、アメリカンスポーツカーの金字塔ともいうべき名車、コルベットC2をご紹介してきました。 速さと操る楽しさを追い求めるスポーツカーの世界では、欧州車が世界を席巻していた1950年代。そんな伝統と格式を持った欧州勢に対し、これぞアメリカのスポーツカーともいうべき骨太なV8サウンドを轟かせ、1963年に登場したコルベットC2の功績は、とても大きなものです。 先鋭的なデザインに加え、FRPの採用で1.3tという軽さを実現したボディ。さらに300馬力以上のパワーを誇るコルベットC2は、50年以上経過した今でも色あせることの無い魅力的な車の一つです。 [ライター/増田真吾]

なんと発売から17年! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?
旧車の魅力と知識 2021.06.04

なんと発売から17年! デリカD:5が長きにわたり愛される理由とは?

三菱を代表する車種といえば何を思い浮かべるでしょうか。パジェロやランサーエボリューションという人もいるでしょう。しかし両車種とも現在は販売終了しています。今の三菱を代表する車種といえばデリカD:5ではないでしょうか。 驚くべきことに、発売から17年経った今でも好調な販売をキープしています。途中何度も改良を加えつつも、17年という長きに渡って愛されてきた理由は何だったんでしょうか。その理由を紐解いていきます。 デリカD:5の歴史 デリカD:5は2007年にデリカシリーズの5代目としてデビューしました。D:5がこれまでのデリカシリーズと大きく異なる点は、パジェロベースからD:5専用設計となったことです。専用設計となったことである程度のオフロード性能は保ちつつ、大部分を占めるであろう市街地走行での快適性が大幅に向上しました。 さらに2013年には、新たにクリーンディーゼルを投入したことで燃費やトルクも向上し、結果として商品力にも磨きがかかりました。実際、追加後は過半数以上の人がより高価なディーゼルを購入していることからもその人気がうかがえます。 そしてその後も堅調に販売を続け、2018年には主にフロントフェイスなど大幅な改良を施したビッグマイナーチェンジ版が発売されました。外見が大きく変わっただけでなくディーゼルエンジンがより改良されたものになったりと機関面でも様々な変更点があることも特徴です。 クリーンディーゼルのメリットとデメリット 従来の排気ガスがもくもくと出るディーゼルエンジンとは違い、排気ガスが綺麗なことがD:5に搭載されたクリーンディーゼルの利点です。そして生まれ変わったディーゼルエンジンを積んだD:5では、環境面に優れているだけでなく、販売面からみても主力エンジンになりました。 そこで、もはやD:5のメインエンジンとなったディーゼルモデルについて詳しくみていきます。 メリット メリットの一つ目はガソリン車と比べて、燃費やパワーが優れていることです。もちろんガソリン車との価格差はありますし、燃料代だけでそれをペイすることは厳しいでしょう。しかし、発進時から大トルクによる余裕の加速力を感じられ、ロングドライブ時も低い回転数で快適に巡行できます。また7~8人乗車や荷物が満載といったD:5ならではの場面でも、パワー不足を感じることもないでしょう。 そして、売却時もガソリン車よりも大幅に高いリセールバリューが期待できます。燃費の差と買取金額の差を足せば、ガソリン車との車体価格差も大きく縮むかもしれません。 デメリット デメリットのひとつめはやはりガソリン車と比べ価格が高いことでしょう。中古車で買うとなると約30万円以上の価格差があります。もちろん多少燃費や売却時の価格も優れていますが、そうは言っても最初に払う金額が多いのは確かです。 また、ビッグマイナーチェンジ後の車両は排ガスを綺麗にするためにアドブルーという水溶液を補給する必要があります。これはエンジンオイルとは全く別ものであり、かつタンクが空になってしまうとエンジンの再始動ができなくなります。補給するタイミングは大体1万キロごととなりますが、一回で約5,000円ほど費用もかかります。 数あるミニバンの中からデリカD:5を選ぶ理由 デリカD:5の個性といえば、家族も荷物もみんなで乗れるミニバンでありながらオフロードや雪道も難なく走れる四駆性能をもっていることに尽きるでしょう。これは他メーカーにはない、デリカD:5だけの唯一無二の個性です。 車においての個性は、ある意味そのままセールスポイントになる場合があります。デリカD:5はその最たる例といえるでしょう。例えば、家族でスキーなどのアウトドアに行っても、または昨今多く発生している異常気象の中でも、優れた四駆性能をもつデリカなら安心です。もちろん基本はミニバンなのでユーティリティも兼ね備えています。 昔ディーラーのセールスマンにこんなことを聞いたことがあります。それは「デリカを一度買うと、デリカを乗り継ぐ人が多い」という話でした。実際、豊富なカスタムパーツやデリカの専門店があることからも人気の高さが分かります。 デリカシリーズはこのようにファンが多いことも特徴です。一度乗ってみると、その魅力に気づき、虜になるかもしれません。 デリカD:5を売るなら旧車王に査定を依頼する デリカD:5を高価で売却したい場合は旧車王がおすすめです。デリカD:5に精通した専門スタッフは特徴及びセールスポイントを正確に把握しています。そのため17年以上経過した初期型などの、一般買取店では評価が難しい状態でも高額査定を実現します。 ディーラーでの下取り金額では不満な方、一括査定の鳴り止まない電話にうんざりの方などは、高価査定の旧車王にぜひともお任せください。 [ライター/旧車王編集部]

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