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旧車の愛好家たち

オーナーが“青春の一部”と語る愛車「1986年式トヨタ スプリンタートレノGT-V改」との出会い。そして別れを考える
旧車の愛好家たち 2025.10.31

オーナーが“青春の一部”と語る愛車「1986年式トヨタ スプリンタートレノGT-V改」との出会い。そして別れを考える

はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 2回目となる今回は、30代半ばとなったオーナーにとって人生初の愛車であり、「青春の一部」と語るクルマを紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は人生初の愛車である「ハチロク」ことトヨタ スプリンター トレノを18歳のときに手に入れ、以来15年間、大切に所有しているオーナーの方を取材しました。 オーナープロフィール 尾形隼です。年齢は34歳、職業は会社員です。 所有するクルマは、1986年式トヨタ スプリンター トレノGT-V改(後期モデル)です。所有歴は15年、オドメーター上はおよそ30万キロ、手に入れてからは7万キロです。 クルマが好きになったきっかけは覚えていますか? 小さい頃からクルマが好きでした。3歳か4歳頃に、父親にドライブに連れて行ってもらったことも覚えています。小学生のときに転校してきた同級生が大のクルマ好きで、彼の影響が大きいと思います。ほかの同級生たちはポケモンやベイブレード、ミニ四駆、あとはムシキングに夢中でしたね。高校卒業後は自動車関連の専門学校に進学したこともあって、周囲はクルマ好きばかりでした(笑)。 本格的にクルマ熱に火がついいたのは中学生に入ってからです。頭文字D(アニメ版)や、土屋圭市さんのAE86をホットバージョンのDVDで見てから、大人になったらハチロクに乗ってみたいと思うようになりましたね。 これまでの愛車遍歴を教えてください このAE86が人生初の愛車です。その後、通勤用の足としてダイハツ ムーヴを2台乗り継ぎました。現在はAE86と、今年に入って手に入れた2023年式トヨタ カローラ スポーツの2台体制です。 AE86とカローラスポーツとは、理想的な組み合わせですね ムーヴから乗り換えるとき、次はトヨタ車にしようと決めていました。当初は現行型のカローラツーリングも候補に入れていました。ただ、カローラツーリングには限定車を除いて2リッターモデルの設定がないんですね。最終的に候補として残ったのがカローラスポーツというわけなんです。新車も考えたのですが、今年の一部改良でハイブリッドエンジンだけになってしまい…。2年落ちの中古車を手に入れました。トランスミッションは6速MTではなく、CVTの方です。 カローラスポーツに乗り換えてみて気づいたのですが、運転の疲労度がまったく違います。とにかく疲れないし、快適です。と同時に、これまで最新モデルのクルマを所有したことがなかったので、AE86に慣れた身にはカルチャーショックを受けることばかりです。先日も運転していて突然安全装置が作動してしまい、驚きました。AE86はエアコンやパワステ、パワーウィンドウすら装備されていませんし。 愛車であるAE86の存在を知ったきっかけを教えてください 18歳になって運転免許を取得し、いよいよ自分のクルマを手に入れる年代となったわけですが、買うとしたらAE86か、あとは日産180SXを考えていました。当時はまさかこれほどのめり込むとは想像もしていなくて、2、3年で乗り換えるつもりで探していたんです。 中古車検索サイトで何台かのAE86をチェックしましたが、実車を観に行ったのは現在の愛車だけです。頭文字Dの影響もあり、劇中車と同じ色にオールペンされるハチロクが多いなか、この個体は新車時からハイテックツートンに塗られていました。車両本体価格は約120万円で、この個体を手に入れた2010年当時の相場より少し高めの個体でした。いまでは考えられませんが、15年前は100万円未満のAE86も珍しくなかったんです。それに、高くても200万円を超える個体はほとんどなかった時代です。 AE86が納車された日のことを覚えていますか? AE86が納車された日のこと、覚えています。…といっても、学校に行っているときに自宅に納車されたので、帰宅したら「あ、AE86がある」といった感じでした(笑)。遅い時間だったので納車当日にドライブはしませんでしたが、運転席に座って「自分のクルマなんだ」と思うと、気持ちが落ち着ついたことを覚えています。 このAE86が「一生モノになるな」と思うようになったのはいつ頃ですか? 手に入れてから4、5年経った頃だったと思います。年齢でいうと、23〜24歳の頃ですね。エンジンをチューニングしたり、自分でシートやマフラーを交換するうちにこだわるポイントが定まってきて、いつの間にか手放すなんて考えられないような存在になっていました。 現在のハチロクの仕様を教えてください この15年間でエンジンの仕様を何度か変更しています。購入時にはAE111型用の4A-G(ノーマル)が搭載されていたんですが、ハイカム(IN/EX 288度)を組み込み、コンピューターをフリーダム製のものに交換しました。その後、点火系をディストリビューターから同時点火へ変更しています。 現在の仕様は以下のとおりです。計測していないので実馬力は不明ですが、180馬力くらいではないかと思われます。スペック上は8000回転までまわせます。 ハチロクの詳しい仕様はこちら 愛車であるAE86との一番の思い出は何ですか? 10年ほど前、トヨタの「GAZOO」愛車広場で取材してもらったことです。実は、このAE86が愛車広場の第1回目に取材したクルマだと聞いています。その後、スピードハンターズや、ベストカー、ベストカーWeb、デアゴスティーニ「週刊AE86」など、さまざまなメディアで取材してもらえるようになったんです。 スピードハンターズのときはイベント会場で撮られていたんですが、クルマから離れている間だったので、いつの間に?という感じでした。RAYSのイベントときはイベント会場で広報の方に声を掛けていただき、ホームページに掲載する写真を撮影していただきました。 これまで愛車を手放そうと思ったことはありましたか? 手放そうと思ったことはありませんが、1度だけ本気で「箱替え」を考えたことがあります。現在の愛車よりボディのコンディションが良い3ドアのレビンを手に入れ、あらゆる部品を移植しようかと真剣に考えました。 愛車が3ドアのトレノからレビンになること自体にそれほど抵抗はありませんでしたが、これまで所有してきたトレノのボディを手放すことには抵抗がありましたね。箱替えすることでクルマのコンディションは良くなっても、ふとトレノのことを思い出すに違いない…ということは薄々気づいていました。結局、悩みに悩んで、箱替えはせずにトレノを残し、レビンを手放すことにしました。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマはありますか? このAE86を手放してまで乗りたいクルマは思いつかないです。増車してでも欲しいクルマも見つからないです。このAE86があればそれでいいと思っています。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方…があるとすれば、そして、将来どうしても手放さなければならない状況にあるとしたら…大切に乗ってくれる方に引き取ってもらいたいです。できればこのクルマのことを知っている人がいいですね。これだけは避けたい別れがあるとしたら、それは事故で廃車になってしまうことです。 普段の乗り方で気をつけてることはありますか? エアコンが装備されていないので、夏場は乗りません。あと、雨の日も乗らないようにしています。 尾形さんにとって愛車であるAE86とはどのような存在ですか?  「青春の一部」でしょうか。やっぱり若いときに手に入れたからこそ、このクルマに没頭できたことは確かです。若いときにAE86を手に入れて、それなりに回り道もしたけれど、だからこそ得られたノウハウやクルマに対する考え方もあると思うんです。 かつては価格の安さや見た目などで決めていましたが、年齢を重ねるにつれてクオリティー重視になりました。10代後半、20代、そして30代半ばになった現在まで、このAE86と過ごすことができて本当に良かったと思っています。 ハチロクの仕様詳細 エンジン ・AE111型用4AG改 5AG・BC 5AGクランクシャフト・BC H断面コンロッド・CP 5AG用ピストン82パイ(特注)・強化クランクキャップボルト・TRD メタル(クランク、コンロッド)・TRD ヘッドガスケット 0.8mm・戸田レーシング ハイカム IN EX 288度 9.2ミリリフト・戸田レーシング カムプーリー IN EX・戸田レーシング 強化バルブスプリング ・戸田レーシング 強化タイミングベルト ・TRD オイルフィラーキャップ ・インパルス エアファンネル・RS知多 水周りキット・SARD インジェクター 300cc  12ホール・SARD フューエルレギュレータ・RUN-MAX メッシュホース・フリーダム ECU・E&E クランクピックアップユニット・AE92 4AGZ用 同時点火・永井電子 プラグコード(特注)・トラスト レーシングプラグ 外装 【フロント】・後期純正バンパー・前期純正リップスポイラー・シツアモデル製ドライカーボンリトラカバー(ボディ同色ペイント)・RAYBRIGマルチリフレクター(ブルーレンズ)・カーボンボンネット【リア】・純正バンパー・TRD FRPリアゲート TRDリアスポイラー【サイドステップ】・純正(ボディ同色)【ドアミラー】・シツアモデル製ドライカーボン・ブルーワイドミラー・RSハラダ クリアウインカーレンズ・クリスタルボディ横浜 ドライカーボンフロントガラスロアモール・シツアモデル製ドライカーボンフューエルリッド・クールベールフロントウィンドウ・UVカットフィルムクリア ドアガラス クォーターガラス バックドアガラス タイヤ&ホイール ・ホイール:RAYS TE37 7J オフセット0 14インチ・タイヤ:ブリヂストン RE71RS 185/60R14・KYO-EI ホイールナット 内装 ・シート:TRDスポーツシート2脚・ステアリング:TRD NARDIコラボ、Works Bell & Works Bell RAPFIX II・シフトノブ:TRD・追加メーター トラスト油圧計、integral 水温計/油温計、イノベートAF計・KARO フロントマット・GT-APEXステアリングチルト機構取付 吸排気系 ・インパルス エアファンネル・Altrack タコ足・サード スポーツキャタライザー・インパルス フルチタンマフラー デフ上 中間タイコ付き その他 ・バッテリー:SUPER B・ラジエーター:TABATAアルミ・電動ファン:SPAL・オイルクーラー:トラスト16段 オイルエレメント移設・フジツボ ボンネットフードロッド(チタン製) 駆動系 ・ATSカーボンシングルクラッチ・強化フライホイールボルト・ATS フライホイール・ステンメッシュホース・タカタ製3速クロス(5速ハイギヤー)・強化ミッションマウント・effect ボールシート、シフトカラー・LSD TRD 2way・ファイナルギア(4.556) 足まわり 【フロント】・クスコ ピロアッパーマウント・直巻スプリング 7キロ・TRD レース用ショック 減衰5段・ロールセンターアダプター 40mm・クスコ ピロテンションロッド 専用ブラケット付き・クスコ ロアアーム強化ブッシュ・TRDスタビライザー・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・ロングハブボルト・強化ステアリングラックブッシュ・クスコ テンションロッドバー・SuperPrivate フロアサポートバー・ステアリングラック 2ドアGT用3.5回転ラック・ナックル 2ドアGT用純正【リア】・インパルス 5.8キロスプリング・TRD レース用ショック 減衰8段・TRD  スタビライザー・クスコ コントロールアーム N-1リンク アッパー ロア・クスコ ラテラルロッド・Super Pro スタビリンク強化ブッシュ・Super Pro リアスタビライザーエンドブッシュ ブレーキ 【フロント】・MZ12 ブレーキキャリパー・ディクセル MZ12用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース【リア】・インパルス ブレーキ大径キット・ディクセル S13シルビア用ブレーキローター・アクレ ブレーキパッド・RUN-MAX ステンメッシュホース  

“一生モノ”の旧車「1970年式ポルシェ911S」までの出会いと愛車遍歴。そして別れを考える
旧車の愛好家たち 2025.10.10

“一生モノ”の旧車「1970年式ポルシェ911S」までの出会いと愛車遍歴。そして別れを考える

はじめまして、輸入車・旧車を専門とするライターの松村透です。 いくつかの自動車専門メディアで執筆しておりますが、この旧車王マガジンでは旧車の所有者に取材し、旧車を愛する方々の「そうそう、あるある」をお伝えしていきたいと思っています。 記念すべき初回は、私とこれまでに所有してきたクルマたち。そして、運命の出会いを果たした愛車「1970年式ポルシェ911S」ついて紹介します。 また本企画である、決して手放すつもりのない愛車と「もしも別れることになったら」についても考えてみます。 はじめに 日々、さまざまな自動車関連メディアで旧車を長年にわたって大切に所有しているオーナー様を取材する機会があります。 そういった方々は基本的には手放したり、乗り換えたりするつもりはありません。まさに「一生モノ」「アガリのクルマ」と考えているものです。 そんなオーナーの方に「現在の愛車との『別れ』を、あえて考えてもらう」という企画を不定期で実施していきます。 今回は私自身について、自己紹介を兼ねてお話いたします。 オーナープロフィール 松村透。年齢は50代、職業は自動車関連メディアの編集兼ライターです。 所有するクルマは、1970年式ポルシェ911S。 所有歴は13年、オドメーター上は9万7千キロ、手に入れてからは7千キロ程度です。 クルマが好きになったきっかけ 実はクルマ熱に火が点いたのは中学生になってからなので、どちらかというと遅咲きでしょうか。 ちょうど初代シーマがデビューしたり、スカイラインGT-Rが復活したり、ユーノスロードスターが登場した頃です。 まさにバブル全盛期。 日本車が新たな時代に入ったタイミングで、書店の自動車コーナーはいつも人がいっぱいで、さまざまな雑誌が山積みになっていた記憶があります。 クルマが好きになり、そのなかでも特にドイツ車に興味を持ちました。 そのきっかけは、1990年4月~1992年3月にTBSでオンエアされていた『所印の車はえらい』というテレビ番組。 高級チューンドカー大会という特集でABTアウディ90、BMW525シュニッツァーコンプリート、ポルシェ911964)ゲンバラコンプリート、メルセデス・ベンツ 500SLAMGコンプリートを、所ジョージさんと夏木陽介さんが乗り比べるという内容でした。 このとき、夏木陽介さんが「メルセデスは床が厚い」とおっしゃっていたことが強く記憶に残りました。 「それってどういう意味なんだろう」と興味を持ったのが原体験かもしれません。 ポルシェに興味を持ったのも同じ頃でした。 所ジョージさんが監修したアメ車専門誌『Daytona』が創刊されたのです。 『Daytona』編集部の方が新車の911ターボ(964)を購入し、そのレポート記事を読んだことがきっかけです。 「ポルシェの神様」と呼ばれていたメカニックの方とのエピソードや、マフラーのテールパイプを真っ白にする乗り方があること、慣らし運転ひとつでエンジンのコンディションやパワーに差が出る…などなど。 新車のインプレッション記事とはまったく異なる切り口に夢中になりましたね。 それからほどなくして、幼馴染みのアルバイト先の社長がポルシェ911を所有しているということを知りました。 幼馴染みに頼み込んで、自分もアルバイトとして採用してもらうことになりました。 アルバイト先の雰囲気にも少しずつ慣れてきたある日曜日、社長から連絡があり「ポルシェのディーラーに行くけど乗ってく?」と連れて行ってもらえることになったのです。 このときはまだ高校3年生。まさか人生初の輸入車ディーラー訪問がポルシェになるとは…。 緊張しっぱなしだったところ、セールス担当の方のご厚意で、911の試乗車に同乗させてもらえることになったんです。 忘れもしない964型の911カレラ2 MT、ボディカラーはルビーストーンレッドでした。 メカニックの方の運転でポルシェのディーラーを飛び出したカレラ2、背後で吠える空冷フラットシックスエンジン、横断歩道のわずかな段差がはっきりと伝わってくる乗り心地。 いままでに乗せてもらった、どのクルマともまったく違うフィーリングに一瞬で魅せられてしまったのです。 まさに自分自身のその後の人生が決まってしまった瞬間でした。 この日から、寝ても覚めても考えるのはポルシェ911のことばかり。 特集が組まれた雑誌を片っ端から手に入れ、カーグラフィックTVの911特集はビデオテープがすり切れるくらい観ました。 これまでの愛車遍歴 初の愛車は24歳のときに手に入れた「1973年式ポルシェ911S」です。 どこぞのボンボンだと勘違いされてしまいそうなので補足しておきますと、100万円の頭金と60回ローンを組んで購入。 とはいえ、人生初の愛車が旧車ということもあり、維持するのが辛くなって短い期間で手放してしまいます。都内のショップから自宅まで1→2速で帰ったのも懐かしい思い出です。 このクルマを所有したことが後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。 次に手に入れたのがパジェロ イオの3ドアです。 まったく違う路線ですが、急ぎクルマが必要な事情があって、近所の三菱ディーラーの中古車センターに並んでいたのを手に入れました。 懐かしのGDIエンジン搭載車です。 このエンジンはハイオク指定でしたが、どうも納得がいかずにケチってレギュラーガソリンを入れたところ、坂道でノッキングするようになり…。仕方なくハイオクを入れていた記憶があります。 次に乗り換えたのが、父と共同所有のパジェロショートです。父がパジェロ好きで、それならば本家に乗り換えようということになりました。 ちょうど三菱のリコール隠しが発覚した時期で、土曜日のショールームなのにお客さんが誰もいなくて、ディーラーでとても感謝された記憶があります。 V6 3.5リッターGDIエンジンはすこぶる快適で、大柄なボディの割に7〜8km/L走ってくれるし、3年間で6万キロも走らせてしまうくらい気に入っていました。 その次に三菱コルトに乗り換えます。パジェロの維持費が私には厳しく、コンパクトカーに乗り換えました。 「ビームエディション」という特別仕様車でした。よくできていたクルマなのですが、私には刺激が少なく物足りなく感じました。 ちょうど2回目のリコール隠しが発覚した時期と重なり、国道を走っているとトラックがスーッと車間を開けるんですね。避けられていることが分かるんです。 これで気持ちが冷めてわずか半年で乗り換えることにしました。 次に乗り換えたのがゴルフ4ワゴンです。勤め先の社長がゴルフ4GTIに乗っていて、これは中古車でも高くて手が出ないため、デザインが好きなワゴンを買うことにしたんです。 4年落ちの中古車でしたが、ドイツ車らしさを味わいました。 1度、外出先でエンジンが掛からなくなってしまい、レッカー車にお世話になったこと、エンジンオイルの警告灯が点灯してディーラーに入庫した以外は大きなトラブルもありませんでした。 次に入手したのがゴルフ5GTI。ゴルフ4ワゴンをディーラーに預けたとき、たまたま試乗するという運命のいたずらによって手に入れることになります。 DSGの電光石火のシフトチェンジに心を持っていかれました。たまたま3月末の決算期ということもあり、純正ナビが無償で装着されることを知り即決しました。 このクルマでは、暇さえあれば遠方にドライブしました。mixiで知り合ったポルシェ仲間とのツーリングもこれで行きました。 皆さんがポルシェに乗っていたのが羨ましかったことを覚えています。 次に乗り換えたのが、ゴルフ6R。初のゴルフRです。 当時はゴルフで500万円かよ!なんてツッコまれたものですが、いまやゴルフRも800万円クラスですからね…。 OPのレカロシートを装着して快適だったけど、運転する楽しさや刺激の度合いは5GTIの方が上でした。 このゴルフ6Rを所有していた24歳のときに、一度手に入れた1973年式ポルシェ911Sを買わないかという話をいただき、清水の舞台からダイブする思いで手にいれることになります。 そんなこともあって、ゴルフ6Rを所有していたのは2年ほどでした。 この頃から、もう1台のクルマを手に入れ2台体制となります。 二十歳のときから、いつか手に入れたいと思っていたユーノスロードスターVスペシャルを29万円で購入しました。 見た目は綺麗な個体だったんですが、クラッチが滑る、エンジンのオイル漏れなどのトラブル続きで…。最初の2年くらいは修理ばかりしていました。 ヤフオクなどを駆使してできるだけ安く抑えつつ、若いときに果たせなかった自分の理想のロードスターに仕上げた思い出深い1台です。 そしてこのタイミングで1973年式ポルシェ911Sを手に入れます。2012年のことです。空冷バブルが起こりはじめていた時期ですね。 完成までになんと7年半を費やすことになります! 1973年式ポルシェ911Sが完成したらロードスターと趣味車が2台体制になってしまうため、泣く泣くロードスターを手放し、中古のゴルフ6ハイラインに乗り換えます。 地元の先輩がゴルフ6に乗っていたこともあり、遅まきながら素のゴルフの良さに気づいたんです。メーカー認定中古車だったため、程度は上々でした。 フリーとして独立した直後で、取材もこれで行っていました。 良いクルマでしたが、あまり記憶がないのは独立直後で日常に忙殺されていた時期だったからかもしれません。 地元のVWディーラーに就職した後輩から「ディーゼルゲート事件絡みで手放した程度の良いゴルフ7があるから観に来ません?」と連絡を受けたのが、またしても運命のいたずらか。 いつの間にかゴルフ7の特別仕様車「ラウンジ」に乗り換える話に。 「ローンの審査をクリアしたらね」と念を押したのですが、まさかの審査通過。 とにかくVWが売れない時期だったこともあり、破格の条件で乗り換えることとなりました。 いまの妻と知り合ったのもこのクルマに乗っているとき。さまざまな思い出が詰まった1台です。 結婚して子どもが生まれ、そろそろウチもミニバンか!? ということで、メーカー認定中古車のゴルフ トゥーランに乗り換え。 先述の後輩が頑張ってくれたこともあり、今回も破格の条件で手に入れることができました。 納車早々、大雨のなか家族で伊勢神宮まで旅行したのも懐かしい思い出です。 ただ…トゥーランに乗り換えた2年後、下の子が生まれたのを機に、奧さんが「私もミニバンを買う!」と言い出し、新古車の日産セレナを購入。 家族での移動は、もっぱらセレナでとなります。 約1.6万キロで購入したゴルフ トゥーランも、気づけば約8万キロに。 10万キロあたりでそれなりの修理が必要になってきそう…ということもあり、リセールがあるうちに…という思いと、久しぶりにステーションワゴンに乗りたいということで、パサート ヴァリアントの認定中古車に乗り換えます。 人生初のディーゼルエンジン車。 「移動がラク・飛ばす気にならない・ゆったり乗りたい」という希望をすべて叶えてくれたクルマです。 いまの愛車の存在を知ったきっかけ 忘れもしない2012年のことです。 いまもお世話になっている主治医の工場の片隅に、ナナサンカレラ仕様・エンジンレスの状態で置かれていた1973年式ポルシェ911Sを「松村くん、買わない?」とのオファーを受けたのがきっかけです。 ボディは修復するから好きな色に塗って良いよ、エンジンは3.2カレラあたりのものを載せる予定だよ、とのこと。 金額を教えてもらったら頑張れば買えなくもないけれど、実はこのとき、別の911を買うつもりで現車確認も済ませていたのです。 GWが終わった5月半ばの週末、ポルシェ仲間の二人が某誌の取材を受けるということで同行させてもらいました(このときは完全にいちギャラリーです)。 そこで「やっぱり自分も乗りたい!」というテンションになり、現車確認を済ませていた911を契約すべくお店に連絡したところ、すでに売れてしまったとのこと…。 こうなったらヤケだ!と、勢いで主治医のショップに連絡をして「1973年式ポルシェ911S買います!」と伝え、頭金+72回ローンを組んで契約しました。 ボディカラーは悩みに悩んで24歳のときに購入した1973年式ポルシェ911Sに近い「パステルブルー」をチョイス。 ちなみに、この時代のポルシェの純正色です。のちに主治医から「プラレール号」と命名されることになります。 見た目のナナサンカレラ仕様はそのまま活かすことにして、エンジンは頼み込んでメカポン(メカニカルポンプ)にしてもらいました。 ノーマルの2.2Lではなく、エンジンを組んでもらう際にそれなりに手が入っています。 プラレール号(2号機)を手に入れた翌年あたりから、空冷バブルにより相場が上昇していくこととなります。あと1年遅かったら間違いなく買えませんでした。 プラレール号(1973年式ポルシェ911S)が納車された日のこと 私にとっての2代目1973年式ポルシェ911S「プラレール号」が完成した納車日をしっかりと覚えています。 2019年12月28日。 およそ7年半、その間に会社員からフリーランスになり、結婚して子どもが生まれ…と、これまでの生活パターンから大きく変化した時期でもありました。 ナローポルシェ仲間のKさんと緊張しながら主治医の工場の周辺を運転して工場に戻しました。 なぜ乗って帰らないのかって?このときは自宅に置き場所がなかったのです。 初代プラレール号は青空駐車で、日に日にクルマが傷んでいくのを見ていたので、今度は屋根付きの駐車場に止めたいという切実な思いがありました。 家族構成が変わったこともあり、奧さんとも相談した結果、プラレール号が保管できる場所を確保した家を建てることになりました。 その間、プラレール号は主治医のところに10ヶ月ほど居候させてもらいました。 プラレール号が完成した年は、1ヶ月に1度くらい乗りに行って主治医の工場の周辺をドライブして…という生活でした。 プラレール号が一生モノになるなと思うようになったのはいつか 正直「一生モノになるな」という確証はまだ持てていません。一生モノにするために、日々、必死に働いています。 こればかりは「なるようにしかならない」と思っているので、運を天に任せます。 愛車との一番の思い出について どれかひとつというなら、7年半掛かってプラレール号が完成して、その後1年間主治医のところに居候して、ようやく自宅が完成してガレージに収めた瞬間ですね。 ようやく安心して止められる場所が確保できたのと、自宅の敷地内にプラレール号があるという安心感。 長年の夢がかなった瞬間でした。 何しろ、プラレール号ありきでガレージを造ったので、大きなクルマは入りません。992型もギリギリだと思います。 これまで愛車を手放そうと思ったことは? 実はごく最近の話です。 先日車検から戻ってきたんですが、その費用が想定外に掛かってしまい「これが2年に1度はさすがにしんどいな…」と思ったことは事実です。 一瞬ですが「さすがにもう無理かも」という考えが頭をよぎりました。しかし、いまプラレール号を手放したら2度と買えないことは分かっていますし、これまで経験していないような喪失感に襲われるかもしれない、という怖さもあります。 家族がいちばん大切な存在であることは間違いないんですが、プラレール号は、「別名保存」な存在なんです。 これはこれでなくてはならない存在です。この感覚、男性の方なら理解してもらえるんじゃないかと…。 欲しいクルマ、乗ってみたいクルマ、買いたかったけど諦めたクルマ 欲しいクルマ プラレール号を手放してまで乗りたいというクルマは思い浮かばないです。 同じような考えをお持ちのオーナーさんを取材することはよくありますが、私もようやくこの境地に達することができました。 もし増車できるなら、最新モデルの911を手元に置いておきたいですね。 1世代前になってしまいましたが、去年(2024年)911ダカールに乗る機会があって、不思議と印象に残っているんです。 水冷911で「街中を走らせるだけでも楽しい」と初めて思えたモデルでした。 乗ってみたいクルマ まっ先に思い浮かんだのがポルシェ959です。 プラレール号の主治医から「959の真骨頂が、2つ目のターボが効いたところから」と伺っているので、その感覚を味わってみたいです。 でも、スペックだけでいえば、現行モデルの方が上回っているんですよね。時代の流れを感じます。 あと、人生のうちであと1回、ボロボロのクルマをレスキューしたいと思っています。 1台目はユーノスロードスター(ボロボロではありませんでしたが、年式相応にくたびれていました)、2台目がこのプラレール号。 3台目は何になるんでしょうね。時期とタイミングがくれば直観的に「これだ!」って分かるような気がします。 買いたかったけど諦めたクルマ 数え上げればキリがありませんが、スカイラインGT-R(BNR32)はとうとうご縁がなかったようです。 20代前半の頃、無理すれば買えたかもしれないというチャンスが何度かありました。 中古車としても少しずつこなれてきていましたし、さまざまなチューニングショップでもスカイラインGT-Rを扱っていましたから「お金さえあれば」ハイパワーのGT-Rに乗れた時代だったと思います。 いまではすっかりオリジナル志向になってしまったし、ベース車両が高くなりすぎましたよね。 2010年あたりまでは100万円以下のスカイラインGT-R(BNR32)なんてゴロゴロありましたから。 オーナーが思う「愛車との理想の別れ方」や「これだけは避けたい別れ」とは? 愛車との理想の別れ方。 考えたくはないですね。できれば子どもたちに乗り継いでもらいたいです。上の子があと12年、下の子があと14年。 その頃、旧車を取り巻く環境がどうなっているのか想像もつきませんが、今よりも維持が大変になっているかもしれません。 少し前までEVシフトしていた各自動車メーカが、やむを得ずICE搭載車を今後も発売するという方向転換を余儀なくされています。 EV化の流れは止められないけれど、少し後ろ倒しになったことは確かです。旧車オーナーとしては古いガソリンエンジン車が少し延命できたような心境です。 これだけは避けたい別れは、やはり資金難での売却です。やはり自分の引き際は自分で決めたいのです。 あとは事故による廃車…。 オーナーにとって愛車とはどのような存在か? ひと言で表現するなら「アイデンティティー」だと思います。 10代のころから、気づけばアラフィフになった現在まで「自分=ポルシェ911」に対する想い入れがとうとうブレませんでした。 人生の半分以上の時間を魅せられてきているんです。 24才のときに初代プラレール号を手に入れ、挫折して、それでもやっぱりもう1度乗りたいという気持ちは変わらなかった。十数年間浪人しましたが、どうにか復帰できた。 そして、さまざまなオーナーさんを取材する機会に恵まれ、大切に乗っている方たちの考えかたや重視していることを知ることができました。 今回の企画は「現在の愛車を手放すつもりがゼロのオーナーに対して、あえて『別れ』について考えてもらう」といった趣旨ですが、やはり可能な限り側に置いておきたいという気持ちを新たにしました。 大変なこともいろいろありますが、どうにかこのまま現状維持ができたらと思います。できれば早く「大変じゃない状況」にしたいものです。

日本でいちばん暑い席。敢えて暑い夏に劇狭なリアシートを体感してみた
旧車の愛好家たち 2025.08.28

日本でいちばん暑い席。敢えて暑い夏に劇狭なリアシートを体感してみた

2025年の夏も想像以上に暑い日が続いています。しかも、信じられないほどの暑さが。 東京では8月27日までに10日連続の猛暑日を記録したそうです。 路上では熱中症で救急搬送をする救急車のサイレンが鳴り響き、大汗をかきながら路上を歩く方々を目にする日々です。こんなときにはどうすえばいいか?考えました。 暑いときには逆療法、暑いからこそ辛いカレーや熱いうどんを食べて汗をかく。クルマでもそれは可能です。ただオーバーヒートやパーコレーションの話では、暑さの前に不安が立ってしまいます。ですので、別のお話をしたく思います。 この世の中には知らなくてもいいこと、知っても意味のないことがあります。ええ、世の中の大多数の人たちから「どうでもいいよ」といわれるようなことです。しかし、たまにふとこれはどうなのだろう?と思ったことはありませんか。そう、これはそうした素朴な疑問、あなたが知らなくても一向にかまわない世界のお話です。  スポーツカーは多くの場合、2座しかなかったりするものがあります。いわゆる「2シーター」モデルです。その理由はエンジンが後部にあったり、重量配分の都合上、後部座席を持たないためです。 ですが、世の中にはそれではいけない、そうしたクルマでも4人は乗れなくては!と、後部座席を一生懸命(無理やり?)設計して組み込むという努力をメーカーがしてきました。 あくまでも一説によれば・・・ですが、ポルシェ944(924)とマツダ サバンナRX-7(SA22、FC3S)はまったく逆の理由から後部座席を設置することを考え、非常に似たスタイルに至ったという面白い話を学生時分に」伺ったことがあります。2座でもいいのだけれど4座で作りたい944、2座で作りたいのだけれど法規制や販売を考え、やむおえず後部座席を作ったサバンナRX-7。それでも両車は似てしまう。なんだか不思議なお話です。 そんな数多の2ドアスポーツカーが後部座席を持ち、それは果たして本当に使い物になるのだろうか?決して長身ではありませんが、脂肪分たっぷりの私(きもだ)が実際に乗り試してまいりました。 ■アルピーヌA610 フランスを代表するスポーツカーA310から続くRRモデルの最終型。ポルシェ911と同じレイアウトながら、座ってみると思いのほかヘッドクリアランスが取れています。そのため、長身の方でなければそれなりにドライブも可能そうです。ただし、エンジンの熱はそれなりに籠るので夏場はお勧めいたしません。  また、乗り込んだだけではそれほど狭さは感じられません。むしろサイドサポートはしっかりとホールド感すらありします。車高の低さゆえか、さすがにヘッドクリアランスはお世辞にも期待できませんが、それでも十分にドライブに耐えるようにも感じられます。 それでは前席の背もたれを起こして実際の運転状況に合わせてみましょう。思ったよりは圧迫感はありませんが、やはり足元が狭い。座面が低いためやや体育座りのような姿勢からさらに足を開き、シートを間に入り込ませないとなりません。もし後席に女性を乗せるのであれば、美しい姿勢のためにはヨガのインストラクターのようになるかもしれません。 ■ポルシェ911(996モデル) やはりRRレイアウトのためお世辞にも余裕があるとはいえません。シートの硬さもクッションがあまりなく、非常に硬めです。何より前述のアルピーヌ A610に比べてもヘッドクリアランスがないため、大人は短距離で限界でしょう。しかし、人によってはこれで親子4人でテントとタープまで装備してキャンプにも行く方も。乗り手の気合い次第ではいろいろなことができるかもしれません。 早速乗り込んでみますが、既に先ほどのアルピーヌ A610と同じように足元は厳しさが隠せません。シートを起こすのが不安になってきました。  シートを起こすともう後席部分は一杯いっぱい。にじむ汗でデフロスターを作動させても曇りそうな狭さです。前席のヘッドレストは目の前に迫り、後部やヘッドクリアランスはほぼ皆無といえるでしょう。 ■スバル ヴィヴィオT-Top(タルガトップ) 最後のご紹介はスバルのヴィヴィオ タルガトップです。前述の2台に比べはるかに車高は高く、安心感がありそうです。しかし油断してはいけません。これはあくまでも後部座席に人を乗せて快適にドライブが可能かどうかを検証するために行っているのです。 それが証拠にこの後部座席の画像をご覧ください。もうすでに不安しかない狭さです。 では実際にご着席いただきましょう。今回は筆者ではなく、現地にいた似たような体格のお2人に入っていただきました。既にこの時点でも「ミッチミチ」です。リアウィンドウセクションを起こしたら接合部から色々染みだしてきそうな感じさえあります。 このクルマではここまでは序の口。ここまで小さいクルマですから、やはりフル乗車したらどうなるかを見てみたいと思うのが人情です。で、乗っていただきました。  なんというせまっ苦しい、もとい暑っ苦しい絵面でしょうか。さすがにリアウィンドウと屋根を着けてくれとお願いはできませんでした。恐ろしい画像です。 ここまで読まれた読者の皆様、エアコンなんて切って窓を開けてください。たぶん清々しい空気と涼しい風が感じられるはずです。 ■まとめ:狭くても、暑くても、リアシートはあった方がいい この夏、日本各地で40度を越える気温を観測しました。この狭く暑そうな図を見て、その後の開放感溢れる世界を見ればとても涼しく感じられるのではないでしょうか。 今回この無茶な企画で手伝ってくれた方々、とても楽しそうにご協力をいただけました。 狭くても暑くてもみんながそこにいて、クルマをドライブすることができればそれだけで楽しくなると思うのです。 夏場でも楽しくドライブをいたしましょう。ただし、後席に人を乗せるときは車種によっては5~6㎞以内にとどめておく方が無難かもしれません。 [画像・ライター / きもだこよし] 

筑波サーキットを走る&サンブレフェスタにエントリー!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.13
旧車の愛好家たち 2025.06.28

筑波サーキットを走る&サンブレフェスタにエントリー!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.13

2019年から取材を続けている、「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」代表・綿引雄司氏がハンドメイドで完成させた「6輪F1タイレルP34」。 アルミの板が綿引マジックで少しずつフォーミュラカーへと形作られ、やがて6輪F1タイレルP34となった。 はじめのうちは信じられなかったけれど、本当にハンドメイドなのだ。 プラモデルでいうなら「フルスクラッチ」だ。 いつしか6輪F1タイレルP34には命が吹き込まれるようになった。 排気量1.3リッターの隼のエンジンが搭載され、その動力はチェーンを介して後輪に伝達される。 そして後方からは隼エンジンのエキゾーストノートがうなりを上げる。 トランスミッション、サスペンション、ブレーキ、フューエルライン・・・。 マシンとしての命が吹き込まれた6輪F1タイレルP34は、ついに実走行が可能になった。 ここまでで充分だろう。 しかし綿引氏はこれに留まらず、サーキットで走れるように6輪F1タイレルP34をセットアップし、シェイクダウンにも立ち会うことができた。 その後、福島県にあるエビスサーキットでスポーツ走行を行い、国産スポーツ勢を抑えてトップタイムをたたき出してしまった。 そしてついにレースデビュー・・・。 筑波サーキットを舞台にバトルを繰り広げるフォーミュラカーが、かつて1枚のアルミの板であったことを誰が想像できるだろうか。 ■ハンドメイドの6輪F1タイレルP34が、筑波サーキット2000を走る! 2025年6月1日、筑波サーキット2000で開催されたアイドラーズFS-CUP第2戦に綿引氏の6輪F1タイレルP34がエントリーすると聞き、応援を兼ねて現地へ。 FS-CUPにエントリーした他のマシンたちが並べられた一角に6輪F1タイレルP34の姿をを見つけたとき、不覚にも「ホントにレースに出るんだ・・・」と思ってしまった。 ハンドメイドで6輪F1タイレルP34を造り上げるだけでも「タダゴト」ではないのに、実際に走行できるだけでなく、いまやサーキットでバトルできるマシンへと進化したのだ。 FS-CUPの当日のスケジュールは ・受付:05:00〜08:20・ブリーフィング:08:30-09:00・車輌/装備検査:09:05-・フリー走行&予選:10:35-10:55・決勝(10周):14:00-14:15 ・・・と、息つくヒマもないほど忙しい・・・というほどではないが、のんびりもしていられない。 ●今回のレースに備えて、6輪F1タイレルP34に以下の変更が加えられた。 ◯バックスターター&ギア取り付け◯それに伴いチェーンテンショナー位置を変更◯フロント前後のベルクランクアームの中心軸にベアリングを組み込み◯フロントのサスペンションを減衰力調整機構付きグロム用サスペンションに変更◯エンジンストップスイッチ取り付け◯バックミラーをセブリングミラーから砲弾型タイプに変更◯リアランプはダミーだったものを、内側の反射板にライトホルダーを作り点灯可能な仕様に変更◯集合管マフラーに変更◯フロントカウルフレームを強化、前回のレースでは曲がってしまったので、鉄に変更ではなくアルミのまま補強で対応◯フロントカウルリップスポイラーの吊り下げロッドを追加◯ヘルメットはハンスデバイス装着がレギュレーションで決まっていることに伴い、アライGP6Sへ変更。ニューカラーのロニーレプリカに変更 実はFS-CUPの参戦は今回が2度目になる。前回は惜しくもリタイア (フロントカウルが風圧に負けて路面に擦ってしまったのだ)となってしまったが、今回はフレームを強化するなど、対策も万全だ。 ■予選&決勝 FS-CUPエントリーしたマシンは20台。10:35にフリー走行がスタート。 途中、赤旗中断はあったものの、無事に予選を終了。 ベストラップは1分8秒477、決勝は16番グリッドからのスタートとなった。 綿引氏によると、予選のピットイン時にセルモーターでエンジンが始動せず、押し掛けしたことが違反行為とみなされてしまったのだという。 そのため、ベストラップのタイムが適用されず、次に速いタイムだった1分10秒003が適用された。 昼食をはさみ、午後から決勝・・・だったのだが、6輪F1タイレルP34のセルモーターとバッテリーが不調で、レース直前まで他チームのサポートもあって充電をすることに。 決勝は1週のローリングスタートをはさんでレーススタート! 6輪F1タイレルP34は順調にラップタイムを重ねて・・・かと思いきや、エンジンが不調だった模様で、排気音がおかしいかなと思う周もあった。 それでも無事に完走し、ベストラップは1分8秒342、14位という結果に終わった。最終コーナー入口付近のトップスピードは159km/hをマーク。ちなみに前回参戦したときのトップスピードは163km/h、ラップタイムは1分8秒993だったことを考慮すると、他のコーナーでタイムを縮めていることが分かる。 予選時よりも速いタイムが出ただけでなく、プロのコンストラクターが製作したフォーミュラーマシン(スーパーセブンもいたが)と互角のバトルを繰り広げたことになる。 エンジンの不調という課題は残ったものの、次なるステップへとつながる一戦だったことは確かだ。 なお、当日の模様は「CBR WATAHIKI」YouTubeチャンネルに公開されている。鮮明かつ迫力あるオンボードカメラによる映像も必見だ。 ●2025 FSカップ第2戦筑波自作タイレルでどこまで行けるか!https://youtu.be/Enk_Yj1QhgM?si=aYqd1r1KK9wO8LPa ●Fsカップ筑波6月1日決勝オンボード  ハンドメイドタイレルhttps://youtu.be/6cA92O5U7fc?si=hYmMN0QYLq1dFYE5 ■道の駅おおたで開催されたサンブレフェスタ2025にエントリー アイドラーズFS-CUPから3週間後の6月22日には、道の駅おおた(群馬県太田市)で開催された「サンブレフェスタ2025」にエントリー。 昨年はあいにくの雨だったが、今年は晴れ。真夏並みの暑さとなったが、雨よりはいい。 サンブレフェスタではおなじみとなった場所に「6輪F1タイレルP34」が展示されると、綿引氏のYouTubeチャンネルを観ているファンはもちろんのこと、偶然道の駅おおたを訪れたギャラリーも足を止めていた。 サインボードがなかったので、初見の人はオリジナルの6輪F1タイレルP34だと思ったに違いない。 ここでサンブレフェスタにおける毎年恒例。これまでのサンブレフェスタに展示されたときの6輪F1タイレルP34と見比べてみよう。 ●2021年仕様●2022年仕様 ●2023年仕様 ●2024年仕様 ●2025年仕様 まさにハンドメイドタイレルの進化の過程そのものだ。いまにして思えば、2022年仕様のアルミ地むき出しの状態の展示が、多くのファンにとってスッピンのハンドメイドタイレルが見られる貴重な機会であったことが分かる。 ハンドメイドタイレルの進化はこれで終わりではない。まだ先がある。今後も進化の過程を可能な限り追い続けたいと思う。 余談だが、TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO(東京都港区)オープン1周年記念として6輪F1タイレルP34が展示されている(7月7日まで)。 筆者も実車を観てきたのだが、ぜひオリジナルのタイレルと、綿引氏が造り上げたハンドメイドタイレルを並べて展示する光景を観てみたい。 ■「道の駅おおた」について ・所在地:〒370-0421 群馬県太田市粕川町701-1https://goo.gl/maps/E3vus5Vmbpjn8mz68・電話:0276-56-9350・FAX:0276-56-9351・駐車場;普通車:126台、大型車:40台、身体障害専用:4台・URL:http://michinoeki-ota.com ●道の駅 おおた <公式> Facebookページhttps://www.facebook.com/michinoeki.ota/ ●道の駅おおた広報「おっくん」 Facebookページhttps://www.facebook.com/ekicho.ota/ ●道の駅 おおた <公式> Twitterhttps://twitter.com/michinoekiota ■手作りの6輪F1タイレルP34とは? 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI(以下、CBR WATAHIKI)」代表の綿引雄司氏が、仕事の合間を縫って手作りで製作してきた、6輪が特徴的なF1マシン「タイレルP34」。 その完成度の高さから、ネット上ではタイレルP34のコンプリートマシンを綿引氏が所有していると誤解されることもしばしばだ。 また「タイレルP34のレプリカ」と評されることもあるが、綿引氏独自の解釈で製作された箇所も少なからずあることは事実だ。 そのため、忠実なレプリカというわけではない。 つまり、この「レプリカ」という表現がこのマシンに当てはまるかどうかは人それぞれの解釈に委ねたい。 製作者である綿引氏によると、このF1マシンが存在することは、タイレルのルーツでもあるケン・ティレル氏のご子息、ボブ・ティレル氏も把握しているという。 しかも、ボブ・ティレル氏は好意的に受け止めてくれているとのことだ。 ぜひ、イベント会場などで実車を観て、細部の作り込み、フィニッシュワーク美しさをその目で確認してみてほしい。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されていますhttps://www.youtube.com/@cbrwatahiki※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・カメラ/松村 透]

3代目ロードスターで焼き芋屋!? 人生初の愛車が「えるろこロド芋」になった理由とは
旧車の愛好家たち 2025.02.24

3代目ロードスターで焼き芋屋!? 人生初の愛車が「えるろこロド芋」になった理由とは

横浜と聞くと、みなとみらい、桜木町、山下公園など、さまざまな観光スポット&デートスポットを思い浮かべる方が多いだろう。クルマ好きであれば、大黒PAを思い浮かべるかもしれない。 実は、横浜には観光スポット&デートスポットや大黒PAの他にも横浜ならではの名物がある。それが、ロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」だ。 ちょうどこの記事の取材をしようと店主に連絡を取っていたところ、さいたまスーパーアリーナけやきひろばで開催される「さつまいも博2025」に出店することを聞き、筆者も現地へ向かうことに。 ■横浜を拠点にサーキットにまで出没する焼き芋屋「えるろこロド芋」 今回、取材を行ったロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」は、横浜(みなとみらい、桜木町、神奈川区、新横浜など)を拠点とした焼き芋屋だ。 筆者は日常的に横浜みなとみらい、桜木町、山下公園付近をクルマで運転することが多い。また、仕事終わりにみなとみらい付近を通過するときに、赤い“焼いも”提灯を点灯させているロードスターの焼き芋屋「えるろこロド芋」を見掛けることがあった。 このときから「ロードスターの焼き芋屋?」と気になる存在であった“えるろこロド芋”は、取材時と開催時期が重なった「さつまいも博」のほかにも、スーパーGTが開催される富士スピードウェイなどにも出店している。そのため、さつまいものイベントやサーキットで開催されるレースなどで見掛けたことがある方も多いだろう。 そして、ついにずっと気になっていた“えるろこロド芋”に直接話を聞く機会を得た。 ■ロードスター×焼き芋の異色の組み合わせは偶然から生まれた ロードスター×焼き芋「えるろこロド芋」は、店主の“鬼ちゃん”こと井上昌(34歳)さんが営む焼き芋屋だ。早速、気になっていることを聞いてみた。 ●なぜロードスターで焼き芋屋をはじめようと思ったのでしょうか? 「ロードスターを主軸にして、何か面白いことができないかと思いはじめたのがきっかけです。ロードスターで何かをはじめるときに、ヒッチメンバーで道具を引っ張って商売をしても、他の人と被ってしまい面白くないと思いました。せっかく何かをはじめるなら、クルマ1台ですべてが完結するものがいいと思い、焼き芋屋という結論になりました。このクルマ1台で完結するという点に大きな魅力を感じて焼き芋屋をはじめました」 もともとロードスターで焼き芋屋をはじめようとしたわけではないという店主の井上さん。どのような経緯で今のスタイルに行き着いたのでしょうか? ●ロードスターで焼き芋屋をはじめたのはいつからなのでしょうか? 「2018年です。人生初の愛車であるロードスターは、最初の頃、普通のNCロードスターでした。走行距離5,000kmのロードスターを手に入れて、2〜3年で走行距離約8万kmまで走った後、焼き芋をはじめました。まさか、焼き芋屋になるなんて想像もしていませんでしたよ」 NCロードスターで予想していなかった焼き芋屋をはじめるときに苦労したことはあるのでしょうか? ●営業許可や営業準備など焼き芋屋をはじめるまでの準備が大変そうですね 「そこまで大変ではなかったです。焼き芋屋は、調理資格も必要ないので誰でも参入できます。いわば、野菜を販売しているのと同じ業態です。準備で大変だったのは、芋を焼く窯の準備です。実はこの窯はワンオフなんです。お客さんの中に鉄を加工している人がいたので作ってもらいました。本当に、いろんな人に支えられながらここまで続けてこれました」 焼き芋を買ってくれる人に支えられながら営業を続けているロド芋。地元である横浜やロド芋のリピーターを大切にしていることが言葉の端々から感じられる。ロードスターの焼き芋屋“えるろこロド芋”は、横浜以外の場所でも営業することがあるという。実はこのときに大変なことがあると話す。 ●ロド芋は横浜だけでなくサーキットなどでも出店していますが大変なことはありますか? 「標高が高くて、空気が薄い場所はとても大変です。例えば、富士(富士スピードウェイ)など、標高が高い場所で営業するときは、焚付の手順だけでなく焼き方も変わります。おそらく、一般的な焼き芋屋では、標高が高くて空気が薄い場所で上手く焼くことができないと思います。うち(えるろこロド芋)は、いろんな場所に行って営業しているので、標高が高くて空気が薄い場所でも上手く焼ける焼き方を身につけることができました」 標高や空気の状態で手順が異なる焼き芋の焼き方。芋を焼くときのこだわりがあるのか聞いてみた。 ●芋や焼くときのこだわりはありますか? 「こだわりと言っていいのかわかりませんが、常に蜜たっぷりで柔らかくて美味しい焼き芋を提供できるようにしています。なので、うちの焼き芋は美味しいです。加えて、うちで焼き芋を買ったときは、焼き芋とともに思い出を作ってほしいですね」 この話を聞いて、“美味しい焼き芋を焼くのが当たり前”となっている点にこだわりや職人魂を感じた。また、ロド芋では食欲を満たすだけでなく、“ロードスターの焼き芋屋で買った”という思い出づくりもして欲しいとのことだ。食べ物を買うだけでなく、購買体験そのものを楽しいものに変えてくれるのはロド芋の大きな強みといえるだろう。 ー以前、ロードスターのドアノブが取れてしまったというX(旧Twitter)のポストを見かけたのですが、今後も修理しながら大切に乗り続ける予定なのでしょうか?それとも、乗り換えを考えているのでしょうか? 「はい、このまま乗り続けます。乗り換えの予定も・・・ないですね」 文面では伝わりにくいが、乗り換える予定があるか聞いたときに長い間があった。このことからも、店主である井上さんの人生初の愛車であるロードスターへの思い入れが強いことが伝わった。  人生初の愛車であるNCロードスターを大切にしながら焼き芋屋を営んでいる「えるろこロド芋」。今回、さまざまな話を聞きながら、クルマを大切にしていること、焼き芋を買ってくれた人に思い出も提供していること、店主のロードスター愛などを感じることができた。 ■えるろこロド芋のベース車輌NCロードスターとは? マツダ NCロードスターは、2005年8月5日に発売された3代目ロードスター。歴代初となる3ナンバーボディや2.0Lエンジンの搭載など大型化が進んだが、各部にアルミを使用したことで車輌重量はNBロードスター(RSのABS装着車)から10kg増に留められている。 3代目NCロードスターは、商品の魅力を向上させながら走りを熟成させ、2015年までの10年間にわたり販売された。 ■ロド芋の出現情報とメニュー 横浜を中心に営業している「えるろこロド芋」の営業日は不定期だ。運良く見かけたときが購入タイミングとなる。 以前は、X(旧Twitter)で出店の告知をしていたが、現在は告知をせずにその日の天候などで営業するかを決めているとのことだ。また、先にも述べたように、スーパーGTなどのイベントがあるときにサーキットに出店していることもある。 いずれにしても、いつどこに出店するかは直前または当日にならないとわからないのがロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」だ。もし、横浜の街中やサーキットなどで見かけたときには、焼き芋を買って、ロードスター×焼き芋の写真を撮ってみてはいかがだろうか。 ちなみに、えるろこロド芋のメニューは、次のとおりとなっている。 【ロードスター×焼き芋「えるろこロド芋」のメニュー】 ◆焼き芋・Sサイズ 600円・Mサイズ 900円・Lサイズ1,200円 ◆干し芋・100g 1,300円 ※干し芋は街中での販売で購入できるときと購入できない場合がある※いずれも2025年2月時点における価格※上記は街中で販売するときの価格 ■横浜で見掛けたときはぜひとも食べてもらいたいロド芋 現在不定期での営業をしている“えるろこロド芋”は、いつどこで出店するかわからない神出鬼没の焼き芋屋だ。ただ、1つわかっているのは、横浜近郊に出現することが多いということだろう。 横浜に観光へ行ったときや横浜にドライブデートしにいったときに、ロードスターの焼き芋屋“えるろこロド芋”を見かけたら、ぜひ買って食べてもらいたい。 筆者も以前購入したことがあるが、蜜たっぷりで甘くて柔らかい美味しい焼き芋だったのを今でも鮮明に覚えている。見て楽しめるだけでなく食べても美味しいロードスター×焼き芋の「えるろこロド芋」は、おすすめの焼き芋屋といえるだろう。 ◆えるろこロド芋の店主“鬼ちゃん”の各種SNS・X(旧Twitter):https://x.com/EL_Loco2018・Instagram:https://www.instagram.com/rodoimo・TikTok:https://www.tiktok.com/@oniityan045 [ライター・画像 / 齊藤優太]

知って乗って感じて歴史を繋ぐ旧車の世界:齊藤優太
旧車の愛好家たち 2025.02.24

知って乗って感じて歴史を繋ぐ旧車の世界:齊藤優太

■名前:齊藤優太 ■職業/肩書き 自動車ライター/インストラクター/ジャーナリスト ■現在の愛車 Audi A4 35 TDI Advanced(2021年式) ■ご自身の性格をひと言で表現すると? 朝が早い人 ■好きなクルマは? R35 GT-R(2011年モデル)、エンジン音なら直列5気筒ターボエンジン車(RS3/TTRSなど)、デザインならDS Automobiles ■憧れのクルマは? Audi Prologue Coupe ■旧車王ヒストリアではどんな記事を書いてみたいですか? 古いクルマは何かと大変…ですが、それ以上に多くの魅力と歴史があるのが旧車。最新のクルマにはない、個性や各メーカーの特色が色濃く反映されている旧車の魅力を伝えていければと思っています。 ■その他なんでも・・・ 工業製品で唯一「愛」が付くのがクルマ。手間も時間もお金もかかるけど、抜け出せないクルマの魅力(と本音)をお伝えしていきます。 ■HP/SNS/YouTube等 HP:https://lit.link/yutasaitoyutanote:https://note.com/drum_car_loversX(旧Twitter):https://x.com/yuta_saito_121?t=GvLOweFnpzkSqSpOpPECGw&s=09Instagram:https://www.instagram.com/yuta.saito.121/

「タイレルP34」「レイナード93D」2025年の展望は?手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.12
旧車の愛好家たち 2025.01.29

「タイレルP34」「レイナード93D」2025年の展望は?手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.12

2019年から取材を続けている、「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」代表・綿引雄司氏が造り上げたハンドメイドのタイレルP34。 これにF3000に参戦していた「レイナード93D」が加わった。現在「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」には2台のフォーミュラカーが収まっている。 「見せる」マシンから「攻める」マシンへと変貌しつつあるタイレルP34、そして不動の状態で綿引氏のところに嫁いできたレイナード93D。 この2台を並べてみると、まったく違和感がないことに驚かされる(フォーミュラー関係者の視点で見れば異なるかもしれないが)。 しかし、タイレルP34は昨年秋にエビスサーキットでクラッシュ。現在、復活に向けて作業中だという。 気になる2台の現状と今後について、カスタムビルド&レストア WATAHIKIに赴き、代表の綿引氏に取材を行った。 ■綿引さん、まずは「タイレルP34」の状況を聞かせてください 昨年秋にクラッシュしたあと、各部の修正作業を進めている状況です。それに加えて、タイレルP34のマフラーを変更しました。これまでは「4in2-2マフラー」だったものを1本出しに仕様変更を行っています。 その理由として「音量規制があるサーキットをタイレルP34で走ってみたいと思ったから」こと、そして「パワーアップおよびトルクアップ」が狙いです。 AE86カローラ レビン/スプリンター トレノ(4A-G用)のマフラーを加工して、集合管にしました。当初、専門の方に依頼することも検討していました。しかし、これまでタイレルP34を自作してきた経緯もあり、それならばということでマフラーも自分で作ることにしました。 ■AE86用をベースにしようと思ったのは何かヒントがあったのですか? 以前から「もしかしたら、隼のエンジンにAE86用タコ足マフラーが適合するんじゃないか」というイメージが湧いていたんです。 実際にピッチを測ってみたところ、取り付けられそうということでヤフーオークションで中古品を入手しました。隼用のノーマルのエキパイとパイプの径は同じでしたが「ポン付け」できるわけではなく、ここから先は試行錯誤の連続でしたね。詳しくは下記動画をご覧ください。 ●4AGでP34用集合菅制作!https://www.youtube.com/watch?v=lzOMVK9LkbA ■(お聞きするのは忍びないですが)カウルの修復も進んでいるのでしょうか? 2度のクラッシュで76年型および77年型のフロントカウルを破損してしまったので、現在は77年型の方を修理を進めているところです。現在、塗装まで完了しています。 ■実際に「サーキットを攻めた」からこそ見えてきたウィークポイントもあるそうで・・・ ロアアームやピロボールに負荷が掛かることが分かってきました。サーキット走行を繰り返すうちにロアアームの後ろ側のボルトや緩んできてしまったり、ピロボールもガタが出てきてしまっています。負荷が掛かる部分は高価だけど強化版に交換して、それ以外の箇所は汎用品にするなど、コスト面も考えつつ、進めています。 ■タイレルP34が復活を遂げたらエビスサーキットですか? エビスサーキットもだけど、筑波2000も走りたいですね。筑波サーキットでフォーミュラカーだけのカテゴリーで年に3戦、草レースを開催しているんです。筑波サーキットはマフラーの音量規制が厳しいので、今回の仕様変更もそれに合わせた仕様なんです。 YouTubeの動画を観てくださった方から、ウィリー防止用に低速ギヤでの高回転の制御をカットする製品があることを教えてもらい、こちらもタイレルP34に取り付けました。今後は低速ギヤでもエンジンが回るようになるので、特にショートコースでのタイムアップが期待できます。 ■レイナード93Dの方はいかがですか? レイナードに関しては、カウルの塗装してステッカーを貼った状態のままです。機関系に関してはそのままなのでもう少しお待ちください ■直近で参加予定のイベント情報がありましたら教えてください 2025年4月27日(日)午前9時より、モビリティリゾートもてぎにて開催される「水戸道楽クラシックカミーテイング2025」にタイレルP34を展示予定です。 詳細が分かり次第、YouTubeでもお知らせします! 本業を終えたあとや週末などの時間を割いて、ハンドメイドタイレルP34およびレイナード93Dの復活に向けて1歩ずつ前進していることは確かだ。 ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されていますhttps://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA [ライター・カメラ/松村 透]

「タイレルP34」と「レイナード93D」に見惚れる!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.10
旧車の愛好家たち 2024.06.25

「タイレルP34」と「レイナード93D」に見惚れる!手作りの6輪F1タイレルP34を追え!Vol.10

製作の初期段階から進化の過程を追い続け、早いもので5年が経った。 茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」にはじめてお邪魔したとき、タイレルP34のカウルはペイントされておらず、アルミ地むき出しのまま。アルミの角材を溶接して組まれたシャーシにエンジンや足まわりが仮組みしているような状態だった。 2022年秋にオートランドテクノでデモ走行の模様を取材し、それから1年後の2023年秋にはエビスサーキット東コースをハイスピードで駆け抜ける模様を現地で目のあたりにした。 その翌月に新潟県妙高市で開催された「妙高ヒルクライムHILL G.P2023」においてクラッシュしたタイレルP34であったが、幸いなことに軽傷で済んだ綿引氏の尽力もあり、1977年仕様のカウルをまとって無事復活を遂げた。 そしてタイレルのクラッシュからおよそ1ヶ月後に無限製MF308エンジンが搭載されたF3000マシン「レイナード93D」を入手。タイレルP34とレイナード93Dという、2台のフォーミュラーカーが綿引氏のガレージに棲むことととなった。 今回、久しぶりに茨城県水戸市にある「カスタムビルド&レストア WATAHIKI」にお邪魔して、タイレルP34およびレイナード93Dの今後の展望について取材した。 ■ファンの方も気になっているであろう「ハンドメイドのタイレルP34」の状況を教えていただけますか? 昨年(2023年)秋にエントリーした「妙高ヒルクライムHILL G.P2023」のクラッシュ後、1977年仕様のカウルに変更して展示できる状態にしてあります。破損した1976年仕様のノーズはまだ直していない状態です。 ブレーキホースも少し痛んでいるようなので、この点検も含めて1度足まわりをバラしてみようと思っています。 ■F3000マシン「レイナード93D」の方はいかがですか? 前オーナーさんが10年ほど前にツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)でエンジンストールさせてしまい、そこから始動できない状態にある個体を譲ってもらいました。 1993年に開催された全日本F3000選手権に、ロス・チーバーが「プロミス レイナード」として参戦した車両です。第1戦および第7戦(いずれも鈴鹿サーキット)で優勝し、シリーズ3位となった個体です。CBR WATAHIKIのYouTubeチャンネルでも動画を公開していますが、現在は当時をイメージしたカラーにペイントして、デカールを貼った状態です。 ■いずれレイナード93Dでもサーキットを走る可能性も・・・? タイレルP34には排気量3リッター、V8フォード コスワース DFVエンジンが搭載されていました。F1の世界において、このエンジンが1980年代に入るとターボ化されたものへと置き換えられるようになっていったんですね。その後、活躍の場を失いつつあったDFVエンジンを活かすため、国際F3000選手権というカテゴリーが誕生したのが1985年のことです。そして、2年後の1987年から全日本F3000選手権が開催されるようになりました。 DFVエンジンが日本にわたってきた頃、ホンダもエンジンを開発していたそうです。その後、無限に全権を託し、誕生したエンジンが「MF308」という排気量3リッターのV型8気筒エンジンなんです。DFVと同等のスペックを持つエンジンを搭載したフォーミュラマシンを走らせてみたいという夢があって、その実現に向けてレイナード93Dを手に入れました。 当時、星野一義選手はDFVとMF308、それぞれのエンジンを試す目的で、ご自身が乗るF3000のマシンに載せ換えていた時期があったそうです。 つまりタイレルP34のフレームにMF308が搭載できれば、自ずとDFVも搭載できることになるわけです。まだ妄想の段階ですが、いずれDFVを手に入れて、載せてみたいと言った、夢のような事を考えています(笑)。 多分クラウドファンディングでもやらないと実現できないかもしれませんが、そのときは皆さんのご協力をお願いいたします!! F3000に限らず、レーシングカーはミッションがクロス化されているため、スタート時のクラッチミートが難しいみたいなんです。走り出してしまえば、タイヤを充分に温めることに気を使うぐらいで、さほど難しくないと前オーナーもいってました。本気で攻めるような無茶な走りをしなければ、普通に乗れるでしょう。 ■CBR WATAHIKIのYouTubeチャンネルにレイナード93Dを紹介したときのファンの反応は・・・? 「レイナード93Dを手に入れました」と発表したことで「○○○自動車であればMF308エンジンのオーバーホールができる」など、ファンの皆さんが情報を寄せてくれたんですね。おかげさまで、レイナード93Dの面倒をみてもらえそうなところがいくつか見つかりました。本当にありがたいですね。 ■直近で参加予定のイベント情報がありましたら教えてください 現在、以下のイベントに参加予定です。CBR WATAHIKIのYouTubeチャンネルでもお知らせします。 ●7月14日(日):道の駅おおた(群馬県太田市)で開催される「サンブレフェスタ」に、タイレルP34とレイナード93Dの2台を展示します。https://www.michinoeki-ota.com ●9月1日(日):フォッサマグナミュージアム(新潟県糸魚川市)で開催される「第33回 日本海クラシックカーレビュー」にタイレルP34を展示する予定です。http://ccr.ikaduchi.com ●CBR WATAHIKI・YouTubeチャンネルhttps://www.youtube.com/@cbrwatahiki ■最後に・・・綿引さんが手掛けたタイレルP34のトリビアがありましたら聞かせてください イベントなどで展示したときに指摘されたことがあるんですが、タイレルP34って現代のF1マシンと比較すると小さく見えるらしいんですね。 「これって実物大ですか?」って聞かれるんです。 ノスタルジック2デイズの会場で、エブロ(現エムエムピー)代表の木谷真人さんとお会いする機会があり、タミヤ時代にタイレルP34のプラモデルを手掛けていらっしゃったのか伺ったんです。福野礼一朗さんの著書を通じて、タミヤのF1のプラモデルは木谷さんがほぼ手掛けたことは知っていたんです。 木谷さん曰く「タミヤのタイレルP34は設計図面通りにちゃんと作ってあるから、その大きさで間違いない」とおっしゃったんです。私のタイレルもタミヤのプラモデルをベースにサイズを拡大して製作していますから、ほぼ実物大であることが証明されたことになりますね。 なぜ「ほぼ実物大」なのかというと、実車の寸法を測って図面を引いたわけではないことと、私がディフォルメした箇所もあるから、なんです(笑)。そういった目線でぜひタイレルP34をご覧になってみてください。イベント会場でお会いしましょう! ■巴自動車商会/カスタムビルド&レストア WATAHIKI 店舗情報 住所:〒310-0912 茨城県水戸市見川3-528-2TEL:TEL/FAX 029-243-0133URL:http://cbr-watahiki.comお問い合わせ:http://www.cbr-watahiki.com/mail.html ●綿引氏のYouTubeチャンネル"cbrwatahiki" ※「アルミのイオタ」および「タイレル P34」の製作風景も紹介されています https://www.youtube.com/@cbrwatahiki ※YouTubeで動画を配信している「ぺーさんxyz」さんがイオタの製作過程を詳細にまとめた動画。手作業で造られていったことが分かる構成となっています。 ●板金職人の技炸裂!アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=hvAf5PfcSJg&t=8s ●アルミ板叩き出しでランボルギーニ・イオタを製作するまで【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=WidFHqbp4QA ■「サンブレフェスタ 2024」イベント概要 ・日時:2024年7月14日(日)9:00〜15:00・場所 道の駅おおた駐車場 ●「道の駅おおた」について ・所在地:〒370-0421 群馬県太田市粕川町701-1https://goo.gl/maps/E3vus5Vmbpjn8mz68・電話:0276-56-9350・FAX:0276-56-9351・駐車場;普通車:126台、大型車:40台、身体障害専用:4台・URL:http://michinoeki-ota.com ●道の駅 おおた <公式> Facebookページhttps://www.facebook.com/michinoeki.ota/ ●道の駅おおた広報「おっくん」 Facebookページhttps://www.facebook.com/ekicho.ota/ ●道の駅 おおた <公式> X(旧Twitter)https://twitter.com/michinoekiota [ライター・カメラ/松村 透]  

パリのハロウィンに映えるパンプキンカラー。1974年製のMGB
旧車の愛好家たち 2023.11.17

パリのハロウィンに映えるパンプキンカラー。1974年製のMGB

元々フランスでハロウィンはあまり有名ではなく、日本ほどデコレーションやイベントなどほとんど注力されていません。 近年、少しずつですが、子どもや若者を中心に仮装やお菓子配りなどで盛り上がり、フランスでも確実に地位を上げつつあるように感じます。 そんな10月、ハロウィンムードも割と薄いパリの街角で信号待ちをしていると、なんとも綺麗なカボチャ色の旧車も信号待ちをしているではありませんか。 運転席の男性と目があったので、親指でグーとジェスチャーをすると、わざわざ窓を開けて近くの公園に停めることを教えてくれました。 その週末はヴィンテージのイベントがあり、会場内にはクルマだけではなく古着やアンテーク家具など、古いモノを扱うSHOPやディーラーさんが出店される日だったのです。 私たちはそこへ向かう途中でしたが、その男性のクルマをじっくり見るべく、目の前の公園へ少し寄り道をすることに。 ■カリフォルニアからやって来た英国車 このイベントにクルマを見るために来場されていたマチューさんが乗っていたのは、イギリスのMGB(1974年製)です。 エンブレムがかっこいいMGですが、実は私、このとき初めてMGというメーカーを知り、『モーリス・ガレージ』のイニシャルだと教えていただきました。 調べてみると、イギリスのスポーツカーメーカーで、1955年に発売された流れるようなボディのクーペモデル『MGA』を筆頭に、当時世界中で英国スポーツカーブームが起きたとのこと。 その後継モデルである『MGB』は多くの部分が改良・近代化され、長きに渡って製造販売されたそうです。 ■レアなオレンジボディを探して 本当に綺麗なパンプキンカラーは、塗り直しはされていますがオリジナルだそうで、この色に一目惚れして購入されたのだとか。 マチューさんはオレンジ色が大好きなのですが、現在MGBのほかに所有している『BMW Z3』はシルバー。 長年『オレンジ色のクラシックカー』を探していたようです。 やはりオレンジ色にもいろいろあるようで、メーカーやモデルよりも『まず第一優先は好ましいオレンジ色』という、割と珍しい探し方をされたマチューさん。 前オーナーさんがカリフォルニアにて所有していた個体を、4年前フランス国内で見つけたそうです。 英国車なので通常は右ハンドルが主ですが、アメリカへの輸出用で既に左ハンドルとなっていたことも、マチューさんには好都合だった模様。 エンジンはオリジナルで、座席は合皮ですが傷みにくさを優先しているとのこと。 今回も試乗を薦めて頂いたので乗ってみることに! 木製のハンドルとフレームの黒色が英国らしく、大変かっこよかったです。 この日もばっちりオレンジ色のお召し物を羽織っていたので、せっかくですのでクルマとマチューさんのツーショットを…とお願いしたところ、残念ながらNG。 息子さんもクルマ好きらしく、この冬一緒にに日本旅行をされるそうで、東京で珍しいクルマが見れることを楽しみにされていました。 日本でもお気に入りのオレンジ色のクルマが見つかるといいですね! ■余談 ヴィンテージ好きが集まるイベントだけあって、公園の一角にはクラシックカーの修理屋さんの宣伝カーも来園していました。 フランス人の愛するシトロエン2CVの上には大きなペンギン! なぜペンギンなのかはわかりませんが、大人からも子供からも大注目されていました。 それでは遅ればせながらパリより“Des bonbons ou un sort!!”(フランス語版トリック・オア・トリートです) [ライター・画像 / スミ]

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【後編】
旧車の愛好家たち 2023.10.27

“伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【後編】

当記事の「前編」では、オーナーの淵本芳浩さんのT360(1965年式)が修理されるまでをレポートした。 ● “伝説の軽トラ”ホンダ T360(AK250)復活記【前編】https://www.qsha-oh.com/historia/article/honda-t360-part1/ 今回の「後編」では、淵本さんのT360の修理を担当した整備士、西栄一さんのT360(1966年式)を紹介。 西さんは、この個体を手に入れて今年で50年を迎えたそうだ。 前編でも紹介したとおり、部品取り個体を入手したことで淵本さんと西さんのT360の修理を実施。 今回は西さんの所有する個体に注目しながら、T360の魅力を掘り下げてお届けする。 ■ホンダ T360とは 前編のおさらいにはなるが、ホンダ T360は二輪メーカーだったホンダが四輪業界へ進出した際、初めて市販された四輪自動車。 1963年から1967年まで生産されたセミキャブオーバータイプの軽トラックだ。 水冷直列4気筒DOHCエンジンを国産車で初めて搭載したクルマでもある。 エンジンを15度に寝かせて座席の下に搭載する、ミッドシップレイアウトとなっていた。 当時の国産車のエンジンは、4ストロークOHVエンジンが主流だった。 軽自動車においては2ストローク2気筒、20〜25馬力程度の時代、T360は最高出力30馬力を8500回転で発生する高回転高出力型のDOHCエンジンを搭載。 吸気系に4連キャブレター、排気系はタコ足で武装。 当時の高級乗用車と比べても異次元のメカニズムで高性能を誇った。 ⚫︎細かい変更・改修が繰り返され、部品が合わない場合も T360はデビュー以降、細かな設計変更・改修を繰り返しながら実用的な軽トラックとしてあるべき姿になっていく。 ただ、設計変更時の明確なマイナーチェンジモデルは存在しない。 現場の声に素早く対応するため、その都度設計変更・改修が加えられたからであった。 よって、同じ年式の部品取り車があったとしても、部品が合わない状況が多々ある。 これが T360の維持と再生を困難にする一因にもなっている。 以上のような、現代にはありえない別格の生まれであることが、このクルマの魅力の一部にもなっているのだろう。 ■同じ型式でもさまざまな部分が違う ▲違いに気がつくと、表情も違って見えてきておもしろい 上記でも述べたが、T360の大きな特徴のひとつが同じ型式でも仕様が異なる点だ。 生産当時、現場の声に素早く対応するため設計の変更・改修が加えられた。 なので、わずかな年式の間でも異なっている部分がある。 今回は1965年式と1966年式のAK250が2台あるので、比較して違いを探してみた。 ●フロント周り フロント周りを見比べてみよう。 まずはボンネットの素材が違う。 1965年式は鉄製だが、1966年式になると樹脂製になった。 それから、バンパーのナンバー取付部に注目。 1965年式では凹みにセットされるかたちで装着されているが、1966年式になると、バンパーにそのまま貼り付けたように装着されている。 さらにウインカーをよく見ると、1966年式のほうが少し大きく突起している。 また、Bピラーにも注目。 1966年式にはスリットが入っている。 これは車内換気用のものではなく、エアインテーク…つまり吸気系の取り回しがすべて異なるのである。 ●エンブレム  エンブレムのプレートは、1965年式は鋳物のエンブレムだが、1966年式ではシールになっている。 コストダウンされた部分のひとつかもしれない。 ●マフラー 1965年型は複雑に湾曲したタコ足だが、1966年型になると消音器の付いた集合管へ。 当時の排ガス規制に対応している。 ●キャブレター AK250は、1965年型はケーヒン製の4連(CVB27型)、1966年型は三国ソレックス製の2連(BSW23型)のキャブレターを採用していた。 整備性を良くする目的で4連から2連になったと思われる。 加えて整備性も向上。 キャビン後部のシートアンダー中央のフレームの一部がカットされていて、ビスを取り外せばしっかりと手が入ってキャブレターに手が届き、作業しやすくなっている。 ●インパネ周り 1965年式のステアリングはホーンリングが付いているが、1966年式では白い部分がホーンボタンとなっている。 センターに並ぶスイッチ類も違い、1966年式ではグローブボックスのフタもなくなっている。 1965年式はプッシュタイプのスイッチ(スモール、ヘッドランプ、ワイパー)が3つ横並びで付いているが、1966年式になるとプルタイプのスイッチ(ワイパー、スモール・ヘッドライトの二段階式)の2つになる。 ちなみに、ロービームとハイビームの切り替え方法も異なる。 1965年式は足踏み式で行ない、1966年式はフラッシャーレバーで切り替える。 ●ブレーキペダルゴム ペダルパッドの形状を見比べてみると、1966年式は角形に変更されている。 疲れにくく操作しやすい「オルガン式」のペダルが採用されている点にも注目したい。 オルガン式ペダルはレーシングカーに採用されていることが多いが、商用車のT360に採用されているのは、当時のF1(第1期)に由来するのかもしれない。 ●リア周り フックの数が4本から2本に減らされている。 またボディの継ぎ目の位置の違い(テールレンズに継ぎ目が掛かっているかかかっていないか)にも注目。 この他にも、骨格であるフレームの断面がTの字からロの字形状になっていたりと、改修の多さはもはや“間違い探し”レベル。 オーナーの西さんによれば「まったく異なるクルマ」だそう。 しかし、このような違いがファンにとってはこだわりにもなっている。 ■所有歴50年のオーナー ▲オーナーの西栄一さん オーナーの西栄一さんは現在69歳。 レースメカニックなどの経歴を持つベテラン整備士だ。 T360は19歳の頃に入手し、現在に至る。 これまで、オートバイからフォーミュラマシンの整備まで幅広く手掛けてきた西さん。 幼少時代にT360と“衝撃の出会い”をしてからホンダに魅せられてきた。 西さん:「私の幼少時代は高度経済成長期を迎えていました。当時は東京オリンピックの影響で、ビルの建設や道路の整備が進み、道路では2サイクルのクルマがパタパタと音をあげて行き交っていました。そんななかで突如、甲高い音を発しながら走ってきたクルマこそT360だったのです」 自動車訓練校時代には、ツインカムエンジンの教材としてT360で整備技術を学んだという西さん。 運転免許を取得してからの愛車遍歴は、1300クーペ、 N360、シビック、アコードハッチバック、バラードスポーツCR-Xを乗り継ぐなどホンダが多かったが、19歳の頃に入手したT360だけは手放さなかった。 西さん:「まるでF1やフォーミュラカーみたいに感じることがあります。ホンダサウンドがたまりません。ドライブするときはオートバイのような感覚で乗っていますね。トラックでありながら中身はスポーツカー。エンジンは気難しく、当時は農業で使うのが大変だったかもしれないですね」 ▲「懐かしの商用車コレクション」のカラーリングを手本にボディカラーを自ら塗り換えた そんな西さんにT360との出逢いを振り返ってもらった。 西さん:「実家へ帰る途中、たまたま普段は通らない道を通りました。そのとき、整備工場の車両置き場にT360があるのを見つけたんです。前からT360が欲しかった私は、再度そこへ行って持ち主を訪ねました。聞けば不動車になりかけていて、かろうじてエンジンが掛かるものの、いつ止まるかわからないような状態でした。売却後のクレームを恐れたらしく、なかなか売ってもらえなかったんです。そこで『教材にする』という条件でようやく手に入れることができました。新車に近い価格で購入しました」 購入した直後の修理はどのように行ったのだろうか。 西さん:「当時のホンダSF(サービスファクトリー)に知り合いがいたので、部品の手配などを手伝ってくれました。今は部品がなくて苦労しているところです」 ▲リアに取り付けられているプレートは、西さんがモトクロスレースをしていた時期にオートバイ用品店で見つけて購入したもの。日本語に訳してみると…確かにこのT360と西さんにふさわしいと感じる ■T360の修理について 今回はエンジンの修理をメインに、破損していた外装品等の修理・改修を行なうため、部品取り個体から使える部品を摘出。 状態を確認したうえで交換・取付が行なわれた。 西さん:「T360のエンジンを修理するにあたり、エンジン、トランスミッション、ガードフレームを脱着して各部の修理を行ないました」 実は、西さんがこの個体を所有し始めた直後から大小さまざまなトラブルに見舞われており、「持病」のように付き合ってきた故障もあったという。 そんな故障と修理の過程を一部だが紹介したい。 T360の維持がいかに大変かを理解いただけるだろう。 ●1.エンジンオイルの量が増えていた?エンジンを分解してバルブリフターを交換 エンジンオイルが増える…そんなありえないことが実際に起きていた。 原因はフューエルポンプの中にあるダイヤフラムの経年劣化により、ガソリンがオイルパンの中に流れ込んでしまったことだ。 結果、エンジンオイルの量が増えるという事態が発生していた。 さらに流れ込んだガソリンによってオイルが希釈され、潤滑性能が低下した結果、インレットバルブのリテーナーが焼きついてしまった。 そこでバルブリフターを交換するべく、エンジンを降ろして分解。 カムシャフトを取り外し、バルブリフターも取り外した。 ▲西さんのT360から降ろされたAK250E型エンジン。キャブレターとインマニは外されているが、このようにほぼ真横に近い15度に寝かせて搭載されている ▲バルブリフターを交換。上部のインレットバルブからバルブリフターを外した状態 ▲バルブリフターを取り外したオイル潤滑穴の状態。(左)正常な状態と(右)汚れやオイルが付着してしまった状態だ。バルブの上にあるオイル潤滑穴周辺にオイルや汚れがこびりつき、焼きついたことでバルブリフターの動きが悪くなった。穴の下が欠けてしまっているのも確認できる ●2.部品取り個体から摘出した純正品のバルブリフターを使用 部品取り用個体から摘出した、純正品のバルブリフターに交換している。 西さんのバルブリフターは、これまでワンオフで2回製作。 純正品はアルミ製だが、1回目は鉄で作ったところ、材質の違いによる熱膨張の変化により、オイルクリアランスが正常に保てず焼きついてしまった。 そこで2回目はオイルクリアランスを計算して加工。 このような鉄製のバルブリフターをしばらく使用していたが、材質による重量差が高回転域において悪い方に影響すると判断し、摘出した純正品にすぐ交換したという。 ▲これまで使用していたワンオフの鉄製バルブリフター ▲右のバルブリフターが部品取り用個体からの純正品。穴は熱膨張の対策と潤滑のために空けられている ●3.キャブレターのフロートが腐食しエンジンの掛かりが悪くなったので、部品取り用個体から使用  購入当時からエンジンの掛かりが悪かったという西さんのT360。 オーバーフロー(ガソリン漏れ)が起きていたので、代用品として二輪用のフロートを使用していたが、完全には直らず騙し騙し乗ってきた。 部品取り用個体から降ろしたエンジンを確認したところ、キャブレターの内部は幸いにもそれほど傷みがなく、フロートを使うことができた。 ▲部品取り用個体から摘出したフロートは綺麗に残っていた。フロートのレベルやメインジェットを点検・調整してマッチングした ●4.エンジンオイル漏れを修理 スターターモーター取付部のOリング(密封用パッキン)が劣化し、ガソリンがオイルパンの中に混入。 シールを溶かしてしまった。 部品があったので交換することができた。 ▲この写真はオイルフィルターケースだが、フチの部分にOリングが付いている。この部品は劣化すると延びてオイルが漏れてしまう ●5.シリンダーヘッド、ウォータージャケットプレートの腐食によるオーバーヒートに対応 水温が上がりすぎていることに気づいて確認してみると、ウォータージャケットスペーサーが腐食。 シリンダーヘッドへ水が流れにくくなり、オーバーヒートを起こす寸前だった。 原因は、前オーナーが冷却水の代わりに水を入れてしまったことだ。 ウォータージャケットスペーサーを自作して取り付けて対応した。 ▲T360のウォータージャケットスペーサー ▲取り外すと腐食部があらわに ●6.クラッチリターンスプリングが折れて交換 西さんがT360を購入して数カ月で折れてしまったクラッチリターンスプリング。 考えられる原因は、前オーナーが住んでいた農村地帯の悪路でクラッチを酷使していたことだ。 また、その土地は寒冷地でもあったので、気温差による湿気などによって錆が発生し強度が低下していた可能性がある。 ▲ブレーキリターンスプリングも折れる可能性ありと判断し、ストック品に交換した ●7.ブレーキオイル漏れを修理、およびリザーバータンクの交換 車検対応のため、ブレーキとクラッチのインナーキットを交換。 使用した部品はホンダS500、S600用のもの。 ブレーキ側はプライマリーカップとセカンダリーカップからオイル漏れを起こしていた。 ▲ブレーキ、クラッチとも同様のインナーキットを使用するが、クラッチは付属のチェックバルブのみ使用しない ▲ブレーキとクラッチのリザーバータンクが経年劣化で割れていたため、三菱 デリカトラック用の部品を流用して交換 ●8.フューエルラインの目詰まりにより他車種の電磁ポンプに交換 西さんのT360は、エンジンの不調により断続的に不動の時期を経験している。 不動となったある期間、販売店の展示車輌として店頭に飾られていた。 その間まったく動かさなかったので、燃料タンクに残っていたガソリンが劣化し、湿気なども影響して錆が発生していたようだ。 そんななか、販売店がT360を移動させることになり、エンジンを掛けようと添加剤やケミカル用品を使ったのが災いしたらしい。 化学反応によって溶けた不純物や錆などが、純正の機械式フューエルポンプにダメージを与えて使用不可となってしまった。 そこで西さんが電磁ポンプ化。 ホンダ N360用の電磁ポンプを流用した。 なお、フューエルメーターと燃料タンク内のユニットは各々6ボルトのものを使用しており、それを直列に接続し、12ボルトで使用している。 点検の際には各々に12ボルトをかけると故障の原因となるので、注意を要するという。 「ここが二輪メーカーらしい点ですね」と西さん。 ▲N360用を使用 ●9.オイルポンプのストレーナーの目詰まりを解消 ストレーナーが目詰まりした原因は、おもに前オーナーのオイル管理だが、受難が重なって起こったといってもいいだろう。 オーナーが西さんに変わってから良質オイルを使用するようになったことで、内部が洗浄剤によって洗い流され、汚れが詰まってしまった。 さらに、いたずら被害にも遭っている。 何者かに泥やゴミなどの異物を混入させられていたそうだ。 また、エンジンオイルの給油口に誤ってガソリンを入れられるというスタンドのミスにも遭遇している。 修理を行なう際、ストレーナーは西さんが自作した。 本来メッシュの規格は「#70」だが、調理用のザルが使われている。 ▲目詰まりや破れがあり、オイルストレーナーを自作。現在はホンダS500、S600用もリリースされており、流用できるそうだ ●10.割れたサイドウインドウの交換 あるきっかけで飛び石を食らってしまい、左側のサイドウインドウガラスが割れてしまった。 そこで部品取り個体から流用。 右ドア側のガラスが使用可能な状態だったので、ガラスホルダーを左用に差し替えたうえで左ドア側に流用した。 ▲左右のガラス形状が平面かつ対称だったため流用が可能だった ●11.スタビライザーを取付 部品取り用の個体から摘出したスタビライザーを取り付けた。 西さんの1966年式ではすでに省略されていたパーツだったが、走行安定性の向上が実感できているという。 ▲「コーナリング性能の向上、ロールの減少が実感できている」と西さん ●12.ホーン(クラクション)のホーンリングをリフレッシュ ホーンが鳴らなくなっていたので確認したところ、ホーンリングが腐食していた。 表面を研磨して対応した。 ●今後の予定は? 部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部を使い、再調整を行なう予定だという。 ▲部品取り個体から摘出したシリンダーヘッドの動力部。分解と清掃が行われた ■【試乗ゲスト】T360を体験 ▲T360を眺めながらクルマ談義で盛り上がる西さんと平田さん 今回は試乗ゲストを迎えて、T360を体感していただいた。 ゲストの平田さんは昔からホンダが好きで、ステップバンを所有していた時期もあるそうだ。 ホンダを含めたさまざまなクルマを乗り継いできた平田さんだが、T360は初めてだという。 平田さんにT360に乗った感想を伺った。 平田さん:「T360のエンジンがあそこまで回るとは思っていませんでした。昔、EG6(ホンダ シビック)に乗らせてもらったときを思い出します。“カムに乗った回転”というか、一気に吹け上がるフィーリングに鳥肌が立ちました。まるでチューニングエンジンみたいですよね。 エンジン内部を見せていただけたのも貴重な体験でした。燃焼室は、昔の理論の半球型だったのは予想できましたが、結構トンガったカムシャフト、ダブルのバルブスプリングなど、トラックのエンジンとは思えないメカが興味をそそりました」 ■T360と今後について こうして当時とほぼ変わらない走りを取り戻しつつあるT360。 西さんはこのT360と今後どんな付き合い方をしていこうと考えているのだろうか。 西さん:「所有し始めて50年が経ちました。部品は少なくなりましたし、これまで幾度となく路上故障も経験しましたが、同じクルマに乗る仲間に恵まれ、T360に乗ってから良いことばかりだと思っております。今後もなんとか車検整備も行なって、バージョンアップもできるだけ行ないながら大事にしたいです」 ■取材後記 取材中に筆者も、わずかな時間ではあったがT360を運転させていただいた。 不慣れな右コラムMTに戸惑いつつ走った。 この右手で操作するコラムシフトもT360独特のものだ。 ▲シフトパターンがハンドルコラムカバーに刻まれている ▲T360は4MT。スピードメーターパネルに書かれたギアポジションに沿って変速する。スピードメーターのスピード表記の内側に黄線で示されているのが各ギアの守備範囲。タコメーターの代わりとして使える 試乗中にひとつ驚いたことがあった。 それはアクセルレスポンスの良さだ。 筆者の愛車はS2000。 なので最初は「ホンダ四輪の元祖だから、フィルターが掛かっているのでは?」と自分を疑ったが、やはりアクセルの開度に対してエンジンがしっかりとついてくる感覚があった。 ホンダがF1で培った技術が生かされているのかもしれない。 しかしあらためて思う。 どこまでも回っていくような甲高い「ホンダ・ミュージック」を奏でながら走るその姿に「S2000のルーツはT360にあるのだ」と。 T360との間には40年近い年式の差があるにも関わらず、エンジンのフィーリングは脈々と受け継がれているのだ…と。 貴重な体験ができた印象的な取材となった。 内燃機関のクルマにいつまで乗れるかはわからないが、T360が1台でも多く残っていくよう、いちホンダオーナーとして願わずにはいられない。 ▲筆者の愛車と並べて記念撮影 [取材協力 / 吉備旧車倶楽部][ライター・野鶴美和 / 画像・野鶴美和, 西栄一(修理部分)]

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